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昨日は福岡県の上毛町(こうげちょうと読む)に出かけた。大分県との県境にあり、町内には鉄道が通っておらず、最寄駅は大分県の中津になる。というわけで、取りあえずの目標は中津ということになり、ルートを検討した。

中津に行くには、北九州空港か大分空港が最寄りの空港になり、どちらからもほぼ同じ距離であったが、運賃では北九州空港の方が1万円以上安く、迷わず北九州ルートを選択することになった。

北九州空港は、北九州市の南部の海上に建設されており、中津に出かけるには日豊線の苅田(かんだ)までバスで行き、そこから普通列車でトコトコということになる。小倉などにはリムジンバスなのだが、苅田行きはマイクロバスである。しかも乗客は私一人の貸し切りバス状態であった。

苅田には日産やトヨタの工場もあり、少しは賑わいがあるかと思えたが、駅前には人通りがなく、客待ちをする数台のタクシーがひときわ目立つさびしいものだった。中津は苅田ほどひどくはないが、やっぱり人通りが少なく、特急停車駅としては賑わいに欠けていた。

唯一目立ったのは、「黒田官兵衛」の幟で、来年の大河ドラマのPRなのだが、人の数よりも幟の方が多い位だった。中津駅には官兵衛の大きな人形も置かれていたが、その脇に水槽があり、中には立派なハモが泳いでいたので、迷わず夕食はハモ料理を選択することになった。

コース料理は食べ切れないので、迷った末にシャブシャブと、麦焼酎のコンビを楽しむことにした。祇園祭というとハモ料理がすぐに思い浮かぶほど、関西ではよくハモを食べるが、関東ではなじみの薄い魚で、スーパーの店頭で見かけるのはめったにない。骨切りが面倒なのだろうか。

昨日は朝8時から仕事をし、昼前には終わったので、夕方の飛行機まで少し時間があった。こんな時は、名所を訪ねるのが常道で、城下町を訪れた時はお城を見るようにしている。

中津城は黒田官兵衛が築城したもので、その後は細川、小笠原、奥平家と代替わりしている。黒田家は福岡、細川家は熊本へ移り、どちらも50万石以上の大大名に昇進しており、出世城とでもいえそうなお城である。

奥平家が最も長く居たのだが、黒田家は18万石、細川家に至っては33万石と広大な領地を有していたのに対して、奥平家は10万石と領地も小さく、同じ中津城を本拠にしていても地味な印象を持っていた。

しかし、福沢諭吉が中津出身ということは知っていたが、お城の展示物を見ていると、幕末には前野玄沢をはじめとして蘭方医を多数輩出しているということが分かった。小さいながらも人材育成に力を注いだ「教育立藩」とでも言えそうで、教育環境を整えることが国の力を増大させるという典型事例のように感じた。

寂れた商店街で、懐かしい屋台を見つけた。「一銭焼」の看板が掛けられており、子どもの頃よく食べた「洋食焼き」の中津版である。洋食焼きは、薄く引いた粉の上にキャベツとエビを入れて焼き、ソースをかけたもので、お好み焼きのルーツである粉モンである。中津版はエビは入っていないが、野菜たっぷりのバージョンで、1枚105円であった。2枚注文したところ205円だという。

聞くと、5円は消費税分ではなく、プラスチックの容器の料金で、2枚一緒に入れると一つ分でよいからだということだった。なんだか嬉しくなって、ハモの味は忘れても「中津の一銭焼」は死ぬまで忘れないと思う。



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