社長のブログです
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先日、小泉進次郎議員の予算委員会の質問に感心したばかりだが、昨日も一人有望な若手政治家を発見した。民主党の友近参議院議員だ。
元Jリーガーで、愛媛県選出の参議院議員である。参議院議員にはスポーツ界出身の議員が何人かいるが、ほとんどは比例区からの出馬になる。スポーツ選手としての知名度を生かすには、特定エリアではなく全国から広く・薄く票を集める方が適しているからだろう。 友近議員は、そんな中で愛媛選挙区から出馬している。元Jリーガーといっても、J2の愛媛所属であり、スポーツ選手としての知名度は荻原健司や橋本聖子など五輪のメダリストとは格段の差があり、薄くは集められても広くは集められそうもないから、地方区からしか出馬できなかったのだろう。 逆に言うと、一人を選ぶ選挙戦を勝ち抜いてきたのだから、単にアスリートとしての知名度だけでなく、有権者に訴えかける何かがあったのだろう。その理由が、昨日の予算委員会の質問ぶりを見ていてよくわかった。 昨日初めてその活動を見たわけだが、容姿や話しぶりなどはスポーツ選手の華やかさからはかけ離れた地味なものだった。質問も最初は国立競技場の改修問題や、TOTOの活用などを取り上げており、スポーツ界出身の議員によく見られる「スポーツ振興」が中心であった。 これで終わりかと思っていたら、途中から思わず聞き入ってしまうようなものに変わっていった。中国での冒認出願問題を取り上げたのだ。ぼうにんと読むらしいのだが、初めて聞いた言葉であり、最初は“ろうにん”と聞こえてしまい辞書を調べてみた。 新明解にはこの言葉が乗っておらず、ネットで調べて初めて冒認出願という言葉に行き当たった。パソコンでぼうにんと打っても、冒認という文字は変換されない。それほど一般にはなじみのない言葉である。 発明者や考案者でないものが出願した特許の事で、特許法には認められないことが記載されているらしい。 特許無法国の中国ではこれが横行しており、日本の地名や産地ブランドなどがドンドン中国で商標登録が進み、日本の地域ブランドが中国で販売を展開しようとしている時に、大きな妨げになっているというものである。 例えば、コシヒカリやササニシキという言葉はすでに中国企業によって、商標登録がなされており、新潟県産や宮城県産という表示でしか中国では販売ができないということらしい。 松阪牛も、“松坂牛”という商標が既に登録されているとのこと。私も、3年前に大連の空港の売店で、“午後の紅茶”と“午后紅茶”が並んでいたのに驚いたことがあり、昨年の広州でもスーパーの売り場で“津軽”というリンゴが売り場を占拠しているのにも出くわした。 この問題を大きく取り上げ、政府としての対応を迫った質問は、見事な若武者ぶりだったと思う。先日の小泉議員に続いて7.0を差し上げたいと思う。何せ、冒認という辞書にもない言葉を初めて知ったのだから。 でも昨日の質疑の模様を、取り上げたニュースがどこにもないのが残念だ。 PR
昨日の午前中は天気が悪かったので、“自宅待機”とした。暇つぶしに、テレビの国会中継を見たのだが、自民党のトップバッターとして登場した野田某の質問にはうんざりした。自民党議員の質問者のパターンには3種類ある。
一つ目は、上から目線の「教えてやる調」である。「小泉政権ではこうした」「橋本政権では…」など、過去の事例を持ち出し、民主党政権の“いたらなさ”を協調して、説教をするものである。昨日の野田某もそのパターンで、かっての大臣経験者や派閥の領袖に多い。私は鼻をつまみながら聴くことにしている。 二つ目は、「追求型」である。キャンキャン吠えるスピッツのようにわめきたて、政府のあらさがしに終始するもので、政策論議など一切ないものである。参議院の山本某などはその典型で、耳をふさぎながら聴くことになる。 ところで、スピッツは私の子供のころはペットとして人気が高かったように思うが、最近はとんと見かけることはない。キャンキャン吠える事が嫌われてすたれたのだろうか。 三つ目は、まともに議論をするタイプである。先日の野田聖子議員がそうであったし、名前は失念したが思わず聞き入るような質問をした議員もいる。名前を忘れてしまったのは著名議員ではないためだが、顔はしっかり覚えている。 このタイプが登場すると、鼻をつまむことも耳をふさぐこともなく、仕事の手を休めて注視することになる。昨日の小泉進次郎議員もこのタイプでのやり取りであった。これまでも何度か予算委員会の質問に立ったが、それほど印象に残る質問ではなく、親の七光り議員という印象の方が強かった。 しかし、昨日は「社会保障の世代間格差」を取り上げ、全世代型の社会保障を訴えた質問ぶりは見事だった。社会保障の論議ではともすると年金や高齢者医療制度など高齢者問題に関心が集まりがちだが、「全世代対応」という切り口での質問は新鮮だった。名質問といってよいだろう。 ふつうに働いている人は、国会中継を見る機会はほとんどないであろう。ニュースで流れるのは断片的なモノだけで、流れがつかめず評価はできないであろう。サッカーの試合で、個々の選手のその試合での活躍ぶりを5点満点や、10点満点で記者が採点することがある。 これと同じように、記者の目で議員の質問、大臣の対応を採点するというのはどうだろうか。ちなみに昨日の小泉議員には7.5、野田某は4.0、岡田大臣は4.5、野田総理も4.5、小宮山大臣はいつものさえがなかったので4.0というのが私の採点だ。
昨夜のマレーシアとの試合は私にとっての魔の時間帯の10時からのキックオフで、案の定前半10分ほどで沈没してしまった。立ち上がりの緊張感、夜でも30度の暑さということもあり、動きが鈍かったことが睡魔に襲われた理由だと思う。
立ち上がりから溌剌としたパスサッカーが見られたら、ハーフタイムの15分が乗り切られたかどうかは疑問だが、前半は起きていられたと思う。朝起きてみると、シリアがバーレーンに敗れていた。まさしく「果報は寝て待て」ということだ。フランスW杯の予選で、UAEが敗れてかろうじてプレーオフへ進出したことを想い出してしまった。 昨日の衆議院の予算委員会は、税と社会保障の一体改革についての集中審議で、久しぶりにまともな議論が戦わされたと思う。テーマが限定されているため、防衛大臣の“口頭試問”がなく、この国も未来についての真剣な議論があったと思う。 テーマがテーマだけに、人口問題について避けて通れず、人口についてのデータを持ち出しての質疑が行われていた。その中で目を引いたのは、「中位年齢の国際比較」と、1000年以上の歴史をさかのぼっての「人口推移の推定」の二つのデータである。 このところこのブログへの検索サイトからのアクセスで圧倒的に多いのは、「世界の平均年齢」についてのものであり、毎日数件のアクセスがある。長妻議員が持ち出した中位年齢は、平均年齢とほぼ同じ値であり、ようやくここにスポットが当たってきたことを長らく主張してきただけに、少し嬉しく感じた。 もう一つの人口推移は、どこかの省で試算したもので、長妻議員と自民党の野田聖子議員が持ち出している。これによると、日本の人口は1000万人前後で推移していたものが、江戸時代に入って3000万人まで急上昇し、3000万人前後で明治の初めまで推移している。 江戸時代になって政権が安定したことで人口が増え出し、新田開発による食糧増産が3000万人をもたらしたものだが、食料供給の限界で3000万人から超えることはなかった。これが明治以降の富国強兵政策で豊かになり、この100数十年で人口が4倍に膨れ上がり、この後の数十年で急速に萎むというものである。 社会保障だけでなく、経済、社会システムの根本は人口にある。年金のチマチマしたことを取り上げる議員が多い中で、少子化対策一点にテーマを絞った野田聖子議員の問題提起には思わず拍手を送ってしまった。 国家100年の計を語るには、人口問題が一番先に来るものであり、先日のこのブログで、政治の達成度指標に「特殊出生率」を用いるべきと書いた私にとっては、我が意を得たりという感がした。 今朝の日経を楽しみに見たが、どこにもこのことについて触れた記事は見当たらなかった。“問題発言”は取り上げるが、“まじめな質疑”は記事にはならないのだろうか。
昨日、大阪維新の会の「船中八策」が発表された。政治家や“有識者”の発言を聞いていると、やや冷やかな見方をしている。「いうのは簡単だが」「性急すぎる」などの批判が多いようだ。「数字が示されていない」という意見もあるようだ。
有権者は、先の総選挙の民主党のマニフェストに踊らされたが、政権交代後の惨状を見るにつけ、もう言葉には惑わされないという見方である。 しかし、私はもう一度有権者は“騙される”のではないかと思う。維新の会の「船中八策」の目玉は、首相公選制や道州制、参議院の廃止など統治機構・システムの抜本改革にある。失われた20年の要因は、政治・統治機構の機能不全によるところが明らかであり、「何も決められない政治」に失望した有権者の支持を集めると思う。 もう一度騙されてもよいから、今のまま続けるよりも、新たな選択をした方がましだという判断が働くと思う。何よりも、この動きが西から起こったことが大きいと思う。 明治維新の原動力は西の勢力である。歴史の授業では、江戸時代の「三大改革」というのを教わった。しかし、改革とは名ばかりで、いくばくかの幕府の財政再建に効果はあったが、庶民の暮らしは辛抱ばかり強いられ、成長にブレーキをかけただけであった。東京発の改革とはそういうもので、改革や財政再建が声高に叫ばれている今の状況とダブって見えて仕方がない。 というわけで、大きなうねりが来ると私は思う。問題は、実行力にあると思う。明治維新が成功したのは、大久保利通が居たからではないだろうか。討幕の大将は西郷さんだが、新政権の立ち上げに最大の功績を残したのは大久保利通だ。 民主党政権も、西郷さんや龍馬のようなタイプの人間ばかりで、提案したことを実行に移すタイプの人間が居ない(かろうじてドジョウ首相には片鱗がうかがえるのだが)のが、3度も首相が変わった要因だろう。 橋下市長も、どちらかというと西郷さんタイプで、大久保利通が維新の会にいるのかどうかわからない。そういう危惧もあるのだが、次の選挙では、「ある程度の勢力」に留まらないような気がするのだが、どうだろうか。
昨日は将来予測に関するニュースが2つあった。一つ目は、国立社会保障・人口問題研究所が発表した「将来推計人口」、二つ目は政府が最低保障年金の創設を柱にした新年金制度に必要な財源の公表を当面“非公表”としたことである。
最初の将来推計人口は、50年後に日本の人口が1/3減少し、65歳以上人口の占める割合が4割を占めるという内容のものである。ショッキングな予測に、日経の見出しでは「働き手50年後に半減」「経済の活力低下」「社会保障“肩車型”に」という見出しが並んでいる。 人口の将来予測は簡単だと思う。合計特殊出生率を設定し、掛け算を繰り返すだけでできるものである。肝心なのは、特殊出生率をいくらに設定するかだけであり、それを私が設定したのではだれも信用しないのだろうが、国立の研究機関がお墨付きを与えたもので、大きなニュースになったのであろう。 特殊出生率というのは、施策次第でいくらでも変わりうると思う。今回の試算では、特殊出生率が今より下がると想定してのものになっている。この数年特殊出生率は上昇している。人口問題研究所は、第二次ベビーブームの人たちの駆け込み出産という特異なケースのためであり、14年以降は出生率は低下すると予測している。 このまま何の手も打たなかった場合の試算である。「子どもを産みたい人」が全て出産すると、特殊出生率は1.7まで上昇するとのことである。予測に用いられていた数値よりも、0.36高いことになる。これでも人口減少になるのだろうが、かなり人口構造は違ったものになると思う。特殊出生率1.7まで持ち上げる、あるいはそれ以上にするのが政治の役割であると思う。 しかし、二つ目の将来予測について、政治がすったもんだしている。政府が試算した将来の消費税増税分について、野党が公表を求め、政府がこれを拒否しているものだ。しかし、おかしなことは“非公表”としている数字が、ご丁寧に表にまとめられ新聞に掲載されている。これによると、2035年には0.1から0.6、2075年には2.3から7.1の増税が必要とのことである。 公表していない数字が記事になっているというのは、新聞記者の取材能力の高さなのだろうか?すでに出回っているものについて、“非公表”というのはおかしな話だ。野党も、これをとらえて“隠ぺい体質”と批判するのもどうかと思う。 政治の世界に期待したいのは、合計特殊出生率が1.7まで向上するためにどんな手立て・施策が考えられるのか、人口増になる2.08まで引き上げるにはどんなことが考えられるのか議論してほしいと思う。そのためには産業政策も極めて大きい意味を持つと思う。 日本は失われた30年に向かってまっしぐらに突き進んでいる。これは政治の無能のせいである。特殊出生率がどのように推移するかを、政治の成果指標としてとらえるというのはどうだろうか。 |
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