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観光産業も輸出産業であり、円安の恩恵で急増しており、昨日発表された今年の11月までの訪日外国人数は950万人となり、この10年ほど目標にしていた年間1千万人の突破がほぼ確実になった。

観光産業は来日して国内で消費をするために、直接的な需要効果を期待できるとともに、“文化の輸出”の側面もあり、日本フアンを増やしたり、帰国後も日本食を楽しむなどして食品などの輸出増にも期待が持てるおまけ付きの産業でもある。人口減少で低成長が続く中で数少ない有望産業だと思っている。

政府も小泉内閣時代から観光産業に力を入れ出し、10年前の03年には521万人だった外国人観光客は、急激に伸び07年には835万人にまで達し、08年には念願の1千万人到達かと思われたが、リーマンショックの影響を受け09年には679万人まで減少してしまった。

それでも10年には盛り返して861万人と過去最高を達成したが、11年には東日本大震災の影響で再び621万人まで落ち込み、円安やピザ発給要件の緩和によって1千万人の大台突破になったわけだ。この10年間の推移を見てみると、観光産業は景気や環境変化に敏感な産業であることがよくわかる。

観光産業には、“安定”という言葉が不可欠のようだ。

10年前から430万人増えたのだが、そのうち380万人はアジアからのものである。逆に言うとヨーロッパは65万人から80万人、北米も80万人から86万人とほとんど伸びていないのである。

「アジアの経済成長を取りこむ」というのが、経済政策のキーワードになっているが、観光産業はお手本のような存在になっていると思う。

アジアの中でも、現在は東アジア中心で、韓国、台湾、中国、香港の4カ国で今年の観光客は622万人になっているが、その他のアジア地域からも106万人になっており、ヨーロッパや北米からの観光客数を上回るようになっている。

そのうち、地下鉄の駅の表示にもタイ語やインドネシア語が登場するのかもしれない。

東京オリンピックが行われる2020年に、2千万人の観光客が訪れることを目標にしているが、何事もなければ達成できると思う。その時は東アジアから1200万人、ASEANから400万人、ヨーロッパと北米が150万人ずつというのが、私の見立てなのだが…

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今朝の日経で世論調査結果が掲載されている。依然として内閣支持率は高い水準を維持しており、メディアが批判的な論調を続けている(特に読売)にもかかわらず、有権者は好感を持って新政権のやり方を眺めているように思われる。

日経の調査では「仕事振り」を評価する人が61%であり、政権発足後1ヶ月の評価では、麻生内閣34%、福田内閣40%、安倍内閣53%を大きく上回っていることが高い支持率の要因のようだ。

副大臣、政務官の姿が目立つことが、仕事振りの評価につながっているのではないだろうか。

大臣の姿も連日目に付き、前原国土交通大臣と仙石行政刷新担当大臣の姿が特によく登場する。中でも前原大臣はダム視察、JALの再建問題、羽田のハブ化など話題が多く、先日は北方領土の視察が報じられ、昨日は観光問題で中国の観光ピザ緩和など、八面六臂の登場の仕方をしている。

厚生労働省の分割案が仙石大臣によって提案されているようだが、国土交通省の担当分野も1人で賄うには大変な分野だと思う。

特に観光分野は、内需拡大の目玉になる分野であり、このブログでも何度か観光問題については述べてきたが、観光省にしたいほどである。省にして大臣を置くことが出来ないならば、せめて観光担当副大臣を1人任命し取り組むべきだと思う。

観光産業は、有形・無形の資源をサービスという形に変えて成り立つ産業であり、変換のための知恵を問われる産業でもある。知恵の発揮の仕方で無限の可能性を秘めている。資源の乏しい日本にとって、唯一資源を輸出できる分野でもある。成長戦略の柱に位置づけてもらいたいものだ。
観光産業は、「心の産業」であるということについて述べたい。これは、今月のマーケティング夜咄で、観光をテーマに話をし、観光産業の特徴を整理していた時に、K氏が思わず発した言葉である。したがって、「観光産業は心の産業」という言葉の著作権はK氏にある。

ネットワーク型産業である観光産業は、ネットワークを構成する誰かだけが潤えばよいというものではなく、ネットワーク全体がよくならなければならないのである。

これと対極にあるのが、温泉街にある大型旅館・ホテルである。慰安旅行などの団体を受け入れることで成長したこのような施設では、飲食店やBar、土産物店などすべてを施設内に設け、客を外に出さない戦略(言い換えると自分だけが儲ける)を徹底した。

その結果は、温泉街を浴衣掛けで散策する人の姿がめっきり減り、街の賑わいが失われてしまい、寂れた姿をさらす温泉地が少なくない。

観光産業は、自分だけがよければいいというのではなく、ネットワーク全体がよくなるということを意識しなければならないのである。アメリカ型のビジネスモデルで考えてはならず、金融危機以降のビジネスモデルにふさわしい産業ではあるまいか。

観光産業は、サービス業であり、「おもてなしの心」という言葉がもてはやされる。「観光地の○○」と言われて評判が悪いのは、観光客を「一見客」とみなして、ボッタくるからであり、これを諌めておもてなしの心が強調されるのである。

私は、観光客の意識にも変化があると思う。観光は癒しを求めるだけでなく、珍しいものを見るなど知識欲をも満たすものである。観光地を楽しむためには、知識の武装があるといっそう深まるものである。

一座建立という言葉がある。これについては2007年3月7日付けのこのブログに詳しく触れている。観光は人との交流を通じて一座建立の精神を醸成するというのが、日本のような超成熟化社会にふさわしいと思うのである。

さらに、地域の伝統や歴史、文化を認識し、多くの観光客がその魅力を頼って訪れる(=有名になる)ことで、「郷土愛」が育まれるのである。

以上の様なことが重なって、「心の産業」という言葉が生まれたのである。この言葉がキーワードだと私は思う。
観光の市場規模がわかりにくいのは、「観光業」というものがないためである。市場規模を捉える場合、供給側から捉えるか、需要サイドを押さえるかの2通りある。一般的には、供給側からカウントする方がやりやすく、政府統計はすべて供給側からのものである。

ところが、観光業というものが存在しないため、観光産業の市場規模を把握するのに困難を極めるのである。

観光産業は、鉄道やバスなどの輸送機関、宿泊施設、飲食店、観光施設、物販店など多種多様な業種が参画して、成立している。ところが、輸送機関や宿泊施設・飲食店などは、観光以外の目的でも利用されており、観光だけを切り出すことが不可能なために、供給サイドからは追いきれないのである。

需要から市場規模を推定するには、消費者に対する調査でカバーすることになる。ところが、全国の市場規模を出すには数千のサンプル調査で何とかなるのだが、観光産業は地場産業であるため、地域別の市場規模が必要になる。地域を都道府県単位で取るとしても、そのためには膨大なサンプルが必要であり、容易ではないのである。

それもこれも、観光業というものがないためである。

見方を変えると、観光産業は輸送機関や宿泊施設、飲食店など様々な業種のネットワークによって成立している点に特徴があるといえる。

自動車産業や住宅産業も、多様な業種(主として部品だが)のネットワークによって成り立っているのだが、頂点に自動車メーカーやハウスメーカーなどの最終組立てメーカーが存在する点で、観光産業と異なるのである。旅行代理店は、一部しかカバーできていないのである。

ネットワークという言葉の、私の定義は「個々の独立した組織の有機的な結合」である。有機的な結合とは1+1=2になるのではなく、ネットワーク効果で化学反応を起こすことにより1+1が3にも4にもなるということである。

有機的結合を起こすためには、コーディネーターが必要だが、これは行政の役割ではないかと私は思う。この場合の行政は国ではなく、地方自治体になるのだが、市町村では範囲が狭く、県レベルになると思う。

理想を言うなら、地域振興の役割が大きい道州制のレベルが最も適していると思う。したがって、道州制の地域割りは大きな問題になり、中国地方と四国を一緒にするような案は、中央集権的考えの延長であり、受け入れられないものである。
観光の話の続きを。

例によって、「日本国語大辞典」によって、語意を調べてみた。2つの意味が書かれている。

一つ目は、「他国、他郷の景色、史跡、風物などを遊覧すること。また、風俗、制度などを視察すること」となっており、前段は我々が現在観光として理解していることであり、後段は「視察」という言葉の方がふさわしいように思う。

二つ目は、語源にかかわるもので、易経の「観国之光」という言葉が紹介されている。国の「威光」を見るという意味で、国の文物や礼制を観察するということを示していた。

光とは景色のことではなく、威光だったのである。一つ目の意味の後段の方に近いように思う。

日本では中世からこのような意味で用いられており、遊覧の意味で用いられるようになったのは、明治時代後半からだとされている。

「遊覧」という意味が強くなって、富国強兵にいそしむ時代に、卑しいものとして見下されることになり、それが「産業」という考えに中々いたらず、「観光産業」としての産業育成が進まなかった理由であると思う。

観光が産業として見直されるようになったのは、昭和40年代になってからであり、高度経済成長の果実として余暇が生まれ、余暇の充実ということを意識しはじめてからである。城山三郎の「官僚たちの夏」の主人公のモデルになった通産官僚(名前を忘れてしまった。調べて明日のブログに名前を紹介する。)の貢献は大きいと思う。

政府が産業としての意識が乏しい証拠に、観光庁が発足するまでは、国土交通省の総合政策局の中に課として設けられているだけだったことでよくわかる。

産業としての位置づけがなかったことの一つに、統計の不備が上げられる。実は、観光産業の市場規模がいくらあるかを示すデータがないのである。市場規模がわからないため、観光産業がないがしろにされていた面もある。


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