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今日も朝8時の気温が22度であり、お盆明けから最高気温が30度を超えた日は1日もない。西日本では日照りで真夏日や猛暑日が続き、一昨日高松で見た地元のニュースでは、ダムの貯水率が6.9%で、28日には貯水率が0になると報じられていた。

東日本の冷害、西日本の旱魃という昔からの飢饉の典型的パターンの気象条件である。幸い今朝は四国に雨が降っているようであるのだが、ピンポイントの豪雨のようであり、水源近くであることを祈りたいと思う。

徳島から高松に向かう道路に、「猪熊邸 水戸黄門縁の地」という看板があった。TVのロケでもあったのだろうと思っていたのだが、高松城の城址にある玉藻公園を訪れて、水戸黄門が高松に関係があることがわかった。

江戸幕府ができたときは、生駒氏が高松城の主だったのだが、4代目の時に改易となり、その後に松平氏が入り、明治維新まで続いた。この松平氏が、水戸光圀の兄に当たる人物であり、その子供が本家の跡を継いでいるのである。

高松は水戸黄門と縁が全くないわけではなかったのである。玉藻公園の資料館を覗いてみると、水戸市と高松市が「兄弟都市」の調印をした書類と写真が展示されていた。見届け人として、彦根市長の井伊氏の署名もある。

姉妹都市と表現するのには抵抗があり、兄弟都市としたのは納得できるが、彦根市長が間に入っているのがよくわからなかった。

資料館を見ているうちにわかったのは、幕末の12代目の城主が、井伊直弼の娘を嫁に迎えており、盟友関係にあったためである。幕末に水戸の徳川斉彬は井伊直弼と鋭く対立し、井伊直弼を桜田門外で暗殺したのは、水戸藩の浪士が主力メンバーであった。

彦根と高松は城下町でもあり、昔から提携を結んでいた。水戸との提携関係はその後にできたようであり、複雑な感情があったのだろう。水戸黄門縁の地とするのは、あながち間違いではなかったのである。小さな発見が嬉しい。

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また、うっかりミスをしてしまった。一昨日から徳島、高松に出かけたのだが、飛行機の予約ミスをしてしまった。10時半の飛行機に乗る予定で、8時半のリムジンを利用することにした。空港まで1時間チョットであり、悠々と間に合う時間である。

先週は、10時25分の便で関空に行く予定で、同じリムジンに乗るつもりだったのだが、運転手に「途中に事故があり、10時までには着かないかもしれない」と言われたため、電車にしたのだが、乗り継ぎが順調だったにもかかわらず、空港のカウンターに着いたのが10時10分過ぎになってしまった。

キャンセル待ちを入れてしまったということで、やむなく10時30分の伊丹行きに変更となった。和歌山県との境に行くためわざわざ関空にしたのに、がっくりである。もう一つがっくりしたのは、京葉線は高速道路と並行して走っているので、道路の混み具合がよくわかるのだが、渋滞の気配はどこにもなかったのである。

一昨日は、バスの中で予約番号のプリントアウトを持参しているかどうかを確認しようとして、愕然とした。出発時間は7時20分となっており、バスに乗った時間は既に徳島空港に到着している時間なのである。

あわててバスの中からJALに電話を入れたのだが、出発後の予約変更はできないとの返事であった。買い直しとなると、3万円以上の負担になり、ダメージが大きい。しばらくやり取りした後に、オペレーターが私の携帯番号を聞き、かけ直すと言う。

しばらくして、携帯に連絡が入り、本来乗る予定だった10時30分の便にそのまま乗れるようにするということになった。思いがけない満足の到来であり、オペレーターが女神のように思えた。

何とか予定通り無事に徳島に着いたのだが、女満別と紋別の空港の勘違い、関空便の乗り遅れに続いて3度連続して、トラブルが起こったことになる。全部自分のミスである。これも歳のせいなのだろうか。

思いがけない満足はもう一つあった。出張経費の節約を要請されており、一泊5200円の格安ホテルを利用することにした。寝られればよいと割り切って、このホテルにしたのだが、部屋の広さや清潔感は問題なく、嬉しいことにマッサージチェアまで部屋に用意されている。

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朝食は600円で、部屋まで運んでくれるという。写真のような、野菜のスープにサラダ、コーヒー、パン3個、デザートがついており、思いがけない満足となった。

このホテルには、ミニ図書館があり、コミックが7,000冊置いてある。この間の紋別の一泊二食5.250円のホテルでも、コミックが沢山置いてあった。格安ホテルは、長期滞在者が多く、無聊を慰めるためのサービスなのだろう。おかげで、久ぶりに「ゴルゴ13」を楽しめた。
6時の気温が19度である。8月に気温が20度以下になることは、めったにないことである。一昨日から関西方面に出張に出かけ、昨日の夕方滋賀県の草津から米原に出て、新幹線に乗り換えて帰京した。

米原駅の手前で気温25度の表示があり、琵琶湖からの風が気持ちよく感じられた。新橋あたりのビルの電光表示板では、19度の表示があり、見間違えたかと一瞬思ったのだが、駅に降りて19度を実感した。

今朝の気温は昨日の宵の内がそのまま続いているわけだ。アメダスを見ると北風であり、日中もこのまま温度がそれほど上がらず、爽やかな1日になりそうな気がする。朝から出かけなければならないので助かる。

西日本では7月の初旬から、連日のように猛暑日が続いているのだが、東日本ではそれほどでもない。千葉で猛暑日になったのは1~2度で、昼間からエアコンを使ったのは3回くらいである。

北京五輪も、選手の動きを見ていると、大会前に予想されていたよりも気温が低いような感じがする。ラニーニャ現象による影響で、世界的には今年の夏の気温は、低いようで今世紀に入って一番温度が低い夏になったようである。

ところで、草津のある滋賀県は、関西で唯一活気のある県である。人口増が続き、出生率も高い。今回久し振りに訪れてそのことを実感した。電車に乗っている人の年齢が、かなり若いような気がする。その前日に南海電車で岬公園まで出かけたので、それとの比較である。

枚方に住んでいた子供の頃のイメージでは、京都を超えなければならないので、随分遠いところだと感じていたのだが、大阪から草津まで50分かからず、思いのほか近いと再認識させられた。京葉線でいうと蘇我の1~2駅先というところである。

JR西日本が、積極的に本数を増やし、スピードも上げたためである。日中でも新快速が15分に1本はあり、1時間に2本しか快速がない京葉線とは大違いである。利便性が増したことにより、人口増をもたらしたのである。

先日公共交通機関を乗り継いで、女満別から紋別への移動に難渋したのと、真逆である。

新快速は、直線が続くところではかなりスピードを上げて運転している。京葉線のように高架ではなく、地面を走っているために体感速度はかなりのもので、少し怖いくらいである。関西では90年代の中ごろから、私鉄の乗降客が減少を続け、JRだけが伸ばし続けているのだが、この高速運転がイラチの関西人に受けているのだろう。
今朝6時の気温が25度、風もあって気持ちが良い。土曜の夜に土砂降りの大雨が降って以来、温度が下がり48時間以上30度を超えていない。このまま秋になってくれればよいのだが、そうもいくまい。

一度涼しさを感じた体に、猛暑日などがもう一度到来すれば、暑さの感じ方はこれまで以上になるだろう。夏バテが起こるのはこれからの時期である。心してかからなければならない。

今年の夏は、梅雨明けが早く、7月上旬から本格的に暑さがはじまったためか、7月のビール系飲料の消費は大きな伸びとなったようである。このところ、減少が続いていた中での事であり、改めて気温とビール消費量の関係を認識させられた。

というのも、最近自宅でのビールの消費量(といっても「第三のビール」なのだが)が減ってきているのである。減っているどころか、一本も飲まない日もよくあるのである。

20代の頃はビール党で、サッポロジャイアンツ(1本2㍑入り)をアパートでテレビの野球を見ながら2本空けるということもよくあった。30代になると、ビール一辺倒ではなく、晩酌はビール大瓶(633cc)1本に、日本酒1合というのがパターンになった。

40代半ば頃からは、ビールのサイズが缶ビールにダウンサイジングし、その分を焼酎が補うようになったのである。当時はそれでも、日本酒の方がやや多かったように思う。

最近では、それが日本酒2:焼酎8で焼酎が圧倒的に多くなってきたのである。焼酎の好みは、芋や麦ではなく、泡盛か黒糖酒を愛飲している。35度か40度の高めのアルコール度数のものをロックでというのが定番である。

芋や麦の焼酎は20~25度のアルコール度数のものが多く、やや物足りなさを感じるので、自宅ではほとんど飲むことはない。

このところ、自宅でのビールの消費量が減ってきた理由を考えると、日中の水分摂取量にあると考えられる。暑い時は日中の水分補給が非常に多くなる。外出している時は、外出先で供される分と、自動販売機やドトール(喫煙コーナーがわりでもある)での補給になり、それほどたいした量ではない。

ところが自宅に居ると、手近に飲み物があるためか、やたらと飲んでいるような気がする。日中に水分を取りすぎるためか、晩酌の時間にもさほど咽喉の渇きを覚えず、ビールに手を出さず、焼酎に直行してしまうのである。「とりあえずビール」の習慣がなくなってしまったということか。

ただし、日中外出しているとこれまでと同様に、晩酌のスタートはビールからというスタイルに変わりはない。涼しくなると日中の水分補給が少なくなるので、終日家にいても「まずはビールから」というスタイルが復活すると思うのだがどうであろうか。

なでしこの戦い方を見ていると、ドイツW杯のブラジルとの試合を想い出してしまった。倅も私と同意見であった。

紋別で泊まったホテル「流氷」はビジネスホテルというよりも、典型的な商人宿であった。行商で各地を転々とする人たちが宿泊する、格安な宿泊施設である。この手のホテルは、以前仙台に出張ででかけた時に、大規模な学会が開かれてホテルが満杯になったために利用したことがあるし、佐賀県の鳥栖でも同じようなホテルを利用したことがある。

風呂やトイレは共同で、部屋も畳敷きである。部屋にエアコンはなかったが、さすがに北海道であり、窓を開けていると寒いくらいであり、苦にはならなかった。何しろ2食付で5250円である。ホタテの味噌汁が美味しかったこともあり、十分納得である。

翌日タクシーを呼ぼうとすると、主人が送ってくれるという。私と同年輩の夫婦2人でホテルを経営している気安さからか。車の中の話では、紋別はホタテ、毛蟹の漁業と、酪農の町であり、流氷を目玉に観光を奨励しているが、アクセスの悪さからそれほど上手く行っていないとのことであった。

午前中に何とか仕事を追えたのだが、帰り道がまた大変であった。紋別空港から羽田へは1日1往復しかない。しかもANAであり、JALの航空券しかもっていないので、女満別に引き返す他はない。

バスで遠軽まで出て、遠軽から石北線を利用することにした。遠軽の駅は少し小高いところにあり、鉄道マニアにとってはたまらない景観だと思う。名寄線が営業していたころは、ターミナルとして随分栄えたのだろうが、現在はひっそりとした佇まいである。

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駅は木造で、少し高いところにある。バスで遠軽まで出て、1時間ほど時間を潰し、列車を利用することにした。この10分前に特急があるのだが、これは北見で3時20分の飛行機に乗るためのバスにギリギリ間に合わない。


結局女満別8時20分の飛行機しか利用できないので、のんびり鈍行列車の旅を満喫することにした。

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北見までは写真のような懐かしいディーゼル列車(1両編成)である。エアコンは装備されていなかったが、開放された窓からの風は心地よかった。随分旧い車両だと思ったのだが、運転手の話では昭和52年ごろに製造されたものということであった。

途中に山越えがあるのだが、スピードががくんと落ち、あえぎあえぎ走る姿に、昭和30年代の旅行を想い出し、ディーゼルエンジンの臭いとともに、タイムスリップをした感じであった。

乗客は、後期高齢者が大半を占め、カメラを持った鉄チャンと、高校生らしいのが何人かいた程度である。北見までの途中で乗り込んできたのは1人だけで、10人くらい降りる人がいた。

バスといいJRといい、乗客は10数人しかおらず、途中で乗り込んでくる人も少ない。これでは公共交通機関が維持できないはずである。

便利が悪いからマイカー利用が増え、その結果乗客が減って便数が減り、益々便利が悪くなるという悪循環である。通勤がないのは、企業がないためにいたし方ないのだが、通学はどうしているのだろうかと疑問を持ってしまう。

地方によっては、通学のために公共交通機関を維持しているところもあるのだが、オホーツク沿岸地方では通学の心配もないほど少子化が進んでいるのだろう。

バスの待合で五輪中継を観ている人の平均年齢は、おそらく後期高齢者の年齢に達していると思う。そういうことを考えながら、羽田行きのJALに乗り込むと、客室乗務員の年齢は日本人の平均年齢の43歳とほぼ同じように見受けられた。高齢化はいたるところに忍び寄っていると感じさせられた2日間であった。



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