社長のブログです
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酔っぱらって転んでから1週間が経過した。眼鏡を壊したので作り直したが、昨日ようやく出来上がり、これで表を歩くのにまっすぐ前を見られるようになった。近距離用の眼鏡で外出していたのだが、ぼんやりしか見えないので、自然と伏し目がちになり足下ばかり見て歩くという根暗と見られかねないありさまだったので、少しは気分がすっきりだ。
強打した右胸の痛みは相変わらずで、咳をするたびにまだ痛みは走る。骨にひびが入っているのかもしれないが、医者に行っても安静を進められるだけだから、自然治癒を待つことにするしかないのだろう。 ということで、しばらく仕事以外の外出は控えていた(ぶり返した暑さにめげていたこともあるが)。ようやく暑さが一段落したので、朝から散歩に出かけたが速足で歩くと胸に響くので、足取り軽やかにとはいかず、トボトボ散歩になってしまい、お天道様に申し訳ない感じで早々に帰宅してしまった。 体育の日だというのに、読書の日になってしまった。何とかしなければならないとは分かっているのだが… PR
ノーベル賞の季節になり、週初めから受賞者の発表が行われている。ノーベル賞を多数輩出するのは国力を示すものであり、今世紀に入ってから毎年のように日本人の受賞者が誕生しているのは喜ばしいことだ。ただし、研究の成果が現れるまでタイムラグがあり、いにしえの国力かもしれないのだが。
国の底力を示す指標の一つとして、昨日はOECDの「国際成人力調査」の結果が発表された。これまで子どもを対象にした学習到達度調査は行われていたが、子どもにだけ負荷をかけるのではなく、大人にもテストをするようになったのだろうか。 調査結果によると、日本の大人は世界一になったようである。これで正々堂々と子どもに対してプレッシャーを与えることができるようになったと喜んでいる大人も多いことだろう。 しかし、私はこのニュースに接した時、少し複雑な心境になってしまった。一昨日の夜の出来事があったためで、胸を張って大人と言えるかどうか昨日は一日自問の日になってしまった。 一昨日は15時から18時の予定でミーティングがあったが、予定より早く17時には終わってしまった。まだ外は明るかったが、例によって阿吽の呼吸で「ちょっと一杯」ということになった。17時から飲み始めたわけで、19時前には一段落となってしまった。 「これだと家に帰ってまた飲んでしまう」ということで、「もう1軒」ということになってしまった。8時に解散ならば、家には9時前に辿りつき、軽く一杯で床に付けるのだが、8時前だと時間を持て余すという理屈である。 多分二軒目を出たのは10時を過ぎていたと思う。バイパスを超えるまでは気を張っていたのだが、バイパスの信号を渡って安心したのか、足のもつれを感じて危ないという意識はあったのだが、最後の角を曲がって後数10mのところで転んでしまった。 咄嗟に“受け身”をして、頭への衝撃を避けることはできたが、ひじから手首まで擦り傷を負い、右胸にもいまだに痛みが走っている。ポケットに入れていたライターの口金が壊れていたから、相当強い衝撃で転倒したのだと思う。 眼鏡も吹っ飛び変形してしまった。昨日は動くたびに胸に痛みが走り、一日中自責の念に駆られてしまった。一軒目ではビールと焼酎3杯だった。二軒目では冷酒2杯までは覚えているのだが、財布の残金からするともう少し飲んだのかもしれない。 私の父も大酒飲みだったのだが、だんだんお酒が弱くなり、晩酌が過ぎると寝床まで歩けないことが度々あり、抱えて寝床まで運ぶのが私の日課のようになってしまった。昔の感覚で飲んでいると、体力の方が追いつかないためで、老いということを考えさせられたのだが、私も同じ道をたどっていることを強く認識させられた出来事だった。 眼鏡は壊れるし、身体のあちこちがまだ痛い。大人のはずなのに。
先週訪れた青森市の事を少し。初めて青森に出かけたのは、今から40年前にねぶた祭りを踊るため(地元の人は「はねる」と言うのだが)で、車を運転してのものだった。当時高速道路は仙台までしか開通しておらず、縦長の岩手県にうんざりした記憶がある。
それ以来、何回か仕事で出かけ、青森空港だけでなく三沢空港を利用したこともあり、鉄道も昔の東北線や秋田経由で奥羽線という経路もあるから、5~6回は出かけたと思う。しかし、いずれも80年代の事であり、最後に出かけたのは何時か忘れたが、今回は25年ぶりの訪問になる。 当初の予定では、金曜の夕方6時からインタビューをする予定で、一泊して土曜は少し観光をして夕方の飛行機で戻る予定にしていた。というのも、三内丸山遺跡を見たいと思っていたからだ。 三内丸山遺跡は縄文時代の大規模集落跡として有名だが、脚光を浴びたのは90年代半ばになってからである。私が頻繁に青森を訪れた時から10年ほどのちの事であり、次に青森に出かけるのは何時になるかわからないので、この機会に見損なっていた遺跡を尋ねるスケジュールを組むことにした。 金曜の夕方のインタビューが先方の都合により、急遽土曜日の午後になったのだが、夕方の飛行機を予約していたので何とか対応ができた。遊ぶ予定にしていたのが、思わぬ怪我の功名となった。それでも午前中はフリーだったので、遺跡見学に出かけた。 三内丸山遺跡は、総合運動公園の一角にある。江戸時代から存在は知られていたが、本格的発掘調査は、95年に野球場を建設するために調査をしていた所、大規模遺跡が発見されてからとのことである。 それ以降整備され、建物の復元が行われ、最近では「時遊館」というミュージアム、体験教室、ホール、レストランなどの入った建物も出来て見学客を受け入れている。入場料は無料である。 目玉は、「大型掘立柱建物跡」直径2m、高さ15mの柱が6本組み合わさった櫓のような構築物である。最初に見た時は、想像より小さく感じたが、公園として整備された広い空間にあるためで、すぐ側に高所作業車が置かれ、見物客に15mの高さを体験させてくれるサービス(?)があったので、利用してみるとその大きさが実感できた。 直径2mの巨木を扱うには大勢の人が必要になる。そのためには指揮命令系統がなくてはならないが、組織的マネジメントが誕生するのは農耕文化になってからだと思っていたが、狩猟・採集の縄文時代から組織が芽生えていたということだろう。 縄文時代侮るなかれということなのだが、その感を強くさせたのはミュージアムに展示されていた「縄文ポシェット」である。樹皮で編んだ15㎝ほどの小さな袋だが、現在でも通用しそうな代物である。 文明は定住生活から始まったと思っている。定時定点観測により“科学する心”が誕生したのだが、狩猟・採集生活は獲物を求めて移動していたため、農耕文化になってからだと認識していた。 しかし、その思いは遺跡を見て覆させられた。現在の立地は海から2~3㎞は離れているが、縄文海進の頃は海岸だったようである。遺跡からは大量の魚の骨が出土しており、獣の骨よりもはるかに多いようである。日本人の魚食文化はここから始まっているのかもしれないが、豊かな漁場に恵まれていたことが、定住生活を可能にしていたのだろう。 魚の骨で最も多いのはワラサとなっていた。津軽海峡といえば大間のマグロが現在でなナンバー1ブランドになっているが、縄文人にはブリの方がお好みだったようである。私も、マグロよりもブリの方が好きだから、縄文人の血が流れているのかもしれない。 というわけで、すっかり“縄文贔屓”になってしまった。 フィリピンから帰国後、少し風邪気味だったがとうとうこじらせてしまった。気候の変化に身体がついていけなくなってのことだが、このところ毎年何度か風邪をひいているような気がする。このブログで風邪の事について何度も書いているような気がするので、検索してみると6年間で20回も話題にしているようである。
金曜日から青森市に出かけた。フィリピンから帰国して翌日に大阪に出かけ、何とかその日のうちに帰宅できたので、木曜は休養日にあてる事が出来たのだが、老体には少し厳しい日程になった。
今日と明日は出張のまとめをしなければならないが、時間がたっぷりあるのでボチボチやり、“百薬の長”の助けを借りて疲れを癒すことにしたい。 フィリピンでは、ヤシで作ったお酒を手に入れた。ヤシの樹液を発酵させて出来た酒の蒸留酒で、以前スリランカ産のアラックというのを飲んだことがあったが、フィリピンでも作られていた。といっても、市販されているのではなく、自家製のもので、日本では酒税法違反に問われそうな代物である。 水を入れてあった1リットルのペットボトルに移し替え、しっかり蓋をして持ち帰った。アルコール度数は、スリランカ産のアラックは40度だったように記憶しているが、いただいた密造酒は35度くらいではないかと思っている。 現地では中華料理での宴会の時に飲んだのだが、杏仁豆腐との相性がバッチリで、甘いものに合いそうな印象を持った。ようやく落ち着いたので、今晩からしばらくはじっくり密造酒を楽しめそうだ。杏仁豆腐は買ってあるし、マンゴーのドライフルーツとも試してみるつもりだ。 |
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