社長のブログです
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天気予報では、関東地方は雨で気温も10度に届くかどうかで、寒いということになっている。今日は川崎で報告会があるのだが、この会社を訪問する時は天気の悪い時が多い。
先日傘を1本なくしたときも、この会社を訪問した時であり(この日は2箇所に出かけ、次の訪問先では青空になり傘を忘れてしまったのだ)、その次の訪問時にも傘を持って出かけたので、3回連続天気が悪かったことになる。私と先方のだれかとの相性で雨を呼んでいるのだろうか。 10年以上付き合いのある会社で、毎年2本の仕事をいただいており、天気の悪さに文句を言わず、大事にしなければならない。 今週で今年の仕事は終わりである。景気の悪さが実感できる。時間に余裕があるので原稿書きに集中して、年内には何とか出版の目処を立てたいものだ。 PR 昨日は、3時間の講演をした後で、受講生の懇親会に飛び入り参加し、少し飲みすぎたようである。大門から地下鉄に乗ったのだが、反対方向に乗ってしまったことを品川で気が付いた。
昨日は瞬間的に大雨が降ったが、ちょうど客先のビルに着いた時だったので難を免れた。今日は寒くなるということだったのだが、8時で既に10度を超えておりそれほどでもない。
寒くなるという予報だったので、昨日帰りがけにスーパーに立ち寄り、「粕汁」の材料を仕込んでおいた。関西では普通にある食べ物が、関東にはほとんどない食べ物がいくつかあり、粕汁も代表的なものだ。 メニューに粕汁があるのを見たことがない。粕の食感が東京人にはあわないのだろう。子供たちも手をつけようとしないので、自分専用に年に1~2回作るくらいだ。 昨日は塩鮭のカマが30%引きの値札が貼ってあったので、今日作ることにしたわけだ。子供の頃、母が作る粕汁の魚は塩鮭かブリであった。関西では、マグロよりもブリがよく食べられていたように思う。 子供の頃の食材で手に入らないのが、ナスの古漬けである。我が家の粕汁にはナスの古漬けが必ず入っており、塩辛さがアクセントになって味を引き立たせるのである。冬も終わりに近づくと古漬けのストックがなくなると、粕汁の味が一段落ちたような気がしたものだ。 ナスの漬物で代用しようと思うのだがどうだろうか。今晩と明日の昼、明日の晩と3回くらい食べられる量になると思う。粕汁を堪能しよう。 今日でJリーグは最終日である。優勝争い、降格争いとも熾烈な戦いである。優勝争いは、鹿島が引分以上で優勝になり、相手も早々と降格が決まった札幌相手で、断然有利である。しかし、昨年も全く同じ状況で、浦和が最下位の横浜FC相手にまさかの敗戦で、鹿島の逆転優勝になった。 今年も同じケースだから、勝負は下駄を履くまでわからない。降格争いも、勝ち点40の新潟までの5チームがピンチに立たされている。紙一重の差にひしめき合っているのだが、降格圏のJEFはとにかく勝つしかない。見に行きたいがチケットは取れないだろうから、祈るだけだ。
昨日はCSCで浅草を探訪した。CSCでは、東京を考えるをテーマにあちこち訪問している。これまでに、秋葉原、汐留、佃島、品川、神楽坂、日本橋、巣鴨、深川など江戸を意識しながらの場所設定である。
浅草に出かけるのは久し振りで、両親が生きていた時代に、みやまのせんべいを買いに行って以来だから、10年以上はたっていることになる。 浅草には企業がアサヒビールくらいしかなく、仕事に出かけることはない。大阪から家族や親戚が出てきた時に、東京見物のスポットの一つにする程度で、訪ねてくる親戚がいなくなった今では、全く縁のない街になってしまった。 浅草は、元々は浅草寺の門前町で、江戸時代終盤に芝居小屋が移築されて以来繁華街になった街で、全盛期は明治から昭和のはじめ頃までだろう。山手線から少し外れていることが、寂れてしまった理由の一つだと思う。戦後浅草に替わって発展した繁華街は、渋谷、新宿、池袋といずれも山手線と私鉄とのターミナルである。 昨日も、観光客(半分以上は東アジアの人)がぼちぼちいるが、全体的に人通りは少なく、寂しい感じがした。特に浅草6区あたりの、往年の中心街はひときわ落魄が目立った。浅草は、繁華街ではなく、観光スポットになってしまったようだ。 繁華街としての賑わいが失せたもう一つの要因は、食にあると思う。繁華街の魅力は、買い物、食事、遊興の3つにあるが、浅草はこの3ついずれも十分ではないが、特に浅草ならではの食事がないこと(神谷BARくらいだろうか)が、繁華街としての魅力を失わせていると思う。 今回も、懇親会の場所を設定するのに、今一ピンとくる店が見当たらず、少し会場設定に時間をようしたほどである。 観光スポットとしても、食事が大事であり、考えさせられる街である。これでこのブログも昨年の2月から通算599本となった。明日には600本に到達すると思う。
昨日は、天気もよかったので、上野公園に出かけた。フェルメール展を見ようとしたが、入場まで50分待ちの表示があったので断念した。トプカピの秘宝を見たときには、もう少し列が短くて1時間並んだ記憶があり、混雑の中で絵をみるのも嫌だった。
同じ東京都美術館で、太陽美術展というのをやっており、こちらは無料ということなので、覗いてみた。主催者の太陽美術協会とは初耳だが、「フランス官邸ル・サロンとの交流」というサブタイトルがあり、画家の協会の国際提携の展覧会のようであった。 400点くらいの出品があり、所狭しと展示されているためにいささか疲れたが、これは中々のものという作品もあり、見応えはあった。もっとも、賞を取っているものが、自分自身で納得できるものは少なく、“美に対する眼力”のギャップを感じさせられた。 広場では、新潟県の中越地域の物産展のテントがでており、「あんこうなべ」(400円)を朝食にし、梅干(200円)と餅(600円)を買い求めた。両方とも帰宅後食べてみると、上手い買い物をしたと思わせるものであった。 その後は、科学博物館を見学した。中学の修学旅行で訪れて以来であり、45年ぶりの訪問になる。当時は旧館(現在は日本館という名称になっている)だけだったのだが、現在は地球館という別館があり、2倍の規模になっている。 入り口の係員に入館者数を質問すると、平日で2千人、休日で3千人ということであった。入場料は一般600円、子供は300円であるから年間3億円がやっとであり、補助がなければ到底維持できない。すぐに、どれだけ儲かるかをチェックしたくなる、職業病だ。 ノーベル賞の大量受賞で来館者が増えるかというと、そうでもないらしい。来館者を観察すると、7割は親子連れ(それも小学校低学年まで)、大学生(カップルが多い)2割弱というところだろうか。私などは、場違いの感じだった。 歩きつかれたので、全部見ることは断念し、ポイントを絞ったのだが、科学博物館が「日本の科学者技術者展シリーズ」として、今回は「数学日本のパイオニアたち」というのをやっていて、これが面白かった。特に西の数学、東の数学という対比で見ているのが私にとって新鮮な感じだった。 人に焦点を当てるという企画の発想も、ノーベル賞50人を目指す国の、旗艦博物館として面白い試みであると感じた。 無料の展覧会と、600円の博物館で1日過ごせたのだから、コストパフォーマンスは高いのだが、歩き疲れてのどが乾き、格別アルコールの通りがよく、9時には寝てしまったのがどうだったか… |
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