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昨日までの仙台出張で、ようやく7月の出張ラッシュが終わった。次は9月に何箇所か出かけることになっており、行先はまだ決まっていないが今度は西の方になりそうだ。仙台では、仕事の合間を縫って被災地も見てきたがその感想は時間がかかるので後回しにして、気になったニュースを2つ取り上げたい。

普段朝日新聞は読んでいないが、ホテルで配られる新聞は朝日新聞だったので、食事をしながら読んでみた。トップ記事は、小沢“足軽新党”結成と、パンダの赤ちゃんが死亡したことだった。何ページかめくったところのべた記事に気になるニュースがあった。

国会事故調査委員会の報告書に、英米の新聞が批判記事を書いているというものだった。手元に新聞がないのでうろ覚えなのだが、事故原因を日本の文化的なものに求めているということへの批判だった。

たしか事故原因は、菅直人リスクも含めた“人災”というのが結論だったはずで、日本文化がもたらした人災という話ではなかったように思うので、不思議に思ってべた記事を読み進めると、日本の文化うんぬんというのは英文報告書の序文に記載されているとのことである。

序文は、委員長自らペンをとったものだが、日本語の報告書と英語の報告書では内容が少し異なっていたようだ。海外の書物で、「日本語版序文」を見かける事は珍しいことではない。その国の読者に読むべきポイントを指摘しており、意味がないことではない。

しかし、今回のケースでは欧米のスタンダードにならい、委員長自らがしたためたのだろうが、それが仇となってしまったようだ。この報告書のミッションは事故の原因究明であるはずで、肝心の結論部分がバージョンによって異なるというのは、行きすぎだったと思う。

「二枚舌」というのは最も嫌われる言葉の一つだが、今回の報告書はその言葉がぴったり当てはまる。これで、日本語版報告書の方も、眉に唾をつけながら読まれることになりそうだ。

もう一つは、パンダの死亡について書きたかったのだが、出かける時間になってしまった。別の機会にしよう。
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国会の会派として「国民の生活が第一・無所属のあゆみ」という長ったらしい名前の会派が誕生した。正式な党名はこれから決まるらしいが、自分の選挙のことだけしか考えられない連中に、「国民の生活が第一」という言葉を使われたくはないと思う。

先日駅の売店で見かけた夕刊フジの見出しには、「足軽新党」というネーミングがされていた。当選1回で、しかも選挙で自分の名前が書かれない比例選出の議員が多い構成を、上手く表現した名前であると思う。幹部も、侍大将のような存在はおらず、「足軽大将」のような軽い輩のように見えるから、新党のネーミングは夕刊フジから頂戴したらよいのではないだろうか。

ところで、昨日のトップニュースはヒッグス粒子の発見についてのものだった。NHKなどは朝からCERNの「記者会見がある」ということを大きく取り上げ、発表後はそのことについてかなりの時間を割いていた(研究スタッフに密着取材しており、膨大な映像資料があったのだろう)。お陰で、ヒッグス粒子なるものはどういうものかというのは、何となくわかった。

ただし、発見したといってもそれを目にしたわけではなく、山手線の全周に匹敵する巨大な装置で陽子を飛ばし、衝突させると実験室上でビッグ・バンが起こり、陽子が分散した中にヒッグス粒子らしい軌跡が確認できたというものである。

実験では、2000兆回の衝突で、2000個の軌跡が確認されたというものである。1兆回に1回起こった計算だ。めったに起こらないことの例えに、「千三つ」や「万が一」などという言葉が用いられる、震災以降政治家が使うようになった言葉に「万々が一」というのもあるが、それとは桁が違う。万が一が2回重なって一億分の一であり、もう一度万が一が重なるとちょうど一兆分の一になる。万万万が一ということだ。

日経の記事によると、この実験装置の製造費用に1兆円近くかかったととされている。1000個の粒子を観測したのだから、1個当たり10億円かかったことになる。1個の物体の価値(素粒子を物体というのかわからないが)としては、ダイヤモンドや金とは比べ物にならないものだ。なんだか、落語の「千両みかん」の話のようになってしまった。

この実験には世界40カ国が資金を出し合い、60カ国以上から数千人の科学者が参加しているという。政治の世界では難しい国際協調が科学の世界では可能ということか。

ところで、この実験装置には日本企業も多数参加している。加速器の心臓部にあたる超電導線材は古川電工、冷却装置はIHI、超電導磁石の鋼材はJFE、検出器の心臓部は浜松ホトニクス、光ファイバーはフジクラという名の知れたメーカーが並んでいるが、その中に耳なれない名前が一つある。

素粒子の検出器の、「林栄精器」(何と読むのかわからない)である。日経も無名メーカーということを意識してか、「(東京・豊島)」と書かれている。HPを観ても読み方はわからなかったが、従業員85名、年商25億円の会社だ。極めて小さな会社が、大手メーカーに伍して1兆円プロジェクトに名前を連ねるというのは快挙のように思う。ただし、これは万が一程度の確率だろう。




昨日全国で最も気温が高かったのは北海道とのこと。沖縄を2度上回り4日連続の真夏日を記録している。私が北海道に出かけた時の毎度のパターンである。幸い猛暑になったのは内陸部であり、私が出かけた函館はそれほど暑くはなく、空気が乾燥しているため陽射しの強さはあるものの、苦痛を感じさせるほどのものではなかった。

一昨日の夕食前に屋上にある露天風呂の体重計では、67.5キロであったものが、寝る前にもう一浴びした時は68キロ、朝食後には68.2キロになってしまった。今日はこれから仕事があるので、体重増の経緯は明日写真入りで述べたい。

昨日の北海道新聞の朝刊のトップ記事は、整備新幹線の函館、札幌の延長決定である。地元にとって歓迎すべき大きなニュースなのだが、工期短縮というコメントが随所に登場してくる。

何と完成予定は平成47年度ということになっている。平成が47年まであるとはとても思えないが、速さが売りの新幹線をダラダラ作りつけるというのはどういうことだろうか。輸送力による経済効果ではなく、細く長く作り続けるという工事の経済効果を狙ったとしか思えない。

もう一つ不思議なことは、着工決定の決め手の一つは“採算性”が見込めるということだ。赤字路線を作らない、無駄な公共工事を行わない歯止めとして採算性が論議されるようになっている。23年後という私も多分この世に居ないと思われる遠い先の採算性をどのようにチェックしたのだろうか、神様の予言のような需要予測だ。

私の20代の前半は日本列島改造論を契機に、工場立地の移転が盛んに行われた時期である。海外への移転ではなく、インフラが整備された地方にドンドン工場進出が行われた。鹿島臨海工業地帯などはその典型である。

その当時の私の仕事は、移転した後の工場跡地の再開発計画に関するものが多かった。仕事の最初は立地特性の分析から始まり、周辺地域の人口や事業所の統計データを集めるのがペィペィの私の役回りであった。

ネットという便利な道具がない時代だったから、周辺の市町村の役場を回り統計データを集め、それを表にまとめて上司に提出した。所が上司からいきなり言われたのは、「お前は資料泥棒か」という言葉だった。単純に集めた資料を並べただけで、加工(=分析)されていないことについての指摘だった。

今でいうところのコピーテーストして貼り付けただけのものだったと思う。それ以来、資料泥棒にならないように心掛けるようにしており、コピーテーストしただけの資料というのは私の気持ちの中では“御法度”になっている。

その資料泥棒という言葉を昨日想い出した。アノニマスによるサイバー攻撃である。きっかけは、著作権法が改正されて違法ダウンロードに刑事罰が科せられたことで、「インターネットの完全な自由」を主張する連中の示威行動としてサイバー攻撃が起こったようである。

インターネットは公共財であり、それを使って金儲けをするというのはおかしいという考え方ならわかるのだが、インターネットの完全な自由という彼らの主張には賛同しかねる。音楽や映像の違法ダウンロードは、対価を支払わないという意味において泥棒行為と何ら変わりはないと思う。

気の毒だったのは、霞ヶ浦河川事務所だ。霞が関と誤認されてサイバー攻撃を受けたようだが、ユーモアを考えてのものだったら大したものだが。

犯人のグループはアノニマスという聴き慣れない名前だが、パソコンでは一発変換できた。すでに匿名ではなく、有名になっているようだ。

物事を企画する時に、まず考えなければならないのは「WHY」ということで、次に「WHAT」を考え、しかる後に「HOW」以下の具体的なプランを考えるのがセオリーであるはずだ。しかし、昨日の夜遅くに決着を見た3党合意では、WHATの部分はなんたら国民会議にすべて棚上げし、HOWの部分だけが決着するという最低の企画書ができたことになる。

「決められない政治」批判を受けて(新聞の社説ではこぞって政府の尻を叩く論調である)、消費税増税については何とか合意したものの、何をするかの部分が欠落していたのでは、結局決められない政治が続いていると思う。

決められない政治というのは日本の専売特許ではない(最もひどい国だとは思うが)。アメリカでも足の引っ張り合いを続けているし、再選挙に至ったギリシャでも同じである。選挙で選ばれた政治家が国家を運営するという、民主主義の制度が抱える欠陥(ポピュリズム)が大きくなってきたのだと思う。

近代というのは世界史的に見ると18世紀からいうのか19世紀から言うのかはよく分からないが、この間の発展に大きく貢献したのは、民主主義であり資本主義だったと思う。

この背景には、教会主導型に対する反発から生まれたプロテスタントの台頭があったと思う。個人の権利や、勤勉さから必然的に民主主義や資本主義が生まれたのだが、行きすぎた個人主義などから制度疲労が出てきたのではないだろうか。

民主主義や資本主義といった社会システムに、科学の世界での考え方も大きな影響を与えていると思う。近代においては、ダーウィンの進化論がその典型ではないだろうか。

21世紀にはいって制度疲労を起こしている社会システムに、新たな科学的知見が影響を及ぼすかもしれない。物理学の世界ではニュートン物理学が行き詰まり、複雑系の時代に突入している。民主主義や資本主義も複雑系の時代に入っていくのかもしれないとぼんやり考えているのだが。



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