社長のブログです
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毎朝新聞を見るのが長年続いてきた習慣だが、最近では紙のものだけではなく、ネットを利用してニュースをチェックすることが多くなっている。
私のパソコンのポータルサイトの設定は日刊スポーツのサイトになっている。まずはスポーツ界の出来事をチェックするためだが、最近日刊スポーツのサイトが重くなり扱いにくくなってきたので、サンスポに替えようかと考えている所だ。 スポーツ紙の後は、「あらたにす」をチェックし、「新聞案内人」を読むのが毎朝の日課である。これだけで小一時間はかかることになる。その結果、「紙の新聞」を読む時間が少なくなり、紙面の1/5程度しか見ないことになってしまっている。 一昔前は、「経済教室」は必ず読んでいたのだが、小難しい記事でもあり、最近ではタイトルも見なくなってしまっていた。その経済教室に注目すべき記事があるという、今朝の「新聞案内人」のコメントを読んで4月7日の新聞を引っ張り出してきた。 その記事は、ソニーコンピューターサイエンス研究所のシニアリサーチャーで、明治大学客員教授の高安秀樹が書いた「“統計の常識”超す大災害の本質」というものである。見出しには、「平均の概念 意味なさず」となっている。 内容は、「べき分布」について述べたものである。この論文を読んで感じたことは、われわれは富士山型の「正規分布」に毒されすぎているということだ。正規分布では、富士山の裾野の端っこの方は“異常値”として片付けてしまっている。 しかし、「べき分布」に従えば起こりうることであり、異常値ではないということである。保険や医学の分野では「正規分布」が前提になっているのをはじめとして、我々の“常識”というのはすべて「正規分布」で考えられていたのではないだろうか。 今回の震災の当日に、テレビに出演した地震学者は「津波から逃れるために“10m以上の建物=3階建て”に避難してください」と連呼していた。実際には、建物の4階部分にまで津波が来たため、多くの人が犠牲になった。 今回の津波で被害が大きくなったのは、緊急避難施設が津波に巻き込まれて機能しなかったことが、要因の一つだと思う。施設に避難して安心した所を、襲われた人たちがどれほどいたかは、今となっては調べようもないのだが。 正規分布なら“想定外”だが、べき分布なら“想定内”のことになる。知らず知らずのうちに、“正規分布症候群”に陥ってしまっているのかもしれない。数字を扱うことをなりわいにしていながら、分布を見ることをおろそかにしていたことを深く反省させられる記事だった。 PR
ほうれんそうの話を少し。ホウレン草の放射線の事ではなく、「報・連・相」についてである。企業のオフィスに貼ってあるポスターでよく見かける言葉である。
私は、この言葉が大嫌いだ。クライアントの窓口に電話で連絡した時に、不在のために連絡がつかないのは、“会議”のためである。経験則では、大企業ほど、この“会議”による離席の確率が高いように思われる。 トップマネジメントに対して、「報・連・相」にもとづいてどのような資料を提出するかの“会議”である。私がお付き合いをした会社では“A3文化”があり、役員会や経営委員会などトップ用の資料は必ずA3一枚にまとめるという不文律のもとに、何をどのようにこの一枚の中に収めるかで“会議”が開かれていた。 「報・連・相」という言葉は、上が楽になるために、下が苦労するものにしか私には見えない。トップ自らが情報収集をするべきで、有能なトップは、独自のチェックポイントを設けているものである。 なぜこの問題を今取り上げたのかというと、菅首相は自分のところに情報が上がってこないということで、“イラカン”ぶりを発揮しているという記事を目にしたからだ。 整理されないままに膨大な情報が上がってくると、いくら優秀な人でも、パンクしてしまうだろう。整理をするためには人手を要し、そのために“会議”を開く必要があるかもしれない。今はそんな悠長な事を行っている時期ではない。 今回のような非常時には、情報にも“トリアージュ”が必要だと思う。この任を担うために、内閣官房参与として二人を任命したとすれば、“イラカン”から一歩前進したのだと思う。 私たちにも、“情報のトリアージュ”が必要だ。特に、放射能という目に見えないものの危機があるだけに、尚更である。 メディアは、“情報のトリアージュ”が本来の機能であり、農作物や水の汚染に対してはいつものように騒ぎ立てず、控え目な報道をしているのが印象的である。 日刊ゲンダイが休日のために発行されていないのが救いだ。
今朝の新聞を見ていると、バスケットのbjリーグの大分が、「監督ら4人の契約解除」を発表したとされている。いずれも外国人であり、言葉の通じない日本での不安が高まり、“帰るコール”を出したのだろう。
言葉が通じる日本人でも、よく理解できないのだから、不安が募るのは当然だと思う。 昨日のブログでも述べたが、今必要なのは“的確な情報”である。先ほど、原子力保安院が、屋内退避を指示した人の外出についての注意事項を発表した。 外出禁止令を出してから、相当な時間がたってからの発表である。本来このような情報は、屋内退避を指示した時に同時に発表すべきなのに、相当のタイムラグがあり、この時間の経過により、該当する人々のストレスは高まるばかりである。 原子力保安院の記者会見が頻繁に登場してくるのだが、この組織の立場が現在どのようなポジションにあるのかが良くわからない。平時の時の役割は、何となくわかっているつもりだ。原子力施設の監督官庁なのだろう。 しかし、この非常時に置いてどのような役割を担っているのが、よくわからない組織である。情報を集約する拠点なのか、専門的見地からの参謀なのか、現場を指揮する立場なのか、非常時には盲腸のような存在にすぎないのか、さっぱりわからない。従って、この組織が発表する言葉をどの程度信じてよいのかわからないのである。 そもそも原発トラブルに際しての情報が、政府(主として官房長官の会見)、東電の本店、福島支店、原子力保安院という4つの部門からの発表になっている(これに海外メディア、インターネット上を駆け巡るもの、テレビの“有識者”の発言も加わるのだろう)。 不思議な事に、菅首相が朝早く乗り込んで作った、対策本部からの発表は一度も目にしたことはない。何のために対策本部を作ったのだろう。 色んな部門から“正確な情報”が五月雨式に提供されても、その情報を受け取る側は容量オーバーになって思考停止状態になってしまい、「空気を読むしかしない」KYになってしまっていると思う。 対策本部が前面に出て情報提供し、容量オーバーになっている国民の負担軽減を図るべきだと思う。 これを書いている間に、鳩山元首相のコメントがテレビで流れている。この中でも「速やかに“正確な情報”を提供すべき」というコメントである。何時になったら、リーダーたちに“的確な情報”という事に気がついてもらえるのだろうか。
今日の午前中は、月に1回の歯医者通いの日である。徒歩2~3分の同じ町内にあるが、歯科衛生士の話によると、昨日は午後に停電し、今日は夕方が当番で停電になるため、休院するという。同じ町内なのに、ここでも連帯から仲間外れにされたのだろうか。
同じ町内でも送電系統が違うようであり、東電が周知に手間取っているのも納得できる話だ。この点に関しては、東電を責めるわけにはいかない。少しトーンダウンしなければ。 今朝のブログで「強行開幕」について触れたが、この言葉により午前中にかなりのアクセスがあった。国民に勇気を与えようとしているのだろうが、その前に国民の“納得”を得ることが必要になるとは、ナベツネは思ってもみなかったのではないだろうか。 こういうのをKYと呼ぶのだが、「デフレの正体」(角川ONEテーマ21)で著者の藻谷浩介氏は、もう一つのKYがあるとしている。 「空気が読めない」ではなく、「空気しか読まない」というKYである。 スーパーの棚が少し隙間があり、隣の人の買い物かごの中身を見て空気を感じ取り“仮需”に走った人や、ヘリコプターの放水が始まったのを見て何かを感じて株価を300円も一気に押し上げた人たちはこのタイプの典型だ。 H&Mは都内にある10店舗(何時の間にこんなに増えたのか不思議だが)を全て一時閉店し、日本支社を大阪のホテルに移すことを発表した。同時に、社員とその家族合わせて2000人も大阪に疎開し、費用は全額スウェーデンの本社が負担するという。 日本政府は30キロまでを警戒区域に設定しているのに対して、アメリカ政府は80キロ圏の同胞に対して避難勧告を出している。 海外では、今回のトラブルについてどのように見ているかの典型的な事例だ。このように私の目から見て過剰な反応をするのは情報の質にあるからだと思う。 海外メディアの日本国内での情報収集能力は、当然国内メディアよりも劣り、情報源の多くは報道されたものになるはずだ。その情報の断片を本国に送信するのだろうが、本国で断片をつなぎあわせた時には元のものとはだいぶ異なってしまうのだろう。 それを見ている人は、自分の中で再構築した時には…ということになると思う。伝言ゲームのようなものだ。こうして「空気しか読まない」人たちがまた出現してしまうのではないだろうか。 「正確な情報」が必要とされるという表現がされると思うが、必要なのは「的確な情報」だと思う。 例えば、今回の事態で放射線量があちこちで計測され、結果が報道されている。多くの見出しは「○○倍の放射線を観測」というものになっている。極端なケースでは、「25キロ圏で6000倍を計測」というものを見た。 これは「正確な情報」である。普段の何倍というのは間違ってはいないのだが、「的確な情報」とは言えない。必要なのは、危険なのかどうか、どのように行動するべきかという指針になるような情報提供のやり方にあると思う。 文科省が観測データを公表している。定点観測ではなく、計測車が走り回った結果を公表しているにすぎない。情報の一次的使命は「様子を知る」ためのものだが、それは「次はどうなるか」を考え、どのような行動をとるべきかを“判断”するためのものである。 次はどうなるかを考えるためには、定時定点観測で時系列にデータを見るべきだと思うが、ランダムな抽出した結果を公表するというのは、「正確」ではあっても「的確」ではなく、いたずらに混乱を煽るだけで、「空気しか読まない」人々を生み出すだけだと思うがどうなのだろうか。
計画停電が実施されることになったが、東京電力の極めて未熟な「輪番停電」により大混乱が生じているようだ。
テレビのアナウンサーは“いわゆる”輪番停電という表現をしているのだが、“いわゆる”というのは周知されていることの通称として用いられる言葉で、この場合当てはまらない。だれも輪番停電の事は知らず、停電が順番に回ってくるということぐらいしかわからないのである。 自分のところを確認するため東京電力のホームページを見て驚いた。同じ市川市内でも町丁によって異なるのである。グループ2か5に含まれるのだが、混在しており、私の住所は5に含まれるが、隣の隣は2になっている。 行徳駅前町は2のところと5に含まれている所がある。何丁目かで分かれるのだろうが、その記載はない。3丁目の人はどちらかわからず、いきなり停電を迎える事になる。これで計画通り実施されたとしたらパニックになるだろう。 鉄道への影響は甚大で、鉄道会社の発表を見ていると都心を除くほとんどの地域は身動きがとれないようである。当日の朝になってはじめてわかった人が多く、大混乱となっていると思う。 勤め先に辿りつこうと自動車を利用しても道路は大渋滞で、移動だけで一日が終わってしまうのではないか。こうなると、物流にも大きな影響が出、今日もスーパーにパンや牛乳は並ばないと思う。 経済活動が麻痺することにより、電力使用が大幅に低下し、電気の供給に支障が出ることはないだろう。これで輪番停電が上手くいったと言えるのだろうか。 東京電力の計画は極めて杜撰だ。十分なシュミレーションが行われず、生煮えの状況で見切り発車したとしか思えない(鉄道は発車できないのだが)。 この計画を了承した政府もいい加減だ。鉄道への影響を考えていなかったのではないか。少しの不便を我慢してくれという気持ちだったのだろうが、鉄道のストップは、少しの不便ではなく経済活動が麻痺してしまうのである。 これだと大停電と実質的にはあまり変わらないと思う。杜撰な危機管理だ。 競艇は今月一杯の開催は見送ると発表した。阪神大震災の後でも開催は続行していたのに、今回は中止した。 非常時なのだろうから、“歌舞音曲”の自粛を要求すべきだろう。パチンコ屋やゲームセンターの営業自粛である。特にパチンコ屋の電力使用は半端ではなく、“節電”には効果的だと思うのだが。 |
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