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今回の政権放り投げで、短命内閣が2代続いたことになる。誰が後継者になったとしても、次の選挙での敗北は必至だから、任期1年の内閣が3代続くことになると思う。日本の成長力に翳りが出た80年代後半から90年代の終わりまで何度も繰り返した、総理大臣の首の挿げ替えがこれからも続くことになるのだろう。

記者会見では、安倍首相の辞任の時と同様に、「民主党が話を聞いてくれない」という泣き言を並べていた。情けない話だ。衆議院で300議席を超える勢力を持っていることが、足枷になったと思う。郵政選挙で勝ちすぎ(東京では比例区の候補者が足りなくなったくらいだ)、次回の選挙では議席が減ることが予想されるため、議員心理として解散に抵抗があったのだろう。

本来、民主主義のルールとしては、政権の交代があれば国民の信を問うことが当たり前なのだが、選挙の洗礼を受けていないため、行き詰まりになったのだと思う。

最近公明党とのギクシャクした関係が目立つようになった。臨時国会の日程を巡るゴタゴタがその典型であり、首相との距離が遠くなってきた。

小選挙区制度で、僅差の戦いを繰り返している自民党にとって、1選挙区で2万とも3万ともいわれる公明党の支持が命綱であり、連立の離脱はなんとしても避けなければならないことである。どうも公明党の意向が強く働いたと思われる。

支持率の低迷が、辞任のもう一つの大きな要因であり、記者会見でも言及している。支持率に一喜一憂しないと政治家は強がりをよく言うのだが、やっぱり相当気になるのだろう。

支持率に関して、昨日の日経の朝刊の5面の「核心」の田勢康弘氏の記事に面白いことが書いてあった。昨年の今頃、アメリカでは大統領選挙はクリントンVSジュリアーニの戦いが予想されていたという。

この記事では、共和党ではジュリアーニ27%、トンプソン19%、マケイン17%の順であり、民主党はクリントン51%、オバマ21%、エドワーズ15%というCNNの世論調査結果を引用している。

オバマは大差のついた2位であり、マケインは接戦ではあるが3番手の候補者にすぎなかった。それが戦略ミスもあり、ジュリアーニは立ち上がりに躓き、早々と脱落してしまった。一方序盤の戦いで勢いを作り、事前の予想の大差を縮めて大接戦に持ち込み、オバマが勝利を治めてしまったのである。

共通しているのは、小さな州で始まる選挙戦で序盤での戦い方である。小さな州には手を抜きたくなる気持ちはわからなくもないが、小さな州であるだけに少し手を入れるだけで効果を得ることも可能である。全米が注目されるだけに、緒戦の結果が世論につながったのだと思う。

支持率は重要ではある。しかし、戦略の巧拙でそれが大きく変動するものである。辞任による、総裁選効果と、新政権効果しか支持率の向上策が思いつかないとは情けないことだ。

昨日少し触れたが、今週の東洋経済は面白い特集である。この記事の中に「予測市場」という言葉が出てくる。世論調査の中に、この予測市場の概念も持ち込めれば、面白い分析ができそうな気がする。もう少し考えてみる。

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朝から青空が覗いており、金曜から続いた不安定な空模様がようやく治まったような気配だが、外に出てみると湿度は高くまだまだ油断はならない。散歩も遠出は控えなくてはならないようだ。「かみなり3日」という諺もあるのだから。

政府は一昨日、経済対策として総額11兆円を超える規模で決定した。ただし、政府が支出する「真水」と呼ばれるものは1.8兆円で、10兆円は公的金融機関の融資枠拡大によるものである。真水を、融資枠により希釈し、水増しして11兆円となっているのである。

これまで世界経済は、G8など先進国が自分たちだけで秩序を作っていたのだが、BRICsや中東産油国などが新たにメンバーに入りだし、原油や穀物など資源の需給バランスが大きく変わり、価格革命が起こっているのが現状の混乱の要因だと思う。

パラダイムシフトである。学生時代に千点10円でやっていたマージャンを、社会人になっていきなり千点100円のマージャンになってとまどったのと同じようなものだ。負けると懐を直撃するから、防御を堅くして「負けないマージャン」に比重を置いたのだが、新しいレートにあわせてやり方を変えなければならないのである。

今必要な経済対策も同様に、「やり方を変える」ことを促すものでなくてはならない。高速料金の値下げ(民営化したものをどうして政府ができるのか不思議な話だが)や、輸入小麦の売り渡し価格の値上げ幅の圧縮などの価格支援策は、一時的な鎮静効果はあるのだろうが、根本的な解決にはならない。

東映の看板スターだった片岡千恵蔵はマージャン大好き人間だったが、あまりの高いレートにメンバーが揃わず、ついには参加者に現金をポンと渡して、卓を囲んだそうである。今回の政府の経済対策は、定額減税も含めて千恵蔵のマージャンと同じような気がするのだがどうだろうか。

今一番問題なのは、70年代後半から製造業からサービス産業へと大きく移行したのに、サービス業の生産性が上がらず90年代以降大きく日本経済が減速したことである。いまだに解決策を見出せず、今回の景気対策にもほとんどその片鱗もみえていない。

サービス業とは何かをもっと考えて見たい。

今朝は猛烈な雷の音で眼が覚めた。各地で被害が出ている豪雨の片割れが、我が家の近くにも訪れたのであろう。幸い雨は1時間もたたずにやみ、浸水や冠水の被害はなかった。

埋立地に住んでいるのだが、砂浜を埋め立てたもので、東京のような湿地帯を埋め立てたものではないので、大水による被害は起こりにくいのだろう。テレビの映像を見ると、ゲリラ豪雨の威力の恐ろしさを感じる。

政治の世界では、民主党から参議院議員3人が離党し、無所属議員2人と合体して新党を結成した。ゲリラ的行動であるが、政局に影響を与えるようなものではないと思う。

「改革クラブ」と名乗るそうである。2人は比例区で当選し、もう一人は昨年の参議院選挙で小沢代表が応援演説の第一歩を起こした岡山選出議員である。

選挙区で選ばれた者は離党しても、議席は有効だと思うのだが、個人・政党併記で圧倒的に政党名の比重が高い比例区選出議員が離党しても議席を保持できるのは納得できない。

現行の規定では、比例議員は他党への移籍は認められないが、新党への参加は認められるという。本来は議席を返上し、それから新党に参加するというのが道だと思う。政党交付金の対象となるには、5人の議員がいる事が条件となっているため、議席を手放せないのだろう。しかし、、次の選挙で有権者の支持を集めることはできないだろう。

新しい政党名は「改革クラブ」というそうだが、「改革」という言葉ほどいかがわしいものはないと思う。構造改革路線が何をもたらしたのかを見れば明らかであり、その後継者が提唱した「イノベーション25」も空虚な内容である。

明治の文明開化以来、「進歩」という言葉が流行りであった。進歩=よいことという考えが基調にあったのだが、成熟化社会の到来とともに、その弊害も目立ち始め、改革という言葉が脚光を浴びるようになったと思う。

進歩は成熟化により減速するのだが、「改革」ということで衰えを来るのを先延ばしにするというものだ。これは一本の成長曲線を描くからそうなるのであって、全く違う線を描く必要があるかもしれないと思っている。まだ考えを上手く整理できていないので、もう少しこの問題は考えてみる。

言える事は、進歩→改革という“進化”に何か違和感を覚えることである。
政府の月例経済判断で、「景気がこのところ弱含んでいる」という表現で、2002年2月に始まった景気回復が終焉したことを発表した。過去最長だったいざなぎ景気の56ヶ月を大きく超える、77ヶ月のロングランが終わったというのである。

景気に象徴的な名前が付くようになったのは、昭和30年代の高度経済成長の序章の時代に、歴史上かってない好景気をたとえて、神武天皇の時代以来最高ということで、「神武景気」という言葉が使われたのが最初ではないだろうか。それまでは、朝鮮戦争特需など直接的な名前だけであった。

昭和年にはじまった好景気は、「神武景気」をはるかに凌ぐものであったため、神武天皇の登場するはるか前まで遡る「いざなぎ景気」と命名されたのである。

今回の戦後最長の“好景気”には名前がない。いざなぎ景気のときは平均経済成長率が11.8%、バブル景気の時でさえ5.4%の実質経済成長率があったのに対して、今回は2.2%にすぎないのである。

名目成長率にいたっては0.8%の伸びでしかない。過去の好景気においては世界全体の経済成長率を大きく上回っており、相対的にも日本経済が強くなっているのが実感できたのだが、今回の“好景気”においては、世界全体の成長率は3%を超えており、相対的な日本の経済力は落ち込む一方だったのである。

2000年には世界で2番目に高かった国民1人あたりのGDPが、2006年には16番目まで大きく後退している。“好景気”が続いているのに、相対的な経済力がドンドン低下しているのは異常だといわざるを得ない。

そもそも景気のバロメーターの一つである、スーパーの売上高は10年連続して低下を続けている。世帯収入もしかりである。どこを見て“好景気”と判断していたのだろうか。恥ずかしくて景気に名前が付けられないのは当然だ。

確かにこの間企業業績は著しく伸びている。しかし雇用の削減という処置をともなうものであり、低金利政策による債務の減免など、消費者に犠牲を強いて企業業績を伸ばしたものであり、消費者にとっては先行きの不安感や政府に対する不信感を募らせただけではないだろうか。

企業は雇用だけでなく、設備、債務の三つの「過剰」を削減してきたため、「深くて長い谷は避けられる」というのがエコノミストの見方だそうである。

ハードルが低くなったために飛びやすいということなのだろうが、低くなりすぎたがために、一生懸命頑張って超えようとする「頑張る気力」が落ちてきたのが気がかりである。

仁徳天皇は「民の竈」から立ち上る煙を判断材料としたという故事があるが、国民目線を唱えるならば、景気判断は企業業績ではなく「民の竈」を基本にすべきであろう。
今朝はうす曇で、しのぎ易い陽気である。南風ではなく、東風が吹いているせいである。9時の気温が27度なのだが、この分では最高気温が30度に届かないかもしれない。今年の夏はまだ我が家ではエアコンをつけていない。どこまで我慢できるのであろうか。

知事が談合汚職にかかわったとして辞職し、世論の味方を得て当選した宮崎県で、公共工事が大幅に遅延しているらしい。入札制度を見直したのだが、受注した業者が次々に倒産したために、工事がストップしてしまったことがその原因のようである。

入札制度では、最も安い価格をつけたところが落札するのが原則である。しかし、安値受注による弊害もあるため、最低落札価格を設定し、極端な安値は除去する措置をとられる事も多い。それにもかかわらず、落札業者が次々に倒産しているというのは、別の問題があるのではないだろうか。

90年代に、業者の参入を容易にし競争を促すとして、発注規模の縮小を図った。道路工事などではKmの単位での発注を、百mを切る単位にまで分割したのである。これによって小規模業者も入札に参加しやすくなり、90年代はバブル崩壊の時期であったにもかかわらず、建設業者の数は増え続けた。

競争を促すことは、脆弱なものを淘汰することになり、悪いことではない。しかし、細切れ発注の仕組みは、脆弱な体質の企業も保護する側面がある。宮崎県だけの問題ではないと思う。そろそろ入札の仕組みを見直す時期にきているのではないだろうか。

一時的には最適であっても、環境が変わると最適とはいえない制度がある。振り子のように行ったり来たりしながら、その場に最もふさわしい制度を選択しなければならないものである。政治というのはビジョンに向かって進むだけでなく、その場の最適を考えるものでもある。構造改革もその一つだと思う。


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