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昨日報道されたNHKによる世論調査によると、内閣支持率は16%と大きく低下し、民主党の政党支持率も13%にまで急落した。世論調査は国民のストレステストのようなものであろう。10%台の支持率は政権の“再稼働”は認められないレベルの数字であると思う。

ところで、このストレステストのことを「負荷検査」という言葉と、「耐性検査」という言葉を用いている報道機関がある。同じような意味だが、負荷は“かける”という言葉と合わせて用いられることが多く、耐性という言葉には“耐える”という受動的な感じがあり、言葉から受けるニュアンスは微妙に違うように思う。

世論調査によるストレステストは、後者の耐性検査の意味合いの方が濃いように思うのだが。

原発のストレステストについて、政府の“統一見解”が昨日発表された。停止中の原発に対するものと、稼働中あるいは再稼働させたものについてのものと2回に分けて実施するというものである。

おかしな話である。2回に分ける理由が良くわからない。ストレステストは、原発を安心して稼働させられるかどうかを判断するためのものであるはずで、2回に分ける必要はないというか、2回に分けるとおかしな話になると思う。

一次テストと二次テストに分けるのは、網の目を替えてふるいにかける時に用いられる手法であるが、原発をふるいにかけなければいけないのだろうか。もし一次テストが網の目の大きなものだとしたら、再稼働を受け容れる自治体はどこもないのではないだろうか。一次テストが網の目が細かいものなら、二次をやる理由がなく、矛盾だらけだ。

再稼働ありきの2段階方式であり、再稼働派と停止派の両者の折衷案的“統一見解”である。これでは再稼働を認めようとしていた玄海原発に待ったをかけてまでストレステストを実施することの意味がないと思う。この問題を政争の具にする“フラ菅”によって、統一見解の修正が行われるのではないだろうか。

いつまで国民は耐えられるのだろうか。
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このところ1週間以上青空を拝んでいないように思う。週間予報では当分晴れ間が望めないようで、梅雨時とは言え6月の日照量は記録的な少なさになるのではないだろうか。8月の日照不足は凶作につながるが、梅雨時の日照不足は農作物に影響を与えるのだろうか。

鬱陶しい空模様が日本全体を覆っているが、天気以外に鬱陶しさをもたらしているのは、辞めると言いながら“意欲”を持ち続ける人の存在もありそうだ。

今朝の日経の一面には「首相三次補正に意欲」とあり、一方NHKのニュースでは「社会保障と税の一体改革今日にも決着」と報道されている。日替わりのように「首相○○に意欲」という記事が目立つようになった。

アメリカの大統領は一期目の終盤には「再選」が、二期目の終盤には「何を残したか」ということが最大のテーマになるという。

辞めざるを得なくなった時に、菅首相も“業績”がちらつき出したのだろう。このところの「○○に意欲」の連発は、「一定の目途」の目途がつかないため、ずるずると居座っているかのように見える。

その原因は、「やりたいことがあって首相になった」のではなく、「なりたくて首相になった」からではないだろうか。ビジョンがないか、抽象的すぎるために、目途がはっきりしないのだと思う。

このような政権がずるずる続くと、国政が停滞するばかりか、外交面でのマイナスも大きいと思う。実行が担保されない政権とまともに話し合いをしようとする国はないからだ。

日本人はサクラが大好きであるが、パッと咲いてパッと散るということに美しさを感じるためだ。今の状況では「立ち枯れ」の寂しさが付きまとう。

「○○に意欲」という日替わりの見出しはもう見たくないものだ。

国債特例法案を人質に取った野党と、首相退陣という“切り札”を切った与党との駆け引きが続いている。子ども手当だけでなく、農家の所得保障や高速道路の無料化、高校無償化など民主党のマニフェストの修正がポイントになっている。

このやり取りを見ながら、先日テレビでちらっと見たスタンフォード大学の授業を想い出した。ブレーンストーミングについての名物授業で、女性教授が指導する授業の最初は、パーティの計画についての議論であった。

二つの方法を学生に試させている。一つ目は相手の計画に対して一つ一つに反対意見を述べさせるもので、二つ目は相手の計画に対してさらにアイデアを付け加えさせるものであった。

次に学生に“最高の家族旅行”と“最低の家族旅行”を紙に書かせ、そのうち最高の家族旅行を記した紙を破り捨てさせ、残った“最低の家族旅行”について、一分間のCMを作れというものである。

議論とは何かを教えてくれる授業であると思う。相手の欠点をあげつらうのではなく、相手の長所を見極め、それにさらに魅力を付け加えるためにアイデアを出し合うというのが議論であるはずなのだ。

09年の民主党はそれまでの政権では打ち出せなかった斬新なマニフェストで政権交代を実現した。政権を失った自民党は、新たなもっと魅力的なマニフェストを打ち出すのかと思いきや、民主党のマニフェストを引きずり下ろすことに血道をあげているのである。

自分の得点を上げる事より、相手の得点を減点させるというのは何も生み出さない不毛の議論だと思う。前述の授業風景はビジネススクールのものである。ビジネスの世界では減点法をやっていては生き残れないが、政治の世界では加点法では生き残れないのだろうか。

昨夜のBSの野球中継はソフトバンクと巨人の試合で、一昨日に続いて8時半には試合が終了してしまった。野球中継が地上波から消えてしまった理由の一つが、試合時間にあり、これからという時に中継が終了することが多かったためだ。

早くから“飛ばないボール”を導入し、ストライクゾーンを広げていれば野球中継は残ったかもしれない。

早く終わりそうにないのが菅政権だ。少なくとも今月中に退陣することはないだろう。復興構想会議の結論を待ち、それに基づく二次補正予算の編成を行う8月が退陣の時期となりそうだ。

それから代表選挙が行われ新しい首相が選ばれるのだが、その任期は民主党のルールだと、菅代表の任期である来年9月までということになる。またもや短命内閣が誕生する可能性が高くなってきた。

1年の短期間では思い切った政策がとれるわけがなく、海部内閣以降小泉政権以外は平均寿命が1年の政権が続いたとあっては、失われた30年に向かってまっしぐらに進むのは当然の成り行きだろう。

首相の任期を4年もしくは韓国の大統領のように5年とし、国会議員の選挙により選ぶのではなく、国民が直接選ぶ方式にすれば政局による政治の遅滞・混乱は解消できるのではないだろうか。

こんなルールをいじって解決策を講じなければならないというのは、つくづく情けない気がするのだが…
「人相は心の鏡」ということをこの数日つくづく感じさせられた。特にひどかったのは、不信任案が否決された後の自民党総裁のそれと、“めど”についての解釈の違いが明らかになった後の前総理のそれが典型的でこれ以上ない悪人面のように私には見えた。

前総理は「首相経験者は職を辞した後は速やかに表舞台から去るべき」ということが持論であった。影響力を残してはいけないというもので、自民党の“長老”たちを見ているとその悪影響はよくわかり、もっともな意見である。

その当の本人が自分の言ったことを忘れたかのように政界引退を撤回し、一昨日は官邸に文書を持って乗り込んで首相の首に鈴を付けるという影響力を行使している。

そんな人物がペテン師、詐欺師呼ばわりする資格があるのだろうか。ご本人もそのことが分かっているから、昨日の朝に報道陣の前に出てきたときの凄い表情になったのだろう。

このままいけば、国会は空転し早晩退陣に追い込まれるのは間違いない。しかしその後が全く見えない。首相を引きずり下ろすことだけが目的になっており、代替案の提示が与党にも野党にも全くないからである。

今よりましなプランがあって引きずりおろすなら国民も納得するが、これから復興利権を巡って談合をし、大連立が成立するようなことになったら、失われた30年に向かってアクセルを吹かすようなものではないだろうか。

週末にはいくつか世論調査が行われると思う。首相退陣の時期についての項目もあると思うから、そこで流れは出てくるのだろうが…



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