社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 今回の政権放り投げで、短命内閣が2代続いたことになる。誰が後継者になったとしても、次の選挙での敗北は必至だから、任期1年の内閣が3代続くことになると思う。日本の成長力に翳りが出た80年代後半から90年代の終わりまで何度も繰り返した、総理大臣の首の挿げ替えがこれからも続くことになるのだろう。 PR 朝から青空が覗いており、金曜から続いた不安定な空模様がようやく治まったような気配だが、外に出てみると湿度は高くまだまだ油断はならない。散歩も遠出は控えなくてはならないようだ。「かみなり3日」という諺もあるのだから。
今朝は猛烈な雷の音で眼が覚めた。各地で被害が出ている豪雨の片割れが、我が家の近くにも訪れたのであろう。幸い雨は1時間もたたずにやみ、浸水や冠水の被害はなかった。
埋立地に住んでいるのだが、砂浜を埋め立てたもので、東京のような湿地帯を埋め立てたものではないので、大水による被害は起こりにくいのだろう。テレビの映像を見ると、ゲリラ豪雨の威力の恐ろしさを感じる。 政治の世界では、民主党から参議院議員3人が離党し、無所属議員2人と合体して新党を結成した。ゲリラ的行動であるが、政局に影響を与えるようなものではないと思う。 「改革クラブ」と名乗るそうである。2人は比例区で当選し、もう一人は昨年の参議院選挙で小沢代表が応援演説の第一歩を起こした岡山選出議員である。 選挙区で選ばれた者は離党しても、議席は有効だと思うのだが、個人・政党併記で圧倒的に政党名の比重が高い比例区選出議員が離党しても議席を保持できるのは納得できない。 現行の規定では、比例議員は他党への移籍は認められないが、新党への参加は認められるという。本来は議席を返上し、それから新党に参加するというのが道だと思う。政党交付金の対象となるには、5人の議員がいる事が条件となっているため、議席を手放せないのだろう。しかし、、次の選挙で有権者の支持を集めることはできないだろう。 新しい政党名は「改革クラブ」というそうだが、「改革」という言葉ほどいかがわしいものはないと思う。構造改革路線が何をもたらしたのかを見れば明らかであり、その後継者が提唱した「イノベーション25」も空虚な内容である。 明治の文明開化以来、「進歩」という言葉が流行りであった。進歩=よいことという考えが基調にあったのだが、成熟化社会の到来とともに、その弊害も目立ち始め、改革という言葉が脚光を浴びるようになったと思う。 進歩は成熟化により減速するのだが、「改革」ということで衰えを来るのを先延ばしにするというものだ。これは一本の成長曲線を描くからそうなるのであって、全く違う線を描く必要があるかもしれないと思っている。まだ考えを上手く整理できていないので、もう少しこの問題は考えてみる。 言える事は、進歩→改革という“進化”に何か違和感を覚えることである。
政府の月例経済判断で、「景気がこのところ弱含んでいる」という表現で、2002年2月に始まった景気回復が終焉したことを発表した。過去最長だったいざなぎ景気の56ヶ月を大きく超える、77ヶ月のロングランが終わったというのである。
景気に象徴的な名前が付くようになったのは、昭和30年代の高度経済成長の序章の時代に、歴史上かってない好景気をたとえて、神武天皇の時代以来最高ということで、「神武景気」という言葉が使われたのが最初ではないだろうか。それまでは、朝鮮戦争特需など直接的な名前だけであった。 昭和年にはじまった好景気は、「神武景気」をはるかに凌ぐものであったため、神武天皇の登場するはるか前まで遡る「いざなぎ景気」と命名されたのである。 今回の戦後最長の“好景気”には名前がない。いざなぎ景気のときは平均経済成長率が11.8%、バブル景気の時でさえ5.4%の実質経済成長率があったのに対して、今回は2.2%にすぎないのである。 名目成長率にいたっては0.8%の伸びでしかない。過去の好景気においては世界全体の経済成長率を大きく上回っており、相対的にも日本経済が強くなっているのが実感できたのだが、今回の“好景気”においては、世界全体の成長率は3%を超えており、相対的な日本の経済力は落ち込む一方だったのである。 2000年には世界で2番目に高かった国民1人あたりのGDPが、2006年には16番目まで大きく後退している。“好景気”が続いているのに、相対的な経済力がドンドン低下しているのは異常だといわざるを得ない。 そもそも景気のバロメーターの一つである、スーパーの売上高は10年連続して低下を続けている。世帯収入もしかりである。どこを見て“好景気”と判断していたのだろうか。恥ずかしくて景気に名前が付けられないのは当然だ。 確かにこの間企業業績は著しく伸びている。しかし雇用の削減という処置をともなうものであり、低金利政策による債務の減免など、消費者に犠牲を強いて企業業績を伸ばしたものであり、消費者にとっては先行きの不安感や政府に対する不信感を募らせただけではないだろうか。 企業は雇用だけでなく、設備、債務の三つの「過剰」を削減してきたため、「深くて長い谷は避けられる」というのがエコノミストの見方だそうである。 ハードルが低くなったために飛びやすいということなのだろうが、低くなりすぎたがために、一生懸命頑張って超えようとする「頑張る気力」が落ちてきたのが気がかりである。 仁徳天皇は「民の竈」から立ち上る煙を判断材料としたという故事があるが、国民目線を唱えるならば、景気判断は企業業績ではなく「民の竈」を基本にすべきであろう。
今朝はうす曇で、しのぎ易い陽気である。南風ではなく、東風が吹いているせいである。9時の気温が27度なのだが、この分では最高気温が30度に届かないかもしれない。今年の夏はまだ我が家ではエアコンをつけていない。どこまで我慢できるのであろうか。
知事が談合汚職にかかわったとして辞職し、世論の味方を得て当選した宮崎県で、公共工事が大幅に遅延しているらしい。入札制度を見直したのだが、受注した業者が次々に倒産したために、工事がストップしてしまったことがその原因のようである。 入札制度では、最も安い価格をつけたところが落札するのが原則である。しかし、安値受注による弊害もあるため、最低落札価格を設定し、極端な安値は除去する措置をとられる事も多い。それにもかかわらず、落札業者が次々に倒産しているというのは、別の問題があるのではないだろうか。 90年代に、業者の参入を容易にし競争を促すとして、発注規模の縮小を図った。道路工事などではKmの単位での発注を、百mを切る単位にまで分割したのである。これによって小規模業者も入札に参加しやすくなり、90年代はバブル崩壊の時期であったにもかかわらず、建設業者の数は増え続けた。 競争を促すことは、脆弱なものを淘汰することになり、悪いことではない。しかし、細切れ発注の仕組みは、脆弱な体質の企業も保護する側面がある。宮崎県だけの問題ではないと思う。そろそろ入札の仕組みを見直す時期にきているのではないだろうか。 一時的には最適であっても、環境が変わると最適とはいえない制度がある。振り子のように行ったり来たりしながら、その場に最もふさわしい制度を選択しなければならないものである。政治というのはビジョンに向かって進むだけでなく、その場の最適を考えるものでもある。構造改革もその一つだと思う。 |
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