社長のブログです
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朝一の飛行機だったので時間に余裕があり、空港で「流氷科学センター」がどのような案内をしているかを確認するために、観光案内カウンターに立ち寄った。「流氷博物館」のパンフレットを手にした時に、名称が違うことに気が付き、係員に確認をした。
その場でネット検索をしてくれ、「流氷科学センター」は門別にあり、「紋別空港から5分の距離にある」ということがわかった。5分だと空港から近いというのが肯ける距離である。電話での違和感は氷解したが、時すでに遅しである。 このまま引き返すわけにはゆかず、紋別まで出かけることにした。直線距離で100Kmはたっぷり離れている。レンタカーを借りることを考えたのだが、前日に本を処分した時に免許証を別のズボンのポケットに入れたままで、レンタカーを借りることは断念せざるを得ず、「公共交通機関」を利用するしかなかった。 紋別には国鉄時代に名寄線が走っていたのだが、JRに切り替わった途端に廃線になってしまい、遠軽からのバス便が唯一の公共交通機関である。この遠軽-紋別のバス便の本数が異常に少なく、北見からの直行便も含めて1日4往復程度しかない。 北見から遠軽への便も、JRと路線バスをあわせて1時間に1本ないのである。しかも11時半に北見を出るJRが遠軽に着くのは13時であるのに、貴重な紋別行きのバスが遠軽を出るのが時刻表ではその数分前である。 結局紋別に行くためには、15時15分発の急行バスを利用するしかなかったのである。北見には11時前に着いたのに、4時間以上も時間つぶしをせざるを得なかったのである。お陰で、オリンピックをたっぷり楽しむことができたのである。 北見から紋別までは急行バスで3時間である。初めての場所であるため、窓の外を眺めていると退屈することはない。 北見から30分ほどで、「留辺蘂」という停留所で小休止があり、バスから出て一服することができた。るべしべと読むのだが、温根湯温泉の起点でバス停の前がJRの駅でもあるのだが、すっかり寂れてしまっている。 バスの待合所は小奇麗な建物であるのだが、「はーとふるプラザ」と命名されていた。よく見ると蘂の字に、心という文字が3つ入っており、「はーとふる」になったのだろう。こころは一杯なのだが、待合室に客は一人もいなかった。 途中遠軽でもタバコタイムがあり、何とか6時過ぎに紋別に到着した。市街は海の側にあり、潮風が心地よい街である。自分の不注意による宿泊のために、最も安いホテルを倅にネット検索してもらい、一泊二食つきで5250円という「流氷」というホテルを急遽予約した。 話はまだ大分あるので続きは後ほど。 PR
一昨日は予定外の事が起き、北海道のオホーツクに面した紋別というところで一泊することになってしまった。春先に流氷が大挙して押し寄せ、流氷遊覧船「ガリンコ号」の就航や、流氷祭りで有名な街である。
一昨日のブログには網走に出かけると書いていた。北海道立流氷科学センターに出かける予定だったのだが、網走にあるのは流氷博物館である。どこにあるのかチェックしようとインターネットで検索した時に、“流氷博物館”という文字で検索した。 流氷をテーマにした博物館は、一つしかないという思い込みがあったためである。流氷博物館は網走にあり、女満別空港が最寄の空港になる。 電話でアポイントを取った時に、「空港からタクシーですぐのところ」と言われており、HP上で見た「流氷博物館」の「空港からタクシーで20分」という記載とはやや違和感を覚えたが、広い北海道のことゆえ車で20分も近いという部類なのかと、勝手な解釈をしてしまった。この時に気が付くべきだったのだ。 女満別への便はJALとANAが就航しており、ANAは満席であったために、JALの7時50分発の便を予約していた。稲毛海岸からのリムジンが少し渋滞に引っかかり、羽田に着いたのが7時30分でギリギリの時刻であった。 カウンターでは、若い女性スタッフが隣のベテランに色々指導を受けながら(モタモタして数分かかっていた)、ようやく発券をすると、お急ぎくださいとチケットを持ったままいきなり走り出した。スムーズに発券できていればと内心文句を言いながら、手荷物検査に辿り着いた。 悪いことに、手荷物検査でバッグが引っかかってしまった。機内持ち込みのライターが1個に制限されているのだが、バッグの中に4個入っているという。予備のライターを突っ込んであり、ポケットにもいつも2~3個持っているというのが私の習慣である。 かばんを引っ掻き回してようやく4個出てきたのだが、再度チェックするとまだ1個入っているとの事で、最後の1個を見つけ出すのに、手間取ってしまった。 そこからの女性スタッフの足の速いこと、付いてゆくのが大変で登場口に辿り着いた時には大きく引き離されてしまった。グラウンドパーサーになるためには脚力の試験もあるのだろう。飛行機の出発時間を遅らせてしまい、出発時からケチが付いてしまったのである。 話が長くなったので続きは後ほど。
昨日は気温は30度に届かなかったのだが、猛烈な湿度の高さで、不快指数は極めて高かった。当然のようにあちこちで雷雨が発生し、電車がストップするなど被害が続出した。
マンホールの中で作業をしていた人が、急な増水で流され5人が死亡や行方不明になっている。この夏によく起こっている、局地的な集中豪雨の犠牲がまた出たわけだ。 昨日の午後は北の丸の科学技術館に出かけたのだが、インタビューの最中に何度も雷鳴がとどろき、帰路は最初雨が上がっていたが、途中で大雨に変わりあっという間に道路を川のように雨水が流れていた。 ところが、稲毛海岸に戻ると、空気はからっとしており、涼しく感じられた。湿度は高いのだが、都内に比べると少しはましだったので、快適に感じられたのだと思う。それだけ、都内の蒸し暑さが異常だということだ。 ヒートアイランド現象が年々進み、コンクリートやアスファルトで固められた土地の問題点が一挙に噴出した感じがする。アメリカでも、ヒートアイランドの問題が深刻化しつつあり、昨日はとうとうカブスとアストロズの試合が行われていたシカゴの野球場を竜巻が襲ったようである。 幸い大雨のため選手や観客が建物の中に非難していたため、被害はなかったようではあるが、大都市のど真ん中で竜巻が起こるというのは厄介な問題である。 東京駅の大丸が取り壊されるのだが、その理由の一つは海からの風の通りをよくするためであるという。ヒートアイランドになる要因には、高層の建築物が増えたことにより、風の流れが阻害されたことも理由なのだろう。 ヒートアイランド現象によって、気象学の常識は一変させられているのではないだろうか。生活や身を守る知識として、ヒートアイランドのもたらす気象の特徴を勉強しなおさなければならない。 これで昨年の2月からはじめたブログが499本となった。 鹿児島に週末から出かけていた。これまでに10回ほど鹿児島に出かけているが、今回が最も暑く感じられた。 昨夜遅くにまた岩手県で大きな地震があった。こちらでも震度3程度の揺れがあったようなのだが、私は夕べは10時過ぎに就寝しており、全く気が付かなかった。 |
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