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連日の一発勝負の魅力に魅かれたおかげで、昨夜はなでしこの試合を見損なってしまった。ブラジルの試合ぶりは一度も見たことがないために見ておきたかったのだが、所詮親善試合のものであり、一発勝負の真剣勝負の方が見る価値はあったと思う。

ところで、最近の政治の動きを見ると、見るべき価値のないものがあまりにも多すぎると思う。その最たるものが、石原新党を巡る動きや、国民新党のコップの中の嵐である。この両方に居るのが亀井代表である(代表と言えるのかどうか微妙だが)。

石原新党なるものの顔ぶれは今のところ定かではないが、保守派の老政治家と、落選議員の集まりになりそうな気配だ。政党に限らず組織の活力は、老・壮・青のミックスによって保たれるものであるが、石原新党は老・老・老になりそうで、いくら高齢化社会といっても老人クラブでは「国家百年の計」は無理なのではなかろうか。

もう一つのコップの中の嵐の方だが、江戸時代の「押し込め」を想起させられるものだ。江戸時代の大名家では、赤穂藩のように殿の不始末がお家取りつぶしにつながる。それを避けるために、家臣たちは自分たちの身を守るために、危ない殿様を座敷牢に閉じ込めることがあったらしい。

今回の代表解任はそれに通じるものがあるように思う。わずか8人の組織も統率できないようでは、潔く身を引くのが筋のように思うし、画策している石原新党にしても、コップがジョッキ(それも小ジョッキだと思う)に変わった程度にしかならないだろう。

国民新党にも政党助成金が四億円払われている。政治家の劣化の要因の一つに、政党助成金制度があるように思うのだが。

論評に値しないものに1ページを割いてしまった。
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たまに、ニューズウイークの日本版を読むことがある。発売日の水曜日に、電車で長時間出かける時に、車内の読み物としてだ。今週の水曜はそんな一日で、往復2時間の車中で読み終えた。

記事の中に、エッチ・ア・スケッチという玩具が突然ブームになったというものがあった。エッチ・ア・スケッチというのはダイヤルをまわして絵を描き、強く振ると絵が消えて、また新しく絵を書けるというおもちゃだ。私も子どもが小さいころに買った事がある。なぜブームになったかというと、ある人物の発言からだ。

今年は大統領選挙の年で、オバマに挑戦する共和党の候補者選びが始まっている。有力候補のロムニーの選挙参謀が、穏健派(意味がよくわからない言葉だが)と見られるロムニーが保守派寄りの姿勢を見せていることについて問われ、「リセットボタンを押せばいい。エッチ・ア・スケッチみたいなものだ。振れば全てやりなおせる。」と答えたからだ。

ロムニーの弱点は、政策がその都度コロコロ変わってきた歴史にあり、ライバルやマスコミには絶好のターゲットとなる選挙参謀の発言となったために、突然のブームが巻き起こってしまったようだ。

日本でも、公約がエッチ・ア・スケッチのように扱われることについて、異議を唱える人たちが大勢いる。連立離脱の表明や、政務三役の辞任が昨日の大きなニュースになっている。

連立離脱を表明した国民新党では、代表に従ったのは一人だけで、残りの6人は連立維持の姿勢を示しており、「殿ご乱心」のような風景だ。党の分裂というよりも、支離滅裂というべきであろう。

一方、元代表の反乱は、コップの中の嵐では済まされない出来事であると思う。与党が政権を揺さぶるというのは、もはや政党としての体をなしていないと思う。代表選で敗れた側がそれを引きずって、事あるごとに反抗しているというのは、民主主義の根幹にかかわることではないだろうか。何でも反対を唱える連中が身内に居るというのは、獅子身中の虫という言葉がピッタリくる。

さっさと離党するべきなのだが、それをしないのは9月に代表選挙があり、敗者復活の道が開けているからだろう。これは民主党の代表選挙の規定に問題があるからで、1年後に再選挙がおこなわれるという制度では、代表を支えるという気運よりも、次を狙うという方が大きくなり、足を引っ張るということに没頭する連中が出てくるのは必然だ。

アメリカの大統領選挙では、共和党の候補者選びが続いているが、民主党は何事も行われていない。現職のオバマ大統領が出馬することが決まっているためである。同じ民主党でも、日本とアメリカとでは制度が違っているが、足の引っ張り合いを与党の中でなくすには、代表選挙の規定を見直すべきではなかろうか。
イチローが開幕戦で4安打の固め打ちだった。シーズン200安打に届かなかった昨年はこの固め打ちがなく、内野安打も少なかった。昨日は4本中2本が内野安打であり、3本目の低めのボール球をセンターにはじき返した技ありのヒットも含めて、今シーズンは昨年の轍を踏まないような気がする。これで楽しみが一つ増えた。

ところで、日経の今朝の「首相官邸」では、19時27分岩戸町の焼肉店「三宝」で、経産相、手塚、本多両補佐官となっている。首相は今週韓国で開かれた核サミットに出席しているのだが、その時に食べた焼肉の旨さが忘れられずにもう一度となったのか、焼肉を楽しみに出かけたのに焼肉が食べられず、その思いがこうじて焼き肉屋へとなったのかどちらかだろう。私は後者だと思う。

先日の核サミットの記念写真を見ると、首相は3列目にひっそりと収まっている。記念写真の席次は、その国やその人物のプレゼンスを象徴するものである。せめて1列目の端っこにでも居てほしいものだが、2列目でもなく3列目に追いやられている。その他大勢の一人になってしまっているのである。

日本の国力がいかに衰えているのかを示す構図になってしまっているのだが、国力の衰えばかりではないと思う。サミットは2日間開かれたが、首相は初日の夜遅くにソウルに到着している。オバマ大統領は前日からソウルに入り、国境線の視察まで行い北に対する“威嚇”まで行っているのとは対照的である。

国際会議の場では、合間を縫って首脳会合が重ねられるのが常だが、遅刻していたのでは立ち話も十分できず、存在感の薄さが3列目にひっそりと並ぶしかなかったのだと思う。

遅刻の原因は、国会審議のためである。核サミットの初日にも参議院で集中審議が行われ、首相も出席を余儀なくされたための遅刻となったようである。

国会の審議日程よりも国際会議の日程の方が、はるか前に決まっているはずだ。大臣級ならともかく、首相が出席する国際会議にあえて首相が出席すべき国会日程を押し込むというのは、野党の横暴ではないだろうか。

テレビ中継が入るのをいいことに、防衛大臣の“口頭試問”を繰り返すという戦術はそろそろおしまいにしたらどうなのだろうか。首脳外交のチャンスを逃し、3列目になり下がるはめになった要因の一つである(私はそう思う)国会審議のテーマが、「外交・防衛に関する集中審議」とはブラック・ジョークとしては出来すぎだ。


仕事をしながら、国会中継をラジオで聞くことが多いのだが、時々テレビも点けなければならないことがある。昨日の、参議院の予算委員会の「外交・防衛」に関する集中審議では、テレビの出番が登場した。

防衛大臣の“席替え”が野党議員から要求されたのだ。集中審議では全閣僚が出席するのではなく、総理大臣と関係閣僚数人だけの出席になる。テーマの性格上総理と外務大臣、防衛大臣の3人が主役になるのである。

答弁台に近い前列に3人並んで座るのが普通だが、防衛大臣はいつもの2列目に席を占めていた。異様な光景だ。官僚席が3列目にあり、質問された時に耳打ちされやすいように2列目に陣取るという作戦にしたのだろう。

野党議員の最初の質問が、席の異常さに関してのことであり、見かねた予算委員長も前列に出るように促した。さらに、「官僚諸君も2列目に出るように」という極めて異例の発言も付け加えてだ。現在の参議院の予算委員長は石井一議員で、衆議院では中井元国家公安委員長というベテラン議員が就いている。どちらも中々の采配ぶりで、私の採点では、6.5か7.0の高い点数を差し上げたいと思っている。

テレビを見ているとしばらく2列目に居たが、少し間をおいてようやく前列に着席することになった。後方の体制が整うのに時間がかかったので、その間“耳うち役”は外務大臣の仕事になるありさまだった。

防衛大臣の役割は、部下の統率と判断力にあると思う。真紀子の旦那はこの両方の資質が著しく欠けており、問責決議の乱発に私は賛成しないが、防衛大臣という役職の重要性を考えると、野党は今すぐにも問責を出すべきだと思うほどだ。

舛添要一にはこれまであまり好感を持っていなかった。しかし、昨日の審議では最後に登場したのだが、外交・安保の専門家らしく、首相とのやり取りは見事なものであった(防衛大臣は全く無視し、相手にしなかった)。自民党の長老連中のような上から目線ではなく、真摯な提案型の質問であり、私のこれまでの彼の悪いイメージを払しょくするのに十分な内容だった、私の採点では、7.5を差し上げたいと思う。

テレビ中継は5時に終わる予定だったのだが、石井予算委員長は「審議の残り時間が10分ありますが、重要な議論が交わされております。テレビの中継を延長するように要請します。」と発言し、通常は予定時間が過ぎると放映が打ち切りになるのだが、中継が延長されることになった。これも名采配といってよいと思う。

防衛大臣の答弁は採点不能なほどレベルが低いものであり、同じ政治家なのに落差の大きさには驚くほかはない。東大卒業らしいのだが、婿養子に入ってぬるま湯につかりすぎてボケてしまったのだろうか。
昨日の、おおい原発のストレステストについての、原子力安全委員会の斑目委員長の記者会見には、思わず耳を疑ってしまった。「原子力安全委員会は、原発の“安全性”については評価はしない。安全性の判断は政府の役割だ。」という趣旨のコメントだった。

何のための原子力“安全”委員会なのだろうか。このご仁は昨年の事故発生以来度々登場しているが、頼りない発言が目立ち私は気に入らなかった人物だ。昨日の発言は、責任を他に転嫁する姿勢が見え見えで、即刻クビにすべきだと思う(事故発生時の対応メンバーで現在も同じなのは彼だけというのも不思議なのだが)。まだらめではなく、“でたらめ”委員長だ。

その原子力安全委員会と、原子力安全・保安院とを統合した原子力規制庁の発足が遅れるという報道がされている。原案では経産省から切り離し、環境省の下に外局として設置する予定なのだが、野党が公正取引委員会のように省庁から独立した機関とするように求めており、関連法案の審議をどの委員会で行うかも決まっていないというのが理由のようだ。

ここにも何も決められない政治の世界が見える。野党の主張する省庁から独立した方が、規制を行う機関としては適切なように私も思う。独立組織にすることに、どのような不都合が生じるのかよくわからないが、唯一考えられるのは省庁の影響が及ばないということだ。

新しい組織ができるということは、官僚にとってポストが増えることを意味する。第三者組織となると、民間からの登用もあり美味しいポストが手に入りにくくなるということになるという“危機意識”が官僚の中にあるからではないだろうか。

何も決められない政治の責任は、何でも反対の野党の方が大きいと思っていたのだが、このケースでは政府の腰が引けた対応の責任の方が大きいのではないだろうか。

消費税増税に関する法案提出を前に、与党内では意見がまとまらず、小田原評定が続いている。自分の選挙に有利か不利かで意思決定をしているためだろう。民主主義の弊害だと思う。

危機に陥っているギリシャやイタリアでは、選挙で選ばれていない学者が首相に就任するという緊急事態になっている。政治家では大ナタを振るえないということからだが、何も決められない政治が続くと、日本でも学者首相が誕生するかもしれない。でたらめ委員長のような学者が就任するのはごめんこうむりたいが…


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