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今朝も曇天で肌寒い。これでサクラの開花は週明けになるのだろう。お花見は、4月はじめが最適だろう。

我が家の墓は千葉市郊外の平和公園にある。広大な墓地は、サクラで覆いつくされており、日ごろは墓参などしない不心得ものが、この時期だけは改心するのか、凄い人出になる。

平和公園から3~4Kmほど離れたところに、「泉自然公園」がある。こちらには、ボタン桜と、枝垂桜の銘木がある。ソメイヨシノが終わって2~3週間で見ごろとなる。ただし、どちらが先になるかは忘れたが、同時に咲くことはなく、少し時期がずれるのが残念ではある。

仕事が一段落する4月のはじめにするか、ボタン桜の咲くのを待って4月の中旬にするか、墓参りの日を決めかねている。

昨日書いたサミットの出席者についていくつか付け加えることがある。サミットは1975年にフランスのランブィエで行われたのだが、その時の日本の出席者は三木武夫であった。その後福田3年、大平1年、大来(代理)と続く。

最多出席は、小泉の6年で中曽根の5年が続く。4年はなくて3年が福田と橋本ということになっている。サミットが始まって以来17人が首相になっているが、参加できなかったのは細川、羽田の2人である。

1度しか参加できなかった首相も6人いる。驚いたのはドイツで、この間4人しか登場しない。33年間で3度しか政権交代が行われなかったことになる。

ただし、2000~2005年の経済成長は7.0%で、6.9%のイタリアとほぼ同じ水準である。2000年代の国際的な経済成長のナミに乗り損ねたのは、日本とドイツ、イタリアの3カ国である。

かっての同盟国で、敗戦国である。さらにこの3カ国は少子化が著しいことでも共通点がある。少子化や敗戦国ということが現在の低迷に関係があるのだろうか。サクラの話で終わりにするつもりだったのに、付録の方が多くなってしまった。

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いぜんとして今朝もかなり風が強い。風に弱い京葉線沿線の住民にとって、風は気になる。安全運転のため速度を落として走ったり、ダイヤの乱れで快速列車の運転取りやめ、最悪の場合は全線ストップである。このところ連日のようにダイヤに乱れが出ている。

出かける時は常に天気予報の“風”には注意を払うようにしている。京葉線が風に弱いのは2つの理由がある。一つ目は地形の問題である。東京湾の一番奥に東京があるような気がするが、地図をよく見ると千葉市あたりが一番奥にあり、京葉線は湾奥を走っていることになる。

東京湾の一番奥にあって、海上を通る風をまともに受ける形となり、南西風の時は特に風が強くなると思う。台風が接近している時は南西風であり、日本海の前線上を低気圧が通過する場合も要注意である。

二つ目は、構造上の問題である。京葉線は地下以外は全線高架になっている。路面と同じレベルは、海浜幕張と千葉みなとあたりの一部で路面より低い場所がある。多分操車場や貨物駅の出入りと関連して低くなっていると思うのだが、わずかな距離に過ぎない。

高架は風を受けやすいのだが、さらに橋梁の部分では一段と高くなっている。東京から千葉までには何本も川が流れているが、その中でも葛西~新木場の江戸川を跨ぐ橋は極めて高いところにある。

水面から30Mは優に超えている。これは、河川を大型船が通るということで、橋桁を高くしてあるためだとの車内放送を、京葉線で聞いた事がある。多分休日だったと思うのだが、変わった車掌もいるもんだと思った記憶がある。しかし、実際に川を大型船が航行している姿は見かけたことがない。景色を楽しむためのものではないのだが。

ということで、風の影響を受けやすい路線ということになってしまったのだ。窓から外を眺めると、枝のゆれ具合は少し治まったような気がする。今日は正常運転だと思うのだが…
昨日は久し振りに、仕事で築地に出かけた。

築地には15年ほど通勤していたことがあり、少し早めに出かけて、場外市場をのぞいてみた。昼過ぎに出かけたのだが、以前とはかなり違って観光客らしい人がかなり見受けられた。この人たちも「産業観光」の範疇に入るのだろう。

観光スポットは人為的に創らなくても、自然発生的にできるものであることがよくわかる。観光開発を考える場合は、今あるものに意味づけをし、いかに興味をひくかだけを考えればよいのであって、箱物をわざわざ造る必要はないと思う。

新大橋通りに面した一角は、食べ物屋が連なっている。口の肥えた市場への客相手に商売をしているため、レベルの高い店が多いことで有名である。以前築地に勤務していた頃、昼食をとるためによく利用した。

中でもあるラーメン屋をよく利用したのだが、20年前は本当に立ち食いで、立ったまま丼を手にラーメンを食べていたのだが、昨日訪れてみると、食べるためのスタンドが隣にできており、丼を手に持ったままということはなくなった。(あまり行列が長くなるので隣の店にはかえって営業妨害となり、つぶれてしまったのかもしれない。)

メニューは650円のラーメンのみであり、一度に8杯づつ出来上がる。その間約4分、1時間では120杯になる。昨日も1時過ぎだったのに、私は1順目にはならず、ようやく2順目の最後にありつき、10分ほど並んだことになる。

味はそれほどのものとは思わないのだが、チャーシュー・メンマの盛りがよいのが売りなのだろう。とにかく行列ができるため、余計関心をひくのだろうか、繁盛している。すぐ隣にもラーメン屋があるのだが、こちらは客がおらず、店主も手持ち無沙汰にしている。

早朝から昼過ぎまでの営業であり、1日400杯くらいの売上になる。営業日数300日とすると売上は8千万円。粗利6割で、諸経費が年間1千万円とすると、約4千万円の利益になる。これを昔から2人でやっているのである。少なくとも25年前から行列の長さは変わらない。

屋台のラーメン屋としては断トツの日本一だろう。2人のマイカーはベンツだと思うのだが、どうだろうか。
今朝は6時の気温が5度もあり、パジャマ姿でこの原稿を書いていても寒さを感じない。ようやく春の香りがしてきたような気がする。偕楽園の梅祭りが昨日からはじまったが、例年より2週間くらい開花が遅れているようである。

今年は、新年を迎えた時はポカポカ陽気で、今年も暖冬を思わせたのだが、10日をすぎた頃から寒くなりだし、最高気温が10度を超えたのは、この40日あまりで2日ほどである。

暖冬に体がなじんだせいか、寒さがややこたえているが、それでも過去30年の平均並みとの事であり、この程度の寒さは当たり前だったのである。

このマンションに住んで22年に間もなくなるが、入居当初の寝室は北向きの部屋であった。入居当時から、冬場の寒い日の朝に目覚めると、鼻の下のヒゲが湿っていることがたまにあった。鼻水でもなくさほど気にも留めなかった。

これがキャンプに行きだして、謎が明らかになったのである。キャンプは夏は蚊が多くてあまり快適ではなく、晩秋から初冬にかけて、焚き火にあたりながら談論するのがもっとも楽しいものである。

初冬とはいえ、キャンプ場では夜中は相当に冷え込み、テントの中も家の中より相当温度が下がるのである。このとき、ヒゲがかなりの湿り気を帯びており、寝息が水蒸気となって鼻の下のヒゲに溜まるということに気が付いたのである。

それ以来、朝起きた時のヒゲの湿り具合が、寒さのバロメーターとなったのである。90年代は年に1~2回はそういう経験があるのだが、2000年代になってヒゲの湿りを感じたことはない。今年ももちろんそうだ。寒いといっても、温暖化は着実に進んでいるのだろう。

我が家の周辺にはサクラの木は多いのだが、梅はほとんど見かけない。先日ようやく、スーパーの広場の片隅に2本咲いているのを発見したが、梅の花独特の香りがまったくしないのである。

香りがしないために、梅の花とこれまで気が付かなかったのだろう。熱心に写真を撮っているおじさんに聞いて見ると、「都会の梅は香りがないんだよ」との返事だった。

梅林に入って甘酸っぱい臭いを全身に浴びると、梅の精気を吸収したような気分になり、元気が回復する。香りのない梅なんて…
恐羅漢山といういかにも恐ろしい名前のスキー場で、七人の中年男性が遭難したが、2日経って無事帰還できた。私も高校生の頃、一度春山登山で大峰山の縦走をしたときに、道に迷い遭難しかけたことがあるだけに、いつも登山やスキーの事故のニュースが流れるたびに他人事のような気がしない。

雪のない季節だと、登山道がはっきり分かるのだが、積雪が多くなるとどこがルートなのか判然としなくなる。そこで雪が積もる前に、予めところどころ木の上に目印のリボンを巻いておくのだが、手の届く範囲だと積雪が2Mになると隠れてしまうので、それよりも少し上につけておく必要がある。

大嶺山は登山客が多いので、先人の残した目印がふんだんにあるということなので、準備をしなかったのがいけなかった。春休みに出かけたのだが、季節外れの大雪が降り、とうとう道に迷ってしまった。テントは持たず、無人の小屋を利用するというプランで出かけたのだが、日が暮れてしまいやむなくビバーグすることになってしまった。

ポンチョをテント代わりに、寝袋の先をリュックに突込み少しでも暖かくしてというスタイルでの野宿である。凍傷の一歩手前で、手の指の爪が一部変色してしまったほどである。

翌日天候が回復してがっくりしたのは、目指す小屋と100Mも離れていない場所でビバーグしていたことが分かったことである。しかし、吹雪の中での行動であり、無理して探し続けていたら道に迷って体力を消耗したかもしれず、ビバーグの判断は間違っていなかったと思う。

今回の遭難でも、二日目の吹雪の時に、偶然見つけた小屋で動かずに一日過ごしたことが、結果として生還につながったのだと思う。装備が十分でない時に、気象条件の悪い中を彷徨うと、体力の消耗が著しい。パニックにならず、無理をしないという判断がよかったのだろう。

今回の遭難騒動で、恐羅漢山という名前が全国に一気に知れ渡っただろう。怪我の功名である。


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