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今朝の日経3面では、「機密大量流出 世界を揺らす」という見出しの記事を掲載している。内部告発専門サイトの「ウィキリークス」が28日からアメリカの外交公文書の掲載を始めたというものだ。

外交官が集めたその国の情報を記したもので、外交官の“率直”な意見が記載されている。「軽率で、近代の欧州指導者として無力」(イタリアのベルルスコーニ首相)、「気難しく独裁的」(フランスのサルコジ大統領)など今後の関係が気まずくなりそうな内容のものもある。

9.11事件の教訓として、“情報の共有化”を進めた結果が、資料流出を引き起こしたもので、尖閣ビデオの流出と共通するものがある。これで組織防衛として、内部情報にはかなりの制約が課せられることになるのだろう。

問題は、報道機関の対応だと思う。テレビが尖閣関連のニュースを流すたびに、流出ビデオを編集したものを繰り返し放映している。著作権にこだわる必要もないため、使い放題ということなのだろう。

どうもこれが私には気に入らないのである。自らが制作したものならともかく、他人の制作したものを、しかも“流出”という過程を経たものを、編集という一手間をかけているとはいえ、一度や二度ならともかく何度も繰り返し利用するのはいかがなものかと思う。

警視庁のテロ関連の資料流出についても、全文を出版した輩も出てきた。捜査協力者の個人情報も全く秘匿せずに、そのまま掲載したものになっているらしい。

秘密を知りたい、裏側を覗きたいというのは人間の本性なのだろう。テレビ番組でも「○○の舞台裏」というタイトルが目に付くのもそんな心理をついてのものだろう。

知る権利を錦の御旗にして、ネットに掲載されたものをそのまま垂れ流すように報道したり、ましてやそっくりそのまま出版するというのは、“情報泥棒”と言われてしかるべきではないだろうか。

内部告発サイトは、“盗品市場”のようなものであり、それをそのまま垂れ流すのは、盗品と知って買い物をするようなものだと思うのだが。
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ビデオ流出事件で、Googleは記録を「押収」された。押収という言葉は穏やかでないのだが、個人情報の秘密を守るとういう建前のために任意提出には応じず、捜査令状による押収の形を取ったようである。

ここまではどんなメディアでも報じていることである。問題は、これに“付加価値”の付いた記事があることである。今朝の「あらたにす」によると、読売の記事には「尖閣映像、神戸のマンガ喫茶パソコンから投稿」という見出しが付いている。

日経や、朝日の記事には神戸のマンガ喫茶についての記述は見当たらず、読売の特ダネなのだろう。この事件の目下の最大の関心事は誰がやったのかということであり、そのためにどこから投稿したのかを割り出すことが押収の狙いだったはずである。押収資料の内容は、一級の捜査機密である。

その捜査機密が、押収したその日のうちに記事になってしまうというのはどういうことなのだろうか。朝日や日経の記事では触れられていないので、記者会見で発表されたものではない。捜査関係者が漏らしたものであり、漏洩事件の捜査で“漏洩”があったのではないだろうか。

もちろん捜査関係者がストレートに名前は口に出さず、質問のやり取りの中から敏腕記者が推理して神戸のマンガ喫茶に辿りついた可能性も大きいと思うのだが、阿吽の呼吸であっても漏洩には違いないと思う。

今回とは少し性格が異なるのだが、小沢事件の時でも、捜査の段階でドンドン検察側の情報が紙面を賑わし、検察の構図が世論に浸透していった経緯がある。

捜査情報の漏洩問題をもう少しメディアも取り上げてもよさそうだが、その恩恵にあずかっているのだから知らん顔をしているのも無理はない話なのか。
今朝の日経の社会面には、「郵便不正事件 本誌報道を検証」という記事が掲載されている。事件報道において、捜査当局の情報を垂れ流すだけの報道が多いことに問題を感じていたために、どのような“検証”をされたのか興味を持って読んでみた。

ところが、この記事を何度読み返しても、“検証”の結果何がわかり、何が問題だったのかはさっぱりわからない内容になっている。「(村木氏)逮捕までの間も、本人の主張を直接聞く機会はなく、実名とした6月15日夕刊の逮捕記事まで容疑を否認していることを伝えられなかった」など言い訳が記事の半分を占めている。

記事のもう半分は、「村木氏の弁護人に逮捕5日後から取材を始め、否認を続けていることを記事にした」や、データ改ざん事件に関して「前特捜部長には拘置所で面会し、10月15日朝刊で“検察組織に失望”などの見出しで報じた。」など、容疑者側の意見も報道しているという言い訳になっている。

検証とは言い訳かと思いたくなるような記事である。問題は“事実”を報道するという名のもとに、WHATに偏りすぎWHYをおろそかにする報道機関の姿勢にあると私は思う。

WHYの追求は“検察の構図”に委ね、“新事実”と称してリーク情報からWHATの部分ばかりを抜き出して報道するということの弊害ではないだろうか。

検察の構図というのは仮説である。仮説と“決めつけ”は似て非なるものであり、そこから冤罪事件が生まれてゆく。裁判員制度や検察審査会制度など、市民が司法にかかわる機会が生じており、誤った予断を与えないために、WHYに重きを置いた報道が必要だと思う。

よく思い起こしてみると、WHATは特ダネになるのだが、WHYが特ダネになったのはあまりお目にかかった記憶はない。WHYの特ダネを見てみたいものだが。
今日のトップニュースは、検察審査会が起訴すべきだとする2度目の決定を行い、小沢元幹事長が強制起訴されたことだ。昨日の夕方には号外も配られたようだ。この件については、いくつもの問題点があると思う。

まず、気になることの一つは、逮捕や起訴になると=有罪という意識の方が強くなるということだ。特に、メディアの論調にはその傾向が強く、今回も号外を出したのはその流れなのだろう。日経の朝刊の解説記事には「民主党はどう説明する」という見出しを付けている。

疑わしきは被告人の利益という推定無罪が原則なのだが、疑わしい場合は“推定有罪”という風潮がまかり通っているように思う。これはメディアによる責任が重いと思う。

今回の事件や大阪の特捜部検事の改ざん事件でも、「検察関係者への取材で分かりました」というニュースが連日のように流れてくる。検察のリーク情報を垂れ流して、“推定有罪”が形作られていくのである。号外を出すというのはその極みではないだろうか。

これに関連していうと、裁判は有罪を確定する場なのか、真相を解明して黒白をはっきりさせる場なのかということである。この件については今朝のあらたにすの田中早苗氏のコラムが問いかけている。
http://allatanys.jp/B001/UGC020004720101004COK00648.html
検察審査会の今回の立場は、後者のようであるが、メディアの報道ぶりは前者のようである。

次に、公表されたのは昨日だが、議決されたのは9月14日とある。民主党の代表選挙が実施された日であることは皮肉なことなのだが、検事の改ざん事件が明らかになった21日の1週間前のことである。一連の報道がなされた昨日の時点で議決されていれば、強制起訴になったのだろうかということである。

裁判員制度や検察審査会など市民感覚が導入された司法制度において、メディアの姿勢がもっと問われていいのではないか。号外を出すのには慎重にならなければならないのだが、出したのは読売だ。
検察の証拠改竄問題が、今日のトップニュースである。これは朝日の特ダネで、朝日の後を追う形で他のメディアも大きく報じ、「大ニュース」となった。通常このように出し抜かれた側は、無視するか逆に深堀をするかのどちらかである。さすがに今回は無視するわけにもいかず、“新事実”が次々に登場することになるだろう。

昨日の朝に、あらたにすを読んでこの話題を取り上げようとも考えたが、今一つこの事件の“構図”が私にはよくわからず、取り上げるのを止めた。

その後の報道を見ても疑問は続いている。せっかく改ざんしたのに、なぜ証拠品としなかったのか?、改ざんが露見する危険性があるのに、フロッピーをそのまま返却したのか?、どうして・誰が改ざんの可能性を考え鑑定をしたのか?などである。謎だらけであり、いずれも検察の問題点を考える上で重要だと思う。メディアにはしっかり謎解きをし、事件の“構図”を明らかにてほしいものだ。

ちょうど今イチローの5打席目で、内野安打だった。これで今日のイチローは4安打の固め打ちだ。1年ぶりの1試合4安打だそうで、3本以上は今シーズン14試合目とのこと。今シーズンイチローが不振に見えるのは、固め打ちが少ないことだと判明した。


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