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今週のニューズウイーク日本版は、CSRが特集されている。企業が作成しているCSRレポートをもとに、独自の採点を行いランキングを公表している。

企業倫理、地域社会、企業統治、顧客、従業員、環境、調達先の7つの分野に分け、各々を100点満点で採点し、その合計点で順位を付けている。分野の設定や、採点基準についてはそれほど納得できるものではないが、すべての業種を網羅して、業種ごとの重点分野を加味しながら(業種によって7つの分野のウエイトを変えている)ランクを作成していることに意義があると思う。

このランキングによると、1位はスイスの鉱業会社のエストラータで、2位は日本のシャープ、3位はイギリスの銀行のHBOS、4位はオーストリアのウエストバック銀行、5位はイギリスの通信会社BTグループで、以下349位の日本のリコーまでが掲載されている。

ランキング表を見ていてまず気が付くのは、アメリカの企業の姿が見えないことである。27位にやっとジョンソン・コントロールズという自動車部品のメーカー(多分)が登場し、ベスト50に入っているのはこの1社だけである。それに対して日本の企業はベスト50に10社が入っており、イギリスの11社に次いで2位となっている。

CSRレポートを出している企業が、アメリカの企業では少ないためなのだろうか。

業種別では、銀行がベスト50社の中で9社を占めている。ただしそのほとんどはヨーロッパの銀行であり、日本やアメリカの銀行の姿はない。

記事は7ページにまたがる数表と、分野ごとに注目企業の活動の対比が11ページに渡って掲載されているだけで、国別や業種別の分析は全くなされていない。幸い今日から3連休だし、午後からは雪が降りそうで外歩きもままならないので、じっくりと分析してみようと思う。

分析結果は、多分一杯できそうなので、明日と明後日の2日間でこの欄に掲載するつもりだ。
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昨日述べた、「わざわざ」という話の続きをもう少し。

わざわざという言葉の反対はなんという言葉なのだろうか。わざわざというのは手間暇かけることであり、手間をかけない=手軽さということが反対の意味を示す言葉なのであろう。利便性の追求である。

確かに便利になるということは、よいことであり、コンビニエンス・ストアの普及は消費者の生活様式を一変させたといえるだろう。だがその結果は、酒屋や食料品店など地域に根ざした店の衰退を招き、コミュニティの崩壊という代償を払わなければならなくなったのではないだろうか。

今回の冷凍ギョーザの問題も、冷凍食品という利便性を追及した商品が、特別なものではなく、日常生活になくてはならない必需品として浸透していることが、問題を大きくしていると思われる。

我々は利便性を追い求めたがために、失ってしまったモノやココロが一杯あるのではないだろうか。安倍内閣の目玉政策の一つであるイノベーション25の内容を見て違和感を感じたのは、そこで提示されている2025年を目標とするイノベーションの成果が、「こんなこともできるようになった」という、利便性の追求ばかりであったからである。

“わざわざ”というコンビニエンスとは逆のことを軸にすえた、商品やサービスの開発をすれば、逆転の発想で成功するのではないだろうか。

わざわざというのは、手間暇かけるのであるから期待値を大きくする働きが生じると思う。CSを研究していると、期待値が大きいほど満足度が高くなるという傾向にある。従って、顧客に手間暇かけさせるということが、CSを上げるポイントにもなる。もちろん、手間暇をかけさせるだけの魅力度を持つことが、重要なことは言うまでもない。

あえてわざわざということをコンセプトにしたものは、世の中に一杯あると思う。わざわざで成功したものをリストアップしてみよう。
売上低迷に悩む競輪で、復活の起爆剤として今年の4月から「チャリLOTO」という新しい商品が売り出されることになった。

競輪はバブルの頃には2兆円を上回る売上を誇っていたが、今では1兆円を大きく割り込み、赤字に耐え切れず廃止に踏み切った競輪場は門司や甲子園などいくつもある。自転車振興会の仕事をした時に、「現場視察」と称していくつかの競輪場に行ってみたが、高齢者の割合が極めて多く、高齢化社会を先取りしている印象を持った。

世の中では、高齢化社会の到来といわれるが、現在はほんの入り口に過ぎず、本格的な高齢化社会は、団塊世代が老人にカウントされるようになる2015年以降であり、競輪場の風景は90年代からすでにその兆候を現していたことになる。

そこで今回の「チャリLOTO]であるが、2種類あり、一つはサッカーくじのBIGのようにコンピューターがランダムに抽選し、8つのレースの1着を当てるというものである。1枚200円で、最大12億円の配当まで認められるとしている。

もう一つは、サッカーくじの「TOTO」に近いもので、7つのレースの1着をあて、最大6億円の配当が予定されている。いずれも的中者がない時に、キャリーオーバーが発生するために、高額配当が可能となっているのである。

前者は宝くじフアンの取り込みを、後者は競輪フアンの掘り起こしを狙ったものであり、面白い試みだと思うのだが、気になることは二つある。一つは、控除率であるが競輪や競馬などの公営ギャンブルは25%が胴元の取り分となっているのだが、宝くじやTOTOなどの「くじ」は57%を胴元が取るというあこぎなことをやっている。今回の場合はどちらなのだろうか。

もう一つは発売方法で、広く顧客を集めるためか専用の販売サイトを立ち上げ、そこでの販売がメインになるようである。わざわざ出かけなくと良いという、利便性を考慮してのものである。私は、これに対して異論がある。

競輪の場合は、顧客の高齢化が固定化を招き、一部の年寄りのギャンブル好きのものになってしまい、場内の雰囲気が暗く売上低迷につながったものと思われる。活性化のためには、現場に足を運んでもらい、「競輪の魅力」を感じてもらい、新たなフアンを獲得することが大事であると思う。

したがって、逆転の発想で、現場でないと券が変えないようにするのが、導入時にとるべき戦略だと思う。希少性を人為的に作り出すのである。これは新規客の獲得だけでなく、離れていった顧客を呼び戻すためでもある(はじめて飛び込むのはかなり抵抗があるが、経験者にはそのハードルは低いと思われる)。

現在の競輪場ではガラガラのスタンドでレースが行われている。コースと観客席が接近しているため、選手もそのことを肌で感じているのだろう。迫力のないレースが多いのだが、観る人が増えることでこれも解消されるのではないだろうか。

ある程度定着すれば、利便性を考慮して窓口の拡大を検討してもよいと思う。しかし、利便性をあえて捨てることも、「わざわざ」という価値をつけることになるのではないだろうか。

4月から平塚競輪場でスタートするらしいのだが、マーケティングの観点から大いに注目される「新商品」である。
日経平均株価が1万4千円を割り込んだ。株安のおかげで時価に対する配当率(1.72%)は長期金利(1.47%)を上回っており、合理的な経済行動とはいえない。これも「気分」を対象とする「行動経済学」の大きなテーマになるのではないだろうか。

判断についての話の続きを少し。日本国語大辞典に掲載されている、判断についての4つ目の意味は「(ドイツ語のUrteilの訳語)哲学で、ある命題または思考内容を肯定または否定する精神作用。伝統的論理学で、主語について述語を肯定または否定する働き」とある。

言い換えると賛否を明らかにするということだ。ただし、厄介なことは賛成にしろ反対にしろ程度の問題があるということだ。賛成にも積極的賛成と消極的賛成があり、反対にも消極的反対と積極的反対がある。積極的賛成・反対は旗幟鮮明であるが、消極的賛成・反対はどちらつかずであり、「問題先送り」の隠れ蓑にもなる。

これまでの日本国語大辞典による意味を考えると、判断というのは「今どうなのか(現状分析)、今後どうなるのか(将来予測)をもとに、今後どうするのかを決めることであり、曖昧な態度を許さず旗幟鮮明にすること」と解釈したい。

岩波新書から「判断力」(奥村 宏著)という本が出ている。奥村氏は経済学者の範疇に入るのだが、理論から事象を説明するのではなく、現実を分析することにより理論を考えるという態度であり、経済学者(特に「御用学者」)批判を本書では展開している。

この本の中で、判断しない(消極的賛成)事の弊害を縷々述べている。日本人は元々“わのくに”であり、決めないことを美徳としている風もある。「決めること」についてもう少し考えてみようと思う。
寒さのせいか、パソコンの立上りが遅い。このブログを書き始めるまで12分もかかってしまった。そろそろ買い替え時なのだが、各種設定をやることを考えると億劫になる。どうしたものか

判断の話についての続きをもう少し。日本国語大事典には4つの意味が書かれているが、その3つ目は「吉凶を見分けること。占い」とある。占いは、当否はどうあれ行く末を決めることに意味がある。判断とは決めることなのだということを改めて意識させられる。

新年の特別番組で環境問題を取り上げたものがあったが、そこで外国人学者の言葉に「地球温暖化の原因が二酸化炭素であることを完全に証明するのには、後何10年もかかる。それでは間に合わなくなることが明らかで、今決断する必要がある」という意味を述べていた。判断には決断の意味もあるのではないだろうか。

4つ目の意味は哲学用語である。哲学という言葉を目にするだけで身構えてしまう。時間がなくなったので、4つ目の意味は近日に(逃げているわけではありません)。


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