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久し振りに青空が覗いている。昨晩のNHKスペシャルで、適度に陽の光を浴びないと、ビタミンDが体内で形成されず、骨が弱くなって転倒骨折の危険性が高まるという放送があっただけに、青空が見えるとほっとする。空気も少し暖かく、初夏の香りがする。朝から散歩を楽しんだ。

水泳の五輪選考会が昨日で終わった。一発選考の悲喜こもごもがあり、LIVE中継の面白さを堪能することができた。しかし、なんとなく物足りなさが残った。これが何なのか、今朝まで分からなかったのだが、ようやくなぞが解けた。

NHKの中継は、毎晩8時から45分間の生中継であった。45分の間に3~4レースの決勝が行われる。その間に見所(主として記録を出すための途中のラップタイムの目安なのだが)の紹介や、五輪出場決定者へのインタビューがある。民放の放映なら、とてもCMを挟む余裕はないだろう。

LIVE中継を見ているはずなのに、ダイジェストを録画で見ているような感覚になる。これが、物足りなさの理由であることに気が付いた。詰め込みすぎた結果、“間”が欠けてしまったために、観るための心の準備ができないままにレースがはじまってしまうのである。

五輪などでは、予選や準決勝も観ており、調子やライバルの動向など自分なりに判断し、どの程度期待できるかを構築した後に、本番の舞台を迎えるのだが、このような通過儀式がないため、期待値形成ができないのが違和感を覚えた理由なのである。“間”抜けである。

子供の頃は、大相撲の仕切りがまどろこしいと感じていたのだが、今では仕切りの時間もそれなりに楽しんでいる。見所を自分なりに作る時間なのだろうが、実況放送がかなりその手助けをしているのだろう。

現場で観戦したら、この“間”はどのように感じるのだろうか。テレビ中継を観るのとは感覚が大分異なるのだろうか。
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メハ○○というのが、老化の指標であるといわれている。40代半ばから老眼になりはじめて10数年になるのだが、今再び眼に悩まされ、深刻である。

子供の頃から眼が悪く、メガネは小学校に入った頃からかけている。それ以来50数年の付き合いであり、メガネをかけていない自分の顔が、どんな顔なのかよく分からない。メガネを外して鏡を見るとぼんやりしていることもあるのだが。

私の利き眼は、遠くを見るときは右眼、近くを見るときは左眼である。この利き眼の違いが眼の悩みの根本になっており、厄介なのはパソコンを使う時の利き眼である。

パソコンの距離は、至近距離であり、これまでは左眼の担当であったようだ。そのせいか、この数年左眼の視力だけが悪化し、右と左の視力のバランスが一挙に崩れてしまった。メガネのレンズの左と右で厚さが全然違ってしまっているのである。

以前なら、近視の進行とともに、メガネの度数を上げることにより矯正されるのだが、その矯正力がなくなり左眼はいくら度数をあげてもそれほど視力は回復しないのである。

顔をモニターにくっつけるようにしないとよく見えず、棟方志功のような格好になってしまう。もっと困るのは、手元資料がよく見えないことである。資料を提示して説明された時に、内容がよくみえず、資料を見ながら会話するというのが不自由になった。

書店や図書館で、本を探すのも厄介である。いずれも左眼が担当している分野である。10ポイントの字は小さすぎて疲れるため、12ポイント以上でパソコンを使用するようにしている。それでも、眼の疲労が甚だしく、能率も非常に落ちたように思う(これは言い訳か?)。

先日思い切って、メガネを作り変え、パソコンの距離を右眼にあわせたものにした。読書の時はやっかいだが、今のところパソコンは快適に利用できるようになった。どうやらパソコンの距離は右眼の担当になったようである。利き眼変更の、効目があったということか。

これで読書用もカバーできればよいのだが、両用タイプのレンズは、私のような強度の近視に対応できるものはまだ出ていないようである。しばらく読書量は落とさざるを得ないのだろうか。

昨日は晴天につられてあちこちで歩いたが、ツツジの花がチラチラと見えはじめた。ツツジというとゴールデンウィークの花というイメージがあるのだが、この分では月末までに満開になるのではないだろうか。

今朝は一転して雨模様であり、少し肌寒い。「春に3日の天気なし」という言葉があるのだが、今月に入ってまさにその言葉通りだ。

昨日からはじまったNHKの土曜ドラマが面白そうだ。事前に何の情報も持っていなくて、たまたま番組の冒頭を見てしまい、とうとう最後まで見てしまった。昨日の舞台設定が昭和49年で、風景・感覚がその当時のものであることが、思わずひきつけたのだろう。

ヒロインがOLから、自動車のセールスに転職するのだが、49年に24歳というのは私とほぼ同い年である。劇中で、女性社員は25歳を前に結婚をし円満退社するという言葉が出てくる。主人公はそのこともあって、転職に踏み切るのだが、今とは転職の環境が全く違うため苦労する様子が描かれていた。

ヒロインの奮闘ぶりを見ていてふと思ったのは、私には同世代の女性の友達がいないことである。大学を出てすぐに上京したことや、高校は男子校、大学の学部は女性の比率が5%しかいなかったことなど、いくつも理由があるのだが、仕事の現場に同世代の女性がいなかったこともその理由の一つである。

1980年(昭和55年)の子供(14歳以下)の人口は2700万人で、今より1000万人以上多くいた。私の同世代の女性の大半が家庭に入って出産をしたためである。

この影響を団塊世代の男性はもろに受けた。結婚の対象となる年下の女性が少なくなり、同世代の女性も家庭に既に入ってしまっていたからである。このことが晩婚化のきっかけになったのではないだろうか。

私の高校時代の友人は今でも定期的にあうのが4人いるが、すべて結婚したのは30歳をすぎてからである。若手社員の研修をすることがよくあるが、母親が私と同世代であるということは少なく、父親が同世代であることは圧倒的に多い。

団塊世代によりはじまった晩婚化が、玉突き減少で振幅を大きくしながら現在の少子化にたどり着いたとするのは、飛躍のしすぎだろうか。土曜の9時から楽しみな番組が一つ増えた。

昨日の中央線のトラブルは50万人の人に影響を与えた。早朝に起こった火災の影響で、7時間も電車がストップし、運転再開後も間引き運転などで終日ダイヤの混乱が続いたようである。出勤時に、私鉄に乗り換えてやっとの思いで会社に着いた人が、帰宅にも難渋しさぞかし疲れたことだと思う。

日経の朝刊によると国土交通省は、JR東日本に原因究明と再発防止策を命じ、文書で警告したそうである。私が利用する京葉線は、強風によりしょっちゅう運転ストップがあり、トラブルが多い路線だと思うのだが、いつも感じていることは、JRの対応は回復の措置が遅いということである。

運転を再開してもしばらくは間引き運転で、昨日の場合はこれが終日続いたということであり、何故終日間引きが必要なのかがよくわからない。運転手や、列車の確保が問題なのだろうか。そのことだけで1日中電車が間引きされるのは理解ができない。

毎年4月の第1週は、駅が混雑することが多いように思う。新入社員や新入学者が加わるためで、慣れないためにあちこちで滞りが生じるためである。

昨日は振り替え客が大量に生じたために、京王線や小田急線もさぞかし混乱したのではないだろうか。国土交通省にも。回復が遅れたことについての原因究明や改善策についての警告を出してほしいと思うのだが。
最近東洋経済の内容が気に入っており、ほとんど毎週読んでいる。ライバルの週間ダイヤモンドは、見出しは派手だが中身は伴わないことが多く、このブログでも取り上げたデータの捏造以来読んだことはない(2007年3月27日付け)。

東洋経済の今週の特集は「日経」を取り上げている。マスコミがライバルのことを取り上げるのは珍しいことだが、それほど低迷にあえぐ新聞社が多い中での、日経の成長ぶりは目立つのだろう。

私が日経を読み出したのは、大学に入った頃からだから、40年以上になろうとしている。学生時代から経済に興味があったので、親父に頼んでとってもらったのだが、当時我が家では毎日新聞、スポニチ、日経の3紙が宅配されていたことになる。

親父の働いていた事務所の奥に、住まいがあったので、事務所経費として新聞を購入していたのであろう。当時の日経の読み方のメリットとして、毎日や朝日などと比べて社会面やスポーツ欄がコンパクトであり、時間がないときに最適だったことである(経済面を読むからという理由は建前にすぎなかったようだ)。

大学3年の頃から、商品市況の欄を注目するようになった。その訳は、3年生の時に学生運動のため、学校がほぼ半年ロック・アウトされた。仕方なく、伯父のプロパンガス屋を手伝うことになったのだが、そのときに湯沸しや風呂釜の取替えの仕事も行っていた。

取替えをすると、旧い機器を回収するのだが、釜の部分が銅でできており、くず鉄屋に持ち込むと結構な値段で引き取ってくれる。湯沸し1台で600円くらい、風呂釜では1000円くらいになり、大きな風呂がまを持ち込んだときには3000円にもなり、思いがけない余禄になったのである。

社宅の風呂がまの取替え工事などがあると、大喜びで6軒も取り替えると6千円にはなり、当時の日当が1000円くらいだったから、付録の方が多かったわけだ。

この銅の買入価格は、市況によって変わることが分かり、国内の市況だけでなく、ロンドンの価格がキーになるということを発見し、毎日新聞の市況欄をチェックしていつくず鉄屋に持ち込むかを考えていたのである。

それ以来社会人になってもずっと日経を読み続けており、朝日や読売などの全国紙はほとんどみたことがない。女房も最初は戸惑っていたようだが、今ではすっかり日経の虜になっており、しきりにクリッピングをしているようだ。

今回の特集の最後に、新聞社の部数増減のランキングが掲載されている。数字好きの虫が頭をもたげてきたので、明日にその分析を掲載しよう。


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