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今日の最高気温は18度になるとのこと。ようやく春の訪れとなりそうなのだが、来週は寒さがぶり返しそうで、油断は禁物だ。

朝はBSの海外ニュースをつけていることが多いのだが、政治や経済のニュースとともに、天候の話題が取り上げられることが多いように思う。イギリスのBBCは南部の洪水、アメリカのABCは寒波の話題が多く、今年は北極の寒波の吹き出し口が北米に拡がっているようだ。

日本でも先日山梨県でこれまでの最高記録の2倍となるドカ雪が降り、地球温暖化の進展や、“異常気象”という言葉をよく耳にする。少しひっかかるのは、“異常”という言葉である。

最近読んだ本で、「日本史の謎は地形で解ける」(竹村公太郎著 PHP文庫)というものがある。著者は土木の専門家で建設省の河川局長などを務めたキャリアの持ち主で、道路や河川といったインフラの視点から、日本史の必然性を論じており、興味深く一気に読んでしまった。

「元寇が失敗したのは、泥の土地」という分析がある。日本には「車文化」がなく(平安時代に牛車があった程度で、江戸時代の輸送も水運が中心であった)、道路状況が悪かったため、蒙古軍お得意の戦車や騎馬の攻撃ができず、陸上と船の間を行ったり来たりしているうちに台風が来てしまったとのこと。なるほどと納得させられるものである。

吉原が人形町から三ノ輪に移ったのは、「治水上の問題」からという分析や、京都に都が1000年続いた理由や、奈良が衰退したわけを地形や道路、河川の視点から説き起こしている。

この本の中で度々登場するのは地形図であるのだが、海抜5mの地点を海岸線にしたものになっている。6000年前の縄文海進を再現するためのもので、関東平野は埼玉県まで江戸湾が入っており、大阪湾もぐんとえぐれて私の生まれ育った枚方あたりも、淀川のほとりではなく大阪湾に面していたようだ。

海抜が5mかわると随分風景が変わるもので、視点の置き方の重要性に気づかされるのだが、問題はポイントをどこにおくかだと思う。

今の環境に慣れすぎているため、ちょっと寒かったり暑かったりすると異常気象という言葉を使いたくなるのだが、二酸化炭素の放出量がうんと少なかった縄文時代は今よりはるかに温暖化が進んでいたことになる。

縄文人が海抜が5mも低くなっている現在の地球を見た場合、どんな感想を持つのか聞いて見たいものだ。

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眼の調子が悪く、一時読書量がめっきり減ったが、飛蚊症という診断を受けてからはすっかり元のペースに戻り、週に1冊以上は読んでいるように思う。悪い病気を覚悟したのだが、誰にでも起こりうる症状と聞いて、今も左目の中で蚊がブンブン飛び回っているのだが、あまり気にしなくなっている。現金なものだ。

昔は小説を読むことが多かったのだが、最近では新書を読むことの方が圧倒的に多くなっている。昨日まで読んでいたのは、「本当は誤解だらけの“日本近現代史”」(ソフトバンク新書 八幡和郎著)であり、読み始めたのは「生物と無生物の間」(講談社現代新書 福岡伸一著)という具合に、特定のジャンルではなく、手当たり次第に興味のあるものを読むという乱読ぶりである。

そんな中で、少し前に久しぶりに読んだ小説が「法服の王国」(産経新聞出版 黒木亮著)である。新書よりもサイズの大きいB5判で、上下2巻のボリュームであるが、1週間ほどで読み終えた。

一般人にはなじみのない裁判官の世界を描いたもので、裁判官はカバンを持たずに風呂敷包みを持つ理由など裏話が分かったり、昭和30年代の初めから現在までの司法の世界に起こった出来事の実情がよくわかる内容になっている。青法協問題、長沼ナイキ訴訟や伊方原発訴訟など、名前は聞いたことはあるが、内容にはほとんど関心がなかった事例の裏側がよくわかり、歴代の最高裁長官や政治家が実名で登場することもあり、興味深く読めた。

この小説では、政治権力に司法が翻弄され、圧力を加えられてゆがめられる場面が再三出てくるので、軽い憤りを感じていたのだが、選挙制度に関する違憲判決が最近では度々起きているので、政治に対するささやかな司法の反撃ではないかと思うようになった。

そんな中で、婚外子裁判にどのような判決が出るのか注目していた。115年前に民法で規定された婚外子の相続差別は、“妾の子”に対する警鐘のようなものであったと思う。しかし社会が移り変わり、妾の子の存在が希薄になった現在では、時代にそぐわないものであるので、違憲判決は当然の結果だと思う。

法律の改正は立法府が担うものであり、違憲判決が出るというのは政治家の怠慢以外の何物でもないと思う。違憲判決というのは司法が政治権力へのささやかな抵抗の武器であり、権力の暴走を抑えるバランサーの役割を果たしているものだと思う。

よりどころとなる憲法を、コロコロ変えることのできる改憲規定の緩和などはもっての外だと思うのだが。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がぴったりあてはまり、ようやく秋の空気と入れ替わったようで、昨夜は今シーズンの初鍋となった。きっかけは、昨日の相撲中継で幕下以下の優勝力士インタビューで、三段目の優勝力士が部屋のちゃんこ番をやっており「今晩はさっぱりしたトリのちゃんこの準備をします。」という言葉を聴いたからだ。

三段目とはいえ、優勝した夜ぐらいはお祝いをするのかと思ったが、関取とは違いちゃんこ番をするのが当たり前なのだろう。子どもの頃母親から、「お前は“話食い”やな」ということをよく言われたが、昨夜も三つ子の魂の血が騒ぎ、鶏の鍋になった次第だ。

広島・大阪への出張では新幹線のトラブルもあり、美味しいものにありつけることはできなかったが、逆にじっくり読書することはできた。今回の出張の友は、「昭和史」(中村隆英著 東洋経済新報社)である。

93年に出版されたもので、これがこのほど文庫化されたものである。虎ノ門の書店で大きなポスターが目に付き、買い求めておいたものである。宣伝に釣られて買ってしまうというのは、ここでも“話食い”の本領発揮というところか。

450ページほどの上下2巻になっているが、ようやく上巻が終わりかけたところである。新幹線で広島までの往復8時間に、新富士での停車時間1時間半を加えると10時間ほどの読書時間があったが、居眠りや喫煙ルームの利用などで2時間ほど抜けたが8時間ほどは読書に集中していたと思う。

それでも、上巻の9割ほど読み終えただけである。文庫本の小説なら1時間に100ページは読めるのだが、その半分ほどにペースダウンしてしまっている。著者は経済史の専門家のようであり、政治だけでなく経済の観点からも時代を分析しており、中身が濃いためにペースが上がらなかったのであろう。

上巻は大正の末期から、終戦まで。下巻は戦後復興から昭和の終焉までの構成になっている。全部読み終えてから感想を書くべきなのだが、前半だけでも書きたいことが一杯できてしまった。

これまで昭和の歴史というものにあまり興味を持つことはなく、特に戦前の戦争に至るまでの歴史を描いたものをきっちり読んだことはなかった。忌まわしい歴史を振り返りたくはなかったのかもしれない。

それだけに、新鮮な目で読むことができて新しい発見が一杯出てきた。政治の世界では、二大政党制で政権交代が頻繁に行われたが、足の引っ張り合いが繰り返させられていたということだ。「閣内不一致」を叫んで政権を揺さぶり、変わっては見たものの、攻守所を変えただけという政治が延々と続くのである。

後で調べようと思うのだが、大正末期から開戦までに何人首相が変わったのだろうか。1年任期の首相や、足の引っ張り合いなどは今の状況と全く同じだ。なぜ日本が敗戦に至ったのか、政治家の大好きな“勉強会”にこの本をテキストにすることをお勧めしたいものだ。

日本の満州から始まって、中国への進出の歴史を淡々と触れているのだが、それだけに中国人が日本に対してどのような思いを持つのかがよくわかる気がした。「毅然とした態度」という言葉を使用禁止にしなければならないという思いを持ってしまった。

巻末の資料に、日本の太平洋戦争による人命被害が掲載されている。240万人余りの人が亡くなり、内訳は軍人190万人、民間40万人である。ヨーロッパに目を転じると、ソ連が2000万人を超え、ドイツ680万人、ポーランド610万人と日本をはるかに超える犠牲者が出ている。

ヨーロッパの戦いの凄さがよくわかる数字で、ユーロの持つ意味がよくわかったのだが、中国の被害はどこの資料にも出てこない。数えきれないということだろうか。

昭和の歴史から目をそらさず、我々の先祖は何をしたのか冷静に見つめ直す必要があると思う。経済学者が淡々と歴史の事実を拾い集めている。良書だと思う。



先月下旬に、出張の行き帰りに読むために5冊の新書を買い求めた。そのうちの1冊は面白くて出かける前に読み終えてしまった。「ハーバード白熱日本史教室」(新潮新書 北川智子著)である。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学で数学と生命科学を専攻した女性がハーバードで日本史を教えるという意外性と、何より本の帯と裏表紙に掲載されている写真に魅かれて購入してしまった。

歴史に興味を持っている人から見れば何とはない内容だが、ティーチングという観点から見れば面白い本だと思う。教師に読ませたい本だ。

ハーバードの日本史の授業は不人気科目で、彼女の赴任する前年の受講生はわずか2人という“家庭教師”状態であったようだ。それが、16人の授業でスタートし(これでも対前期比800%だ)、後期には20人にまで増え、さらに2年目の秋学期には80人、春学期に104人、3年目の秋学期では136人、春学期にはとうとう251人まで受講生が拡がったらしい。驚異的数字である。

成功の秘密は、若くて美しい日本人の先生に教えてほしいということだけでなく、授業の進め方が学生の評判がよく、キューと呼ばれる学生の評価(顧客満足度調査だ)が高い得点を獲得したことが大きいようだ。

学期ごとにテーマを変え、「Lady samurai」と「KYOTO」の2つのコースを設けている。前者はサムライの歴史ではなく、女性に焦点を当てたこと、後者は1540年から1640年の100年に絞り、さらに外交史という観点で見据えている。通史を教えるのではなく、一部分にスポットをあて、そこから学ぶというスタイルをとったことが学生の興味を引いたのだろう。

さらに、授業の進め方も先生が一方的に話をするのではなく、学生の参加を求めるというサンデル教授の白熱教室と同じスタイルをとっていることである(アクティブ・ラーニングというらしい)。

サンデル教授と違うのは、地図を書くことから始まり、ラジオのニュースや映画の製作など音響効果や映像などを最新の機器を駆使して製作し、プレゼンするという踏み込んだ形式を採用していることだ。個人学習でなくグループ学習になり、音響や映像など学生が楽しくて思わず前のめりになるような工夫がなされている。

私も研修やセミナーでは、問いかけ調で進め受講生の声を引きだしながら話を進めるというスタイルをとっているが、グループ学習を促すようなことまでは出来ていなかった。次にやる機会があれば、グループ学習の手法(セブンイレブンの観察が定番の宿題なのだが、これを数人のチームでやらせてみたい)を取り入れてみたいと思う。

数学と生命科学を専攻していた(このダブル専攻というのも凄いが)人物が、180度違う歴史の教授になるという動機に興味を持ったが、大学時代に日本史の教授のアルバイトで歴史書の翻訳を手掛け、そこで「何かおかしい」と感じたことにある(これが「Lady samurai」につながったのだろう)。彼女の持って生まれた感性なのだろう。

「印象派歴史学」という言葉を巻末に用いている。細部はぼやっとしていても、全体のイメージは鮮烈に残るということで、大づかみに切り取ることだと解釈したい。感性というのは、大づかみにする能力ということなのだろう。

大学時代のダブル専攻も凄いことだが、歴史学のドクターコースを3年で終えてしまった事、趣味のピアノを1日2時間弾き、アイスホッケーのクラブに入るという多彩さとエネルギーには圧倒される。

どんな人か興味があったのだが、先週の金曜日のプライムニュースに出演していた。函館で飽食にうんざりした夜だ。出かける前に気が付いたのだが、ホテルでBSを観られないところが多くあきらめていたが、さすが高級ホテルで視聴することはできた。

食事の時間が長く、終わりの部分を垣間見ただけだったが、想像以上に魅力的な女性だった。天は二物を与えるのだ。


邪馬台国はどこにあったかという論争では、大和説の方が優勢にあるように思う。しかし、私は昨日から九州説、しかも北部九州ではなく日向にあったとする意見に賛同するようになった。

このように考えるにいたったのは、「日本古代史を科学する」(中田 力著 PHP新書)を読んだからである。自分の会社にサイエンスという言葉を取り入れたように、私は“科学”という言葉にはこだわりを持っている。古代史という一見科学とは無縁に思えるものに、科学のメスを入れるという面白さに魅かれて、タイトルだけでこの本を買ってしまった。

著者の中田力(なかだ つとむ)氏は、医師でありファンクショナルMRIの世界的権威と紹介されている。さらに、複雑系脳科学の世界的権威であるとも書かれており、“科学する心”でどのように古代史にメスを入れるのかの興味もあり、病院での待ち時間と行き帰りの3時間ほどで読み終えてしまった(手術した眼の定期検査の日であり、散瞳されたため読み辛かったにもかかわらずだ)。

この本では、古代史の謎ときにあたり、複雑系科学的アプローチをとり、その分析・論理展開を行っている。この本の主題は日本古代史の原典ともいえる「記紀」の読み時にあるのだが、目次を見ると序章は「21世紀の科学」というタイトルから始まっている。その中は、「人文科学」「物理学の終焉」「考古学への応用」という3つの節にわかれており、1+1=2を前提とした線形物理学の限界と、複雑系科学の考え方が概説してある。

一言で複雑科学系アプローチの特徴を現わすと、「条件設定と全体像の把握」ということになるのだろう。私の仕事にも相通ずるものがあるというか、そのままあてはまるものであるように思える。以下におろそかにしていたか、深く反省!

この本では「記紀」にいたるまでの出発点として「魏志倭人伝」を取り上げ、そこから邪馬台国日向説まで分析が展開されている。科学者らしいのは、「宇宙考古学」という衛星画像を用いた手法も交えて、魏志倭人伝の記述内容を辿り日向の地にまで進んでいくのである。

さらに、人の染色体解析や稲の遺伝子分析から、日本人の成り立ちについて考察を進めている。どうやら弥生人というのは、中国からの渡来人であったようだ(朝鮮半島経由でないところがみそのようだ)。

この本の最後は、「万世一系」という言葉で締めくくられている。学習院の初等科から高等科まで学び、東大医学部に進んだ人らしい結論の導き方ではある。結論はともかく、途中のテンポよい分析の進め方は推理小説を読んでいるような気分になり、面白い本だったと思う。


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