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今朝の日経の7面に、「中国の人口33年にピーク」という見出しの記事が掲載されている。記事によると、2008年末の人口は13億8千万人で、1980年から本格導入した一人っ子政策がなければ17億人に達していたとの事である。

国家人口・計画出産委員会の主任の話として、一人っ子政策の影響で、現在9億5千万人いる労働力人口は15年ごろに減少に転じるが、50年までは労働人口が8億人以上の状態が続き、就職問題は依然として厳しいとしている。

失業率の向上が国家への不満の引き金になりかねず、国家体制を維持するために、高齢化による財政負担の増大よりも、当面の労働力人口を8億人まで引き下げ雇用の負担を軽くするという途を選んでいるようだ。

先日の長春訪問で、街角にこどもの姿をほとんど見かけないという異様な風景を目の当たりにしたが、それでも労働力人口の減少が15年であり、人口減少社会の到来は33年までかかるという。

一人っ子政策は80年からスタートしているから、労働力人口の減少に35年、人口減少にいたっては53年かかってようやく到達することになる。

大型タンカーの舵を切っても、実際に進路が変わるまで時間を要するが、政策転換を図っても成果が現れるまで相当長い時間を覚悟する必要があるということだ。

地球環境問題でも同じことがいえるだろう。あらたにすの安井至氏のコラムhttp://allatanys.jp/B001/UGC020001820090920COK00389.htmlでも本当に温暖化の被害が現れてくるのは21世紀の後半であるとしている。そのために、長期に渡って大胆な取り組みが必要なのだが、一人っ子政策のような超大胆な政策を採ったとしても、成果は気の遠くなるような時間がかかることを認める必要があると思う。

鳩山政権の打ち出した削減目標について産業界からは反対意見が続出している。四半期決算というチマチマした期間での成果を問われている人々にとって、50年という長期レンジでの成果について考えることはとんでもないことなのだろう。

台湾の故宮博物院で、親子3代で60年がかりで彫り上げられた見事な象牙細工を見て感動したことがある。この国の人にとって成果が出るまで50年間辛抱することは何でもないことかもしれない。
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今朝も緊急地震警報が流れ、千葉東方沖が震源ということで身構えたが、たいしたことはなかったようだ。マグニチュード4.1の地震が発生したようだが、揺れを感じた地域はなかったとのことである。

誤報が続くと狼少年になってしまう恐れがあるが、先日有効性を確認できただけに、誤報をいとわず警報を流してもらいたいものだ。

日経が先週報じた情勢調査を詳しく読むと、民主党候補に対するコメントは、「磐石」「安定」「大きくリード」「堅実な戦い」という、当選確実を予感させるような言葉が目に付く。週刊現代が公表したような調査結果が並んでいるのだと思う。

これは誤報ではなく、自民党の大敗は必至の情勢になってきたようだ。昨年の秋に選挙を行っていれば勝てないまでも、100議席を切るような惨敗はなかったと思うが、ずるずると解散を引き延ばし、有権者の不満をさらに蓄積したことになったと思う。

選挙をマーケティングの視点で考えた時に、いくつものやってはならないことを自民党は行ったと思う。民主党に対するネガティブ・キャンペーンを繰り広げているが、差別化は二番手、三番手のチャレンジャーがやることで、2/3のシェアを誇るトップ企業がとるべき戦略ではない。

ましてや、国の財政を借金だらけにした張本人が、財源問題で野党を攻撃するのは、天に唾をする行為である。

致命的なのは、成熟社会におけるマーケティングで最も大事な「共感」ということに無神経なことである。多少高くても、環境に配慮された商品を選ぶというような行動が増えているが、消費者は心意気を買っているのである。

麻生首相は、解散を発表した後で、最初にした活動は経団連をはじめとした団体まわりである。これで有権者は、自民党の目線がどこにあるのかを再認識させられ、共感を失ってしまったのだと思う。

民主党にも問題は多そうだが、「政権交代」ということに共感は得られていると思う。この10数年の実績からみると、「責任力」という言葉では共感は得られないと思うのだが。
今朝5時の気温は、アメダスでは21度と涼しい朝である。台風が通過したので、空気が入れ替わると思ったのだが、北よりの風が吹いており気温が低くなったようだ。日中もこのまま続いてくれればよいのだが、アメダスの九州の気温を見ると30度近いところが多くあり、暑い日になりそうだ。

昨日の地震の緊急警報は役立つと思ったのだが、震源に近いところでは手遅れだったそうで、地震波と電波のスピードの違いということなのだろう。せっかく緊急警報のありがたさを実感したのに、肝心の場所では役に立たないというのは何とも残念なことだ。

昨夜のプロ野球で、西武の涌井が13個の三振を奪って完封した。三振が多かったためか、168球を投げての完封である。メジャーでは先発投手は100球と玉数を制限することが多く、昨日の涌井のケースでは5回か6回で交替することになる。楽天も6-0でソフトバンクに勝ったのだが、岩隈は7回で交替している。

レッドソックスの松坂は今期絶不調で故障者リストに入ったままで、数ヶ月試合に出場していない。不調の原因は玉数制限にあると本人は感じているようで、記者にこぼしたため物議を醸し出し、謝罪会見を開かざるを得なくなった。

松坂の言い分は、練習で投げ込んで“肩を作る”のが彼のやり方で、練習でも玉数制限をされるため、西武時代に培った遺産を食い潰してしまったということらしい。

メジャーで主流となっている「玉数主義者」の意見では、85球以上投げると故障率が上がり、それより5球増えるごとに20%ずつ危険度が増すと言われている。松坂には100億円も投入されているのだから、玉数信奉者にとっては投げ込んで“肩を作る”というのはとんでもないことなのだろう。

統計データというのは95%の確率で事象が生じるということを前提に組み立てられている。多くの場合は成り立つのだが、5%は例外であると言うことだ。95%の信頼度などは稀で、80%程度しかあてはまらないことも多い。喫煙と肺がんの関係などはもっと低いのではないだろうか。

例外を分析すると、例外の中にも信頼度95%で規則性を持った新たな事象が発見できると思う。がん治療に用いられる抗がん剤は、効果のある人と、効果のない人がいる。最近の研究ではどうやら体質=遺伝子によるものだということがわかり、患者の個性にあわせた治療法が確立されようとしている。

例外はあてはまらないということで、無視されがちである。しかし、例外=異常値は宝の山だと私は思う。例外を認めない所に進歩はないと思うのだが。

昨日はゲリラ豪雨が頻発した。ピンポイントで集中豪雨となり、冠水被害が続出し、タクシーに閉じ込められたり、スーパーの地下店舗に水が入り、流されたテーブルに当たってけが人が出たらしい。

小学生が用水路で流されて行方不明になったというニュースもある。幅47cm深さ40センチの用水路である。普段その用水路を見慣れている人にとっては、いくら小さな小学生といっても流されるとは信じられないだろう。

ごく狭い範囲での集中豪雨はこの数年、夏になるとどこかで発生している。地球温暖化の問題ではなく、コンクリートで固めたことによるヒートアイランド現象によるものだろう。日本近海で、温帯性低気圧が台風に変わった。台風が日本に近づいて温帯性低気圧に変わったというのはよく耳にするが、その反対の現象は記憶にない。気象に関する常識は変える必要がある。

私の場合、天気予報を新聞で見ることはほとんどなく、圧倒的にラジオが多い。新聞の天気予報は出張に出かける際に、ラジオで聞き逃した時に見る程度である。ラジオは解説が細かいので、状況判断がしやすいためである。

ラジオの天気予報で問題が一つある。一つの県をいくつかに区切って説明され、西部や南部などはわかるのだが、呼称を使われるとなじみのない人間にとってはさっぱりわからないことである。

茨城県の“ろっこう地域”という表現がされる。最初のろくという文字はおそらく鹿島の鹿だと思う。しかしこうはどこだかよくわからない。漠然と鹿島灘付近を思い描くだけだ。関東甲信越がNHKの場合の、地方のテリトリーになっているが、長野県の“だいほく地域”と言われてもさっぱりわからない。

エリアマーケティングの仕事に携わったので、地域呼称にはある程度精通しているつもりだったが、経済圏として捉えたものであり、気象的にはくくり方が違うのだろう。天気予報の地域呼称の一覧表を手に入れ、経済圏と比較してみると面白いかもしれない。

民主党の小沢元代表は、地方分権で300の基礎自治体ということを言っているが、これは経済圏の区分なのか、天気予報の地域を指しているのだろうか?

台風の影響があるのか、今朝は早朝からかなり暑い。ようやく夏らしい日になりそうだ。昨夜のラジオ深夜便で、映画監督の大林宣彦は、子供の頃の日記を見ると28~29度くらいの日が多く、30度を超えるのは夏休みでは数日だと述べていたが、子供の頃の記憶を辿ると、30度を超える日がそう多くはなかったように思う。

気温に対する常識というか、感覚が知らず知らずのうちに狂っていることを思い知らされた。

裁判員制度も、法曹界の常識に市民感覚が加わることにより変化をもたらすのではないだろうか。

昨日の判決に対して、量刑が少し重いのではないかという識者のコメントが聞かれた。求刑の8掛けというのがこれまでの常識で、16年の求刑では12~13年が妥当なところで、15年という判決は少し重すぎるというのが「業界常識」なのだろう。

しかしこれまでも、判決報道に接した時に少し刑が軽すぎるのではと思うことが少なくなく(特に福岡の飲酒運転で子供3人がなくなった事件の判決がそうだ)、裁判員制度は「業界の常識」に一石を投じることになると思う。

裁判員や補充裁判員として参加した人たちが堂々と記者会見に出席して意見を述べていた。裁判員はいわばボランティアであり、ボランティアは「心意気」であると思う。昨日の会見ではその心意気を強く感じることができた。

自治意識のないところに裁判員制度がそぐわないと以前このブログで述べたのだが(2009年5月15日)、前言を撤回する。裁判員制度により自治意識が芽生えると思う。

そうなると、政治家や官僚だけでなく企業も手強い相手に向かうことになり鍛えられることで、良い世の中ができるのではないだろうか。


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