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世間には自分に似ている人が7人いるという、いにしえの都市伝説とでも呼べそうな話を、聞いたことがある。それを実感したのは、初めて成人病検査を受けた時だ。30年以上前の事なのだが、バリウムを初めて飲んで緊張しながら医師のカウンセリングを受けたのだが、担当医が私にあまりにもそっくりで、緊張感は飛んでしまい、お互い笑いだしてしまった事を今でも覚えている。

最近では、ある人物によく似ていると言われることがよくある。スーパーのレジ係と親しく話をするようになったのもそのお陰であり、先週の中津でもタクシーの運転手から、「どこかで見た顔だ」と言われてしまった。

歳とともに白髪が増え、特にアゴヒゲは真っ白に近くなってしまっている。眼鏡をかけていることもあり、映画監督の宮崎駿と風貌がよく似ていると言われるのである。7人いるうちの2人目を発見したことになる。

その宮崎駿が引退をするというニュースがトップニュースとなっている。映画を一本も見たことがないのだが、親しみを感じていただけに、突然の引退発表は残念でならない。

最新作の「風立ちぬ」が大ヒットしているようだが、禁煙を進める団体から、タバコを吸うシーンが多すぎるというクレームがついたことが最近ニュースとして取り上げられた。

「はだしのゲン」が、残虐なシーンが多すぎるということで、教育委員会が学校の図書室で自由に閲覧できなくなる措置をとったことが問題になったが、喫煙シーンに対するクレームも同根のような気がする。

「表現の自由」というのは大事な権利であり、これに難癖をつけるというのはよほどの覚悟がなければならないものだと思う。宮崎駿監督はヘビースモーカーであるらしいのだが、このことが引退の理由の一つでなければよいのだが…

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昨日は福岡県の上毛町(こうげちょうと読む)に出かけた。大分県との県境にあり、町内には鉄道が通っておらず、最寄駅は大分県の中津になる。というわけで、取りあえずの目標は中津ということになり、ルートを検討した。

中津に行くには、北九州空港か大分空港が最寄りの空港になり、どちらからもほぼ同じ距離であったが、運賃では北九州空港の方が1万円以上安く、迷わず北九州ルートを選択することになった。

北九州空港は、北九州市の南部の海上に建設されており、中津に出かけるには日豊線の苅田(かんだ)までバスで行き、そこから普通列車でトコトコということになる。小倉などにはリムジンバスなのだが、苅田行きはマイクロバスである。しかも乗客は私一人の貸し切りバス状態であった。

苅田には日産やトヨタの工場もあり、少しは賑わいがあるかと思えたが、駅前には人通りがなく、客待ちをする数台のタクシーがひときわ目立つさびしいものだった。中津は苅田ほどひどくはないが、やっぱり人通りが少なく、特急停車駅としては賑わいに欠けていた。

唯一目立ったのは、「黒田官兵衛」の幟で、来年の大河ドラマのPRなのだが、人の数よりも幟の方が多い位だった。中津駅には官兵衛の大きな人形も置かれていたが、その脇に水槽があり、中には立派なハモが泳いでいたので、迷わず夕食はハモ料理を選択することになった。

コース料理は食べ切れないので、迷った末にシャブシャブと、麦焼酎のコンビを楽しむことにした。祇園祭というとハモ料理がすぐに思い浮かぶほど、関西ではよくハモを食べるが、関東ではなじみの薄い魚で、スーパーの店頭で見かけるのはめったにない。骨切りが面倒なのだろうか。

昨日は朝8時から仕事をし、昼前には終わったので、夕方の飛行機まで少し時間があった。こんな時は、名所を訪ねるのが常道で、城下町を訪れた時はお城を見るようにしている。

中津城は黒田官兵衛が築城したもので、その後は細川、小笠原、奥平家と代替わりしている。黒田家は福岡、細川家は熊本へ移り、どちらも50万石以上の大大名に昇進しており、出世城とでもいえそうなお城である。

奥平家が最も長く居たのだが、黒田家は18万石、細川家に至っては33万石と広大な領地を有していたのに対して、奥平家は10万石と領地も小さく、同じ中津城を本拠にしていても地味な印象を持っていた。

しかし、福沢諭吉が中津出身ということは知っていたが、お城の展示物を見ていると、幕末には前野玄沢をはじめとして蘭方医を多数輩出しているということが分かった。小さいながらも人材育成に力を注いだ「教育立藩」とでも言えそうで、教育環境を整えることが国の力を増大させるという典型事例のように感じた。

寂れた商店街で、懐かしい屋台を見つけた。「一銭焼」の看板が掛けられており、子どもの頃よく食べた「洋食焼き」の中津版である。洋食焼きは、薄く引いた粉の上にキャベツとエビを入れて焼き、ソースをかけたもので、お好み焼きのルーツである粉モンである。中津版はエビは入っていないが、野菜たっぷりのバージョンで、1枚105円であった。2枚注文したところ205円だという。

聞くと、5円は消費税分ではなく、プラスチックの容器の料金で、2枚一緒に入れると一つ分でよいからだということだった。なんだか嬉しくなって、ハモの味は忘れても「中津の一銭焼」は死ぬまで忘れないと思う。



猛暑に突入してから10日以上過ぎた。身体はすっかり暑さに慣れてしまったようで、体調の方はすこぶる良好である(全開になっているエアコンのお世話になっているだけかもしれないが)。この数日夕方に吹く風は、一頃の熱風ではなく、秋の匂いが少し感じる。今週一杯辛抱すれば、無事この夏を乗り切れそうだ。

今月中に2回の出張が予定されているが、まだ日程が決まっていない。明日までに確定するが、そのうちの1件は福島である。本宮という所に出かけるのだが、時間が取れれば会津にまで足を伸ばしてみたいと思っている。

これまで日本中にあちこち出かけ、47都道府県のうち足を踏み入れた事がないのは、鳥取と島根の山陰の2県だけである。しかし、地方という単位まで落とすとまだ行っていないところがいくつかあり、北海道の道北や、岐阜県の飛騨高山、福岡県の北九州市などであり、会津もその一つだ。

関東地方の小中学校では修学旅行で出かける場所だが、関西育ちなのでお伊勢さんが会津に相当する場所になっていた。福島県でも、いわきや郡山には仕事で出かけたことが多く、相馬野間追いも見物したことがあるのに、なぜか会津には出かける機会がなかった。

会津に出かけたいと思うようになったのは、ミーハーな動機で、「八重の桜」の影響である。母校の設立の模様も描かれるとあって、年初めから日曜の夜に欠かさず観ている。今月になって、ようやく京都に舞台が移ったのだが、これまでは延々と会津での物語が続いており、会津の空気を感じたいと思うようになってきたためである。

新政府軍に追い詰められ、会津落城から斗南藩への転封にいたるまでの悲劇に至った、会津人の精神風土を感じるために、会津の空気に触れてみたくなったのだ。番組を見続けた結果、気持ちの上では完全に“会津贔屓”になってしまっている。

靖国神社というのは、明治の初めに戊辰戦争での戦没者を祀るために建てられたものである。薩長土肥の兵士は祀られているが、会津をはじめとする東北列藩同盟のためのものではない。

毎年のように、8月になると政治家の靖国参拝が話題になるが、会津の人は靖国神社に対してどんな考えを持っているのだろうか?

暑さの副産物として“日照り”が発生する。梅雨明けが早かった分、今年の夏は深刻度が高いように思う。コメの消費量が減少している今日ではあまり飢饉ということに関心はないようだが、農業国だった時代には大きな社会問題になっていた。

飢饉の原因は、東と西では異なり、東日本では山背と呼ばれる北東風が吹くことによる冷害、西日本では干ばつによる飢饉である。両方が一度に来ることはないので、全国的に見ればバランスは取れていたのかもしれないが、地域にとっては深刻な問題だったのだろう。

「赤穂の塩」というのはブランド化しているが、江戸時代に産業化されたもので、瀬戸内の雨の少なさを活かしたものであり、四国には弘法大師が作ったとされるため池が多くあるが、これも雨が少ないことの証明でもある。

東北の冷害は20年ほど前に大きなものがあったが、それ以来耳にすることはない。一方、西日本の水不足というのは数年ごとにニュースで報じられているように思う。先日沖縄を訪れた時、屋根上にジュラルミンのタンクを置いている家の姿が目に付いた。

10年前にはあまり目立たなかったのが、急速に増えたようである。話を聞くと、数年前に大きな断水があり、それへの対策として設置されるようになったということだった。地球の温暖化が徐々に進行しているということなのだろう。

関東地方も、水不足が一向に解消される気配はない。断水などの目に見える影響がないためあまり大きなニュースにはなっていないようだ。不思議に思うのは、水がめである北関東では毎日のように雷雨に見舞われているのに、ダムの水位を上げるようにはなっていないことである。

良く考えてみると、夕立というのは局所的に降ることが多く、千葉県全域に夕立が降ったことなどは聞いたこともない。夕立がいくら降ったとしても、降水量トータルとしては大したことがないようである。水不足解消のためには、不謹慎ではあるが台風を待つしかないのだろうか。

3階建ての3階で、天井からの熱と西日で午後には耐えられない日々を過ごしている。水不足解消の決め手にはならないのだが、夕立による打ち水効果に期待したい(特に天井を覚ましてほしい)。しかし、都内には降っても、江戸川を挟んだ行徳には一滴も降らないので、天井からの熱気は一向に収まらない。雨乞いをしなければ。



眼科医の診断は良いことが一つと、悪いことが一つであった。良い方は、恐れていた網膜剥離でなかったことである。白内障の手術をした時に、医師から「強度の近視の場合、白内障の手術後に網膜剥離を発症することが多いので注意する必要がある」と言われていた。

眼底検査の結果、「網膜剥離はありませんね。後部硝子体剥離による“ひぶんしょう”です。」とのことであった。聞き慣れない言葉なので、どんな字を書くのか尋ねたところ、「蚊がブンブン飛びまわるように見えることです。」という言葉であった。

咄嗟には理解できず、帰宅して調べてみると、“飛蚊症”と書くようである。後部硝子体剥離は、加齢や強度近視によって発生するものであり、重篤なものではないという。しかし、医師の託宣は「治りません」のつれない一言であった。

このところ、毎年10月ごろに蚊に悩まされることが多い。我が家に居ついている蚊は、真夏には暑さのせいか大人しくしているのだが、気候がよくなると動き出すのである。それも晩秋には治まるので、一ヶ月ほどの辛抱で済んでいたのだが、治りませんの一言で、眼の中を飛び回る蚊には一年中悩まされることになりそうだ。これが悪いことの一つである。

蚊という文字は、音読みすると“ぶん”と読むことを初めて知った。確かに、つくりを見ると「文」という文字であり、これが読みにつながっているのだろうが、この文字をあてたのは、「ブンブン飛び回る」ことから来たりして…

死ぬまで蚊に悩まされるとは、鬱陶しいことだ。


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