社長のブログです
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仙台では、復興支援に活躍したNPOへのインタビューを4件行った。当初の予定では、被災地の現場でのインタビューを予定していたのだが、私の担当した相手は全て仙台市内の中心部であったため、現場の“におい”を嗅ぐことはできなかったため、仕事を終えてから視察をすることにした。
被害の実態を観るには石巻より北側が適しているらしいのだが、鉄道はまだ寸断されており、バスでしか出かけられないということであった。一方、南部の方では仙台空港までの鉄道路線があり、名取駅からタクシーを利用して海岸線までタクシーで出かけることにした。震災の当日、NHKのヘリコプターの映像がライブで津波の襲来を伝えた場所であり、私の記憶にはまだ鮮明に焼きついている場所である。 仙台駅から名取までの運賃は230円で、快速では10分足らずの近さである。仙台を出てすぐのところには仮設住宅なのだろう、100戸あまりのプレハブが並んだ地域があった。仙台の中心街では震災があったことなど微塵にも感じなかったのだが、いきなり洗礼を受けた感じで、気持ちを引き締めて名取に降り立った。 名取駅から、ゆりあげ(漢字変換では出てこない。門の中に水の字が入る。津波の被害を象徴するような文字だと不謹慎にも思ってしまった)の海岸までは7~8キロ程度だろうか。津波を食い止めた仙台東部道路はその中間にあり、その手前あたりから建物の間にポツポツと空き地が見られる。東部道路の隙間をくぐり抜けた津波の被害にあった家屋の跡だという、タクシーの運転手の解説があった。 東部道路を越えたところには、ビニールハウスが立ち並んでいる。カーネーションを栽培しているとのことで、早くも復興が始まっていることを実感したのだが、数百m過ぎると景色は一変した。 回りの建物がすべてなくなった中で、1軒だけぽつんと魚屋の建物が残っていた。人は住んでいないようで移転先を伝えるための張り紙らしいものが見られた。 近寄って見ると違った。この写真をクリックすると拡大できるので興味のある方は読んでみてください。とても悲しくなるメッセージです。 魚屋を過ぎると、建物の跡形は全くなかった。遠くに見えるのは、がれきの集積場と“日和山”である。片側1車線の生活道路に、無数の細い道が交差している。車がすれ違うことは難しいような狭い道路で、路地のようなものである。このような道が無数にあるということは、人が密集していたことの証拠である。 運転手の話によると、震災前にはこの辺りに9700人もの人が住んでいたとのことであり、田舎では貴重な「人口密集地」を、津波が一瞬にして消し去ってしまったのだ。 これが日和山である。大正時代に造成されたもので、明治三陸地震の時に襲った津波の高さになっているとのことである。手前の雑草に覆われた所にも、家が立ち並んでいたようなのだが、先人の残してくれた教訓は生かされなかったということだ。 広大なエリアはほとんど真っ平らで、高い建物は3階建ての中学校の校舎だけだ。その校舎も2回まで津波が押し寄せたのことで、津波が来るということが分かっても、逃げる場所がほとんどなかったものと思われる。NHKのヘリからの中継で車で逃げ惑う人々が数多く見られ、「なんで車で逃げるのだろう」と疑問に思ったが、現場に行ってみてよくわかった。とても歩いたり走ったりして逃げられる地域ではなかったのだ。 タクシーの運転手は30歳代の若い人だったが、地元についての知識が豊富で色々教えてくれた。私のような被災地見物をする観光客はいるかと尋ねたところ、何人か乗せたことはあるそうで、「色んな人に見に来てもらいたいんですよね。観たこと、感じたことを色んな人に話してほしいんですよ」とのことである。 震災からの復興(がれき処理も含めて)を進めるためには、積極的に“被災地ツアー”を行うべきだと感じた。ちなみにタクシーの料金は4260円で、これも被災地への支援になったと思うのだが。 PR
八戸の感想の続きを。食べ物が旅の楽しみの一つで、日本有数の漁港である八戸港に上がる魚は、イカとサバである。両方とも「八戸前沖」という冠が付いて売られている。サバを馬鹿にする気はないのだが、関サバのようなマグロのトロにも匹敵するような逸品ではなく(今は季節外れということもあるが)、イカもアオリイカやケンサキなどの高級品ではなくスルメイカである。
食べ物には少しがっかりしたが、仕事が早く終わったため種差海岸に出かけた。司馬遼太郎がライフワークとした「街道を行く」で訪れた時に、異星人に日本の素晴らしいところを紹介するとしたら種差海岸だと感嘆した場所である。 天然の芝生が海べりに自生しており、気持ちよく散策できる場所である。写真の奥に見える東屋で太平洋の景色でも眺めようとしたのだが、行ってみると中でカップルがいちゃついており、東屋でくつろぐことはできなかった。 津波の被害はほとんどなかったようで、正面の奥で壊れた防波堤の改修工事が行われているだけだった。せっかくの景勝地なのだが、人影がほとんど見えない。全国ブランドではないということか。食べ物で最も有名なものは、「せんべい汁」だが、これもB級グルメで入賞したものであり、沖前のイカやサバもそうだし、観光スポットも含めて一言で八戸を言うならば、「B級ブランドの街」ということになるのだろうか。 海岸際の食堂で食べた、名物のウニ丼である。定価2300円のものだが、300円引きのサービス料金だった。2000円にしては、ウニの量が物足りなくて少し不満だった。ご飯が見えないくらいウニが乗っていることを期待したのに。 種差海岸から観光用のワンコインバス(本当に100円だった)に乗って、海岸線の風景を楽しみながら、ウミネコで有名な蕪島に移動した。せっかくのワンコインバスなのに、乗客は3人だけとさびしい限りだった。 蕪島は現在では陸続きになっており、一周100mもないような小さな島だった(写真を何枚か撮ったつもりだったが、録画モードになってしまっていたので掲載不能である)。 監視員のおじさんの話では、3万5千羽以上いるとのことで、備え付けの傘(糞よけか)を指しながら見物したが、ヒチコックの「鳥」を想い出すような光景だった。ここでも見物人は3人だけでウミネコは一杯、人は閑散だ。監視員のおじさんが色々話をしてくれたのだが、訛りがきついのとウミネコの喧騒で半分も理解できなかった。 三沢空港まではバスで戻ったが、乗客は私一人だけで、運転手と話をしながらの45分となった。タクシーの運転手とは話をすることが多いが、バスの運転手とは初めてで珍しい経験をさせてもらった。飛行機よりも新幹線の方が強いということがよくわかったのだが、基地がある限り路線は維持されるのだろう。 今日はこれから仙台へ出かける。八戸では震災の傷跡をほとんど見る事がなかったが、多賀城や医師の巻にも出かけるので震災の爪後や、復興の進み具合を眼にすることになると思う。録画モードにならないように気をつけなければ。
昨日まで、八戸に出かけた。新幹線に3時間以上乗るのが嫌で、三沢空港着の飛行機で出かけた。往きの飛行機では外国人(東アジアの人ではない)が1/3以上占めており、国際線に乗っているのかと錯覚しそうなほどだった。バスの運転手の話だと、以前は三沢基地から軍用機を横田や横須賀に飛ばし、軍関係者の便宜を図っていたが、経費削減のため民間機を使用するようになったとのことである。
費用は、我々よりも随分安いとの事であり、「思いやり予算」がここでも活用されているのだろうか。往復とも搭乗率は50%を切っており、普通なら路線継続が問題になりそうだが、基地がある限り政治路線として廃止されることはないだろう。 空港から八戸市内までは直通バスが走っており、何のためらいもなくバスに乗ったのだが、発車して間もなく「八戸駅に行かれる方は、三沢駅で電車にお乗り換えください」というアナウンスが流れた。運転手に確認すると、「乗り換えてください」とのことである。 三沢駅からは「青い森鉄道」という第3セクター路線で、八戸駅まで通じている。新幹線の開業に伴い第3セクターに移行したらしいが、乗客はパラパラで赤字路線というのは一目瞭然で、行政の負担の大きさが心配になってしまった。 八戸駅について驚いたのは、駅の周辺に灯りが乏しいことだ。節電を徹底しているのかと一瞬思ったが、そうではなく建物がないのである。八戸駅は02年に新幹線が開通して以来、青森までの延伸までの10年ほどは東北新幹線の終点であったところなのに、全く賑わいはないのである。 駅の上にあるホテルにチェックインし、早速観光案内を調べてみると、中心街は八戸駅から少し離れた場所にあり、最寄駅は八戸線の「本八戸」ということが分かった。直線距離で、八戸駅から中心街までは4キロほどありそうだった。空港からのバスは、八戸駅などは見向きもせず、中心街へ直行していたのだ。 城下町では、駅から中心街まで離れているケースが多い。私の出張の記憶では、富山や、熊本、鹿児島などがそうだ。お城の側に電車が走るというのはもっての外ということなのだが、八戸は南部藩の支藩であり、南部藩自体も10万石程の小さな規模で、城下町という意識はなく駅前のホテルを選んでしまった失敗だった。 普段なら中心街の“視察”をするのが慣わしなのだが、今回は外に出ることはなくホテルに併設されている食堂(この言葉がぴったりである)で大人しく過ごすことになってしまった。 1泊4600円というJRのホテルとしては安い料金に魅かれて予約を入れたのだが、新幹線を利用するならともかく、飛行機利用なら駅上のホテルを選ぶべきではなかったのだ。初めての所に出かける時は、地図を確認することを再認識させられた。 八戸の街や食べ物についての感想は明日に書くことにする。
九州北部を集中攻撃していた梅雨前線がようやく移動を始めたようで、昨日から猛烈な湿気に見舞われている。不快指数がマックスに達しており、エアコンの除湿機能にお世話になっている。この梅雨前線が通り過ぎれば、梅雨明け宣言になりそうなのだが、何時まで居座るつもりなのだろうか。
今日は夕方から八戸に出かける。明日の10時から仕事なのだが、八戸には東京駅からでも3時間かかるので前泊することにした。しかも新幹線で長時間乗るのが嫌なので、飛行機で三沢空港着の便を利用することにした。 八戸の訪問は今回が初めてだが、三沢空港は一度利用したことがある。仕事で青森には何度も出かけたことがあり、在来線を利用したこともあるがほとんどは飛行機である。青森空港を利用することも多かったが、昔は青森空港はプロペラ機しか利用できず、ジェット機は基地のある三沢しかなかったためである。 ねぶたを踊りに行った時は、自動車だった。高速は仙台までしかなかった時代で、岩手県を通過するのに4~5時間かかったような記憶がある。東名を走ると静岡県が随分横に長いと感じるが、岩手県は縦に長いのである。 八戸は青森県なのだが、咄嗟には岩手県と勘違いしてしまうことが多い。八戸=南部藩、南部藩=岩手県ということでつい連想してしまうためだ。漢数字と戸という言葉を組み合わせた地名があのあたりにあるが、三戸までは青森県で、一戸と二戸は岩手県にある。 弘前で、オートバイの販売店の店主何人かにインタビューしたことがある。普通に話をしている分には問題はないのだが、メーカーの評価を尋ねると一変する。溜まりに溜まった不満があったのだろう、早口の津軽弁でまくし立てられると通訳を呼びたくなるほどになってしまった。1店だけでなく、訪れた5店全てで同じ状況になり閉口した記憶がある。津軽気質なのだろうか。 八戸でも何人かにインタビューをする予定なのだが、刺激的な質問は少ないと思うのだが、微妙な質問の時にどうなるのか南部気質がどうなのか興味のあるところだ。
高級リゾートを標榜する「望楼NOGUCHI函館」の会席料理のメニューの後半をご紹介する。
料理は個室で提供され、お相手をしてくれたIさんである。料理を運んでくる度に細かな説明をしてくれ、口うるさい客の意地悪な質問にも嫌な顔をせずに対応してくれた。翌日の朝食も同じ部屋で彼女が担当。感謝!! 「志のぎ」(懐石では箸休めになるのだろうか)として、がごめ昆布うどんがでてきた。がごめ昆布とは函館の特産品のようで、一口で食べられる量に、手前のツユをかけて食べた。一口の辛かったことは言うまでもない。 ここまできてようやくメーンディッシュの登場である。強肴は「大沼牛のポワレ」でルパーブ(大黄)のソースがかけられている。最初か、2品目に出てくればさぞかし美味く感じたと思うのだが、このタイミングでは黙々と食べるだけである。 その次は「酢肴」で、ずわいがにの胡瓜とトマトゼリー寄せと、ほっけの白板昆布締めである。これが前菜で、先ほどのポワレが次に来れば、後はご飯だけで私のお腹は十分満たされるのに… 飲んだお酒の事を書くのを忘れていた、最初は北海道の吟醸酒60ミリリットルのグラスが3点セットになったもの(合わせて1合になる)を飲み、次に珍しい昆布の焼酎をダブルで1杯頼んだ。普段の晩酌よりも少なめで、これもお腹が膨れすぎて飲めなくなってしまったためだ。 ご飯の登場である。土鍋で炊いたものが出される。この土鍋はホテルのショップで売られていたものと同じ(翌朝もう一度ショップを除くと料理に使われた食器や調味料入れなど全て販売されていた)で、二合炊きで3千5百円で売られていたものだ。土鍋を納めている木の台の方が高く、4800円の値札が付いていた。おコメは「ふっくらりんこ」という道南のブランド米である。一口しか食べられなかったが、土鍋炊きということでIさんはお焦げを入れてくれた。香の物としてワサビ昆布が出されたが、これが中々美味かった。帰りに空港の売店で探したが見つからず、ホテルのショップで買っておくべきだった。 最後にデザートである。勝田豆腐と桃のヘルシーアイスクリーム、ツィトローネクーヘン、濃厚ムースショコラいちごのせの3点である。ようやくこれで終了、7時半から9時半までの長丁場だった。Iさんの話では、量が多いと話す客が多いそうで、女性のお客さまなどはジャガイモのサービスが出る辺りから残される客が目立つとのことであった。会席料理は大名の宴会料理が起源とされているのだが、趣向の限りを尽くすというのは“田舎大名”のようで粋を感じられない代物だと思う。あれもこれもと趣向を凝らすのではなく、ポイントを絞って飛びっきりの趣向を凝らすというのが日本人の感性に合うのではないだろうか。 食後はもう一度露天風呂を楽しみ、飲み足りなかった(飲めなかった?)ので、「ロング・グッバイ」というチャンドラーの小説のタイトルが付いたバーに足を運んだ。 随分長いカウンターだが、誰も客が居なかった。ここでも女性バーテンダーと話をしながら3杯ほどカクテルを楽しんだ。タバコを吸いたくなったが、禁煙だとのことで携帯灰皿を持たされた。外でタバコを吸いながら客室を眺めると、灯りが点いているのは10室ほどで、客室稼働率は10%と推定された。大浴場もバーも貸し切り状態である理由がよくわかった。4万円の料金を取るために、テンコ盛りの料理を出すというスタイルはバブルの時代ならいざ知らず、高齢化社会にはそぐわないものだということを証明しているように思う。 このスタイルを続けたいのなら、中国人観光客を狙うしかないのかもしれない。 |
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