社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 世間には自分に似ている人が7人いるという、いにしえの都市伝説とでも呼べそうな話を、聞いたことがある。それを実感したのは、初めて成人病検査を受けた時だ。30年以上前の事なのだが、バリウムを初めて飲んで緊張しながら医師のカウンセリングを受けたのだが、担当医が私にあまりにもそっくりで、緊張感は飛んでしまい、お互い笑いだしてしまった事を今でも覚えている。 PR
昨日は福岡県の上毛町(こうげちょうと読む)に出かけた。大分県との県境にあり、町内には鉄道が通っておらず、最寄駅は大分県の中津になる。というわけで、取りあえずの目標は中津ということになり、ルートを検討した。
中津に行くには、北九州空港か大分空港が最寄りの空港になり、どちらからもほぼ同じ距離であったが、運賃では北九州空港の方が1万円以上安く、迷わず北九州ルートを選択することになった。 北九州空港は、北九州市の南部の海上に建設されており、中津に出かけるには日豊線の苅田(かんだ)までバスで行き、そこから普通列車でトコトコということになる。小倉などにはリムジンバスなのだが、苅田行きはマイクロバスである。しかも乗客は私一人の貸し切りバス状態であった。 苅田には日産やトヨタの工場もあり、少しは賑わいがあるかと思えたが、駅前には人通りがなく、客待ちをする数台のタクシーがひときわ目立つさびしいものだった。中津は苅田ほどひどくはないが、やっぱり人通りが少なく、特急停車駅としては賑わいに欠けていた。 唯一目立ったのは、「黒田官兵衛」の幟で、来年の大河ドラマのPRなのだが、人の数よりも幟の方が多い位だった。中津駅には官兵衛の大きな人形も置かれていたが、その脇に水槽があり、中には立派なハモが泳いでいたので、迷わず夕食はハモ料理を選択することになった。 コース料理は食べ切れないので、迷った末にシャブシャブと、麦焼酎のコンビを楽しむことにした。祇園祭というとハモ料理がすぐに思い浮かぶほど、関西ではよくハモを食べるが、関東ではなじみの薄い魚で、スーパーの店頭で見かけるのはめったにない。骨切りが面倒なのだろうか。 昨日は朝8時から仕事をし、昼前には終わったので、夕方の飛行機まで少し時間があった。こんな時は、名所を訪ねるのが常道で、城下町を訪れた時はお城を見るようにしている。 中津城は黒田官兵衛が築城したもので、その後は細川、小笠原、奥平家と代替わりしている。黒田家は福岡、細川家は熊本へ移り、どちらも50万石以上の大大名に昇進しており、出世城とでもいえそうなお城である。 奥平家が最も長く居たのだが、黒田家は18万石、細川家に至っては33万石と広大な領地を有していたのに対して、奥平家は10万石と領地も小さく、同じ中津城を本拠にしていても地味な印象を持っていた。 しかし、福沢諭吉が中津出身ということは知っていたが、お城の展示物を見ていると、幕末には前野玄沢をはじめとして蘭方医を多数輩出しているということが分かった。小さいながらも人材育成に力を注いだ「教育立藩」とでも言えそうで、教育環境を整えることが国の力を増大させるという典型事例のように感じた。 寂れた商店街で、懐かしい屋台を見つけた。「一銭焼」の看板が掛けられており、子どもの頃よく食べた「洋食焼き」の中津版である。洋食焼きは、薄く引いた粉の上にキャベツとエビを入れて焼き、ソースをかけたもので、お好み焼きのルーツである粉モンである。中津版はエビは入っていないが、野菜たっぷりのバージョンで、1枚105円であった。2枚注文したところ205円だという。 聞くと、5円は消費税分ではなく、プラスチックの容器の料金で、2枚一緒に入れると一つ分でよいからだということだった。なんだか嬉しくなって、ハモの味は忘れても「中津の一銭焼」は死ぬまで忘れないと思う。 猛暑に突入してから10日以上過ぎた。身体はすっかり暑さに慣れてしまったようで、体調の方はすこぶる良好である(全開になっているエアコンのお世話になっているだけかもしれないが)。この数日夕方に吹く風は、一頃の熱風ではなく、秋の匂いが少し感じる。今週一杯辛抱すれば、無事この夏を乗り切れそうだ。 暑さの副産物として“日照り”が発生する。梅雨明けが早かった分、今年の夏は深刻度が高いように思う。コメの消費量が減少している今日ではあまり飢饉ということに関心はないようだが、農業国だった時代には大きな社会問題になっていた。
眼科医の診断は良いことが一つと、悪いことが一つであった。良い方は、恐れていた網膜剥離でなかったことである。白内障の手術をした時に、医師から「強度の近視の場合、白内障の手術後に網膜剥離を発症することが多いので注意する必要がある」と言われていた。
眼底検査の結果、「網膜剥離はありませんね。後部硝子体剥離による“ひぶんしょう”です。」とのことであった。聞き慣れない言葉なので、どんな字を書くのか尋ねたところ、「蚊がブンブン飛びまわるように見えることです。」という言葉であった。 咄嗟には理解できず、帰宅して調べてみると、“飛蚊症”と書くようである。後部硝子体剥離は、加齢や強度近視によって発生するものであり、重篤なものではないという。しかし、医師の託宣は「治りません」のつれない一言であった。 このところ、毎年10月ごろに蚊に悩まされることが多い。我が家に居ついている蚊は、真夏には暑さのせいか大人しくしているのだが、気候がよくなると動き出すのである。それも晩秋には治まるので、一ヶ月ほどの辛抱で済んでいたのだが、治りませんの一言で、眼の中を飛び回る蚊には一年中悩まされることになりそうだ。これが悪いことの一つである。 蚊という文字は、音読みすると“ぶん”と読むことを初めて知った。確かに、つくりを見ると「文」という文字であり、これが読みにつながっているのだろうが、この文字をあてたのは、「ブンブン飛び回る」ことから来たりして… 死ぬまで蚊に悩まされるとは、鬱陶しいことだ。 |
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