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今朝北海道では氷点下を記録した。函館への出張を今月にするか、来月にするか迷うところだ。東京の最高気温も20度を下回りそうで、ビールの消費量に影響を与えそうだ。

昨日の電車の行き帰りには、「エコノミスト」を読みながらとなった。エコノミストは1年に2~3回読む程度だが、「世界史で学ぶ経済」という特集タイトルに魅かれて駅の売店で購入した。

特集もそれなりに面白かったが、巻頭のコラムに思わずドキリとさせられた。池谷裕二という脳科学者が書いていたもので、「有機栽培は環境に優しい」という風潮に一石を投じた内容だ。

有機栽培についてはは何となく「健康に良い」「環境によい」というイメージがあるが、カナダのマギル大学のシュファート博士の論文を引用し、有機栽培は通常の栽培方法よりも25%収穫が減り、その結果70億の人口を賄おうとすると、森林伐採などの環境破壊を招きかねないという指摘である。

部分最適の積み上げが全体最適にはならないという、“合成の誤謬”の典型例のように思う。脱原発や、CO2削減で期待されている自然エネルギーも同じことが言えるのではないだろうか。

太陽光発電や風力発電には膨大な土地を要し、全ての電力を自然エネルギーで賄うためには自然環境の破壊を有機栽培以上に進めるかもしれない。何事も、“ほどほど”がよいと思うのだが、こんなことを言うと脱原発論者に袋叩きに会いそうだが…
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例年この時期になると、家でくつろぐ時のスタイルは短パン、Tシャツに衣替えをするのだが、今年はまだ切り替えられないでいる。厳密には一度収納ボックスから引っ張り出したのだが、少し寒く感じ再び収納ボックスへ逆戻りしてしまった。ジェット気流の蛇行によるもので、今年は涼しい夏になるのだろうか。

地下鉄サリン事件で特別手配されていた3人のうち2人が逮捕され、残りの1人も逮捕が秒読み段階に入ったようだ。15年以上も逃亡を続けられたのは、交番所に貼りだしてある手配写真とあまりにも異なる容貌になっていたために、気付かれることはなかったのだろう。

菊池容疑者などはぽっちゃりした手配写真とは全く別人のスレンダーな容姿になっており、身内のタレこみがなければこのまま逃亡を続けていたかもしれないと思う。最後の逃亡者となっている高橋容疑者も別人のようになっているが、現在の“面が割れた”からにはそう長くは逃げられないと思う。

最近の犯罪捜査で活躍が目立つのは監視カメラの映像である。先日の渋谷駅での刃物を使った男も、監視カメラの映像から足取りが辿られ、速攻での逮捕になっている。昨年の大みそかに出頭した平田容疑者も、監視カメラの分析から住まいが判明したようだし、高橋容疑者も監視カメラをフル動員して追跡されているのだろう。

日本中に監視カメラがどれだけあるのかと思うとぞっとするものがある。まさに「ビッグデータ」の典型であり、テロ対策として技術開発が進んだ「顔認証技術」とスパコンの能力が組み合わされれば、「いつ」「どこで」「だれが」「なにをしたか」はたちどころに分かる時代がすぐそこに来ているような気がする。なんだか寒気がしてきた。今日も短パン、Tシャツは引っ張り出さないでおこう。
合計特殊出生率が政治の成果指標であるということをこのブログで書いたことがある。昨年1年間の出生数は105万人で、このところ増加傾向にあった特殊出生率は1.39と横ばいになった。第二次ベビーブーマーの高齢出産が頭打ちになったためだ。

昨年1年間の死亡数は125万人で、1年間に20万人も人口が減少したことになる。単純計算をすると、人口減だけでGDPを0.2%引き下げることになる。人口の増減は経済活動の基盤となるだけに、人口減少に歯止めをかけるというのは“待ったなし”だ。

子どもを産みたいとする人が全て出産すると、特殊出生率は1.7を超えるという調査結果がある。1.7と1.39のギャップは、人々の特殊事情であり、政策の進め方次第で埋められるものであり、もっと積極的な施策ができれば産みたいとする人の割合も増える可能性がある。

社会保障の穴埋めではなく、出生率向上のための施策に多くを振り向けるのであれば、消費税増税を容認する人はもっと増えるのではないだろうか。

社会保障政策に関して、政党間の基本理念に大きな違いがある。民主党は「公助」を基本にしているのに対して、自民党は「自助」を掲げている。最近芸能人の親族が生活補助を受けている問題がワイドショーを賑わしているが、これも自助の立場に立つ自民党議員の仕掛けが発端にあるらしい。

子ども手当か児童手当かというのも、公助と自助の考え方の違いによるものだ。日本の人口は、70年代までは年間100万人のペースで増加していたが、80年代に入って急ブレーキがかかって年間60万人台になり、90年代は30万人で0年代はほぼ0になってしまった。

10年間で30万人ずつ減っており、このままスライドすると10年代は年間30万人の減少になるだろう。環境変化にもかかわらず、あくまでも自助を押し通した結果の人口減であると思う。

右肩上がりの時代は、政治はできるだけ干渉せずに自助を促すだけでよいと思うのだが、右肩下がりの時代には自助を重視しすぎると坂道を転げ落ちるスピードが加速することになりかねない。

昨夜のクローズアップ現代によると、アメリカの大統領選挙の争点は「自由」か「平等」かになっているらしい。日本では「公助」か「自助」か争点になってもよいと思うのだが。

コウジョとパソコンで入力すると、公序や控除、工女、高女、皇女、孝女などの文字が出てくるのに、公助という文字は見当たらない。それだけ、公助という概念が一般的ではないということだ。パソコンで公助という文字に変換される時が来るのだろうか。
大飯原発の再稼働が秒読みに入ったようだ。「15%以上の節電要請」や「計画停電の準備」という脅しに、関西の首長連合が降参した形だ。じわじわと気温が上がってきたのも、白旗を上げる理由になったのだろう。

そもそも、原発の“安全性”は再稼働の有無の問題ではないと思う。停止中の原発であっても、使用済み核燃料という厄介なものを抱えているわけだから、地震や津波、あるいはテロなどにより被害を受けると、運転中のものと同じように危険な状態になりうる。

むしろ、運転中というある種の緊張状態にあった方が、対処がしやすいかもしれないし、運転中の方が人員体制も整っているだろう。

原発のリスクを0にするには、廃炉にするしか方法はないと思う。再稼働の承認を政治の道具にするような発想はナンセンスではないだろうか。

輪島市が、がれき処理の検討を始めたところ、抗議のメールが殺到したという。輪島市は能登沖の地震で大きな被害を受け、大量のがれきを新潟や富山で受け容れてもらい、数年がかりでようやく処理をした経験から協力の検討を始めたのだが、抗議の多さに戸惑いを覚えたという。

戸惑いの原因は、抗議の半数以上が市外からのものであったことだ。輪島は漁業や観光が大きな産業になっており、これらの人たちに“風評被害”を恐れる声が広まったために、ためらいが出たようだ。

先週「海老の桑田」では、ふだん一杯980円で売られているパラソル級のヤリイカが300円で、ムギイカが五杯で150円で売られていた。聞いて見ると、ふだんのものは北陸産だが、安売りされていたのは「外房産」のものだということだ。

風評被害の大きさがよくわかる出来事で、輪島の漁業や観光に携わる人たちがナーバスになるのもよくわかるし、首長が原発の稼働に敏感に反応するのもよくわかるのだが…

外房産のパラソル級のヤリイカが980円で売られるようになった時に、原発事故の風評被害が収まったといえるのかもしれない。




東京都が買収交渉を発表した尖閣諸島購入計画への寄付が、28日現在で9億5千万円になった。このところペースダウンしているものの、1日3千万円前後で推移しているため、今日にも10億円は突破しそうである。

メディアは意図的なものがあるのか、このことをほとんどニュースとしては取り上げていない(もっとも私がチェックしているのは、日経とNHK、BSフジのプライムニュースだけなのだが)のに、これだけの金額が集まっていることは驚きである。

数年前にファンドレイジングについて調べたことがある。NPOは非営利活動を行う組織であるため、その活動経費は民間の寄付によって賄われている。寄付をいかに募るかというファンドレイジングの力が、個々のNPOに備わっていないと活動の継続が難しくなる。

そのためには、人々の日常活動の中に寄付をするという習慣が定着していなければならないのだが、日本では寄付で集まる金額は2兆円程度なのに、アメリカでは日本の10倍以上の20兆円を超える金額が毎年集まっている。

しばらく前までは、アメリカは日本の2倍という物差しをあてて彼我の比較をすればよかったのだが、失われた20年を経た結果、3倍の物差しで比較するというのが私の目安になっている。この基準からすると、寄付ということに対する日米格差は相当大きいと判断できる。

その背景には、宗教の違いによるところが最も大きいと思うが、さらに貧富の格差の大きさも影響していると思う。“弱肉強食”の価値観により、金持ちは青天井の金持ちになれる世界では、寄付という“罪滅ぼし”をしなければ社会秩序が維持できないのであろう。金持ちの寄付のスケールが違うのである。

私は、罪滅ぼしをしなければならないような金持ちが増えることは好ましいことではないと思っているので、日米の寄付市場の格差が5倍程度が妥当なところだと見ている。5倍ー3倍=2倍が罪滅ぼしの部分である。


寄付文化が根付くためには小口の寄付の集まりが重要であるが、尖閣への寄付は6万7千件で9億5千万円になっており、平均すると1万4千円になっている。100万単位の寄付もあるのだろうが、多くはきりのよい1万円になっていると思う。程よい集まり方ではないだろうか。

10億円に到達した時にメディアでは多少取り上げるだろうから、12~3億円まで伸びるかもしれないのだが、もう一つ取り上げてほしいものがある。

「高田の一本松」は震災から生き残ったものの、結局立ち枯れが決定的になった。地元では、防腐処理を施し、震災のモニュメントとして保存することを決定した。費用が8千万円ほどかかるとのことなのだが、これを寄付で賄う計画だという。

一言ニュースで取り上げるだけで、保存費用は賄えると思うのだが。


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