社長のブログです
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先週訪れた青森市の事を少し。初めて青森に出かけたのは、今から40年前にねぶた祭りを踊るため(地元の人は「はねる」と言うのだが)で、車を運転してのものだった。当時高速道路は仙台までしか開通しておらず、縦長の岩手県にうんざりした記憶がある。
それ以来、何回か仕事で出かけ、青森空港だけでなく三沢空港を利用したこともあり、鉄道も昔の東北線や秋田経由で奥羽線という経路もあるから、5~6回は出かけたと思う。しかし、いずれも80年代の事であり、最後に出かけたのは何時か忘れたが、今回は25年ぶりの訪問になる。 当初の予定では、金曜の夕方6時からインタビューをする予定で、一泊して土曜は少し観光をして夕方の飛行機で戻る予定にしていた。というのも、三内丸山遺跡を見たいと思っていたからだ。 三内丸山遺跡は縄文時代の大規模集落跡として有名だが、脚光を浴びたのは90年代半ばになってからである。私が頻繁に青森を訪れた時から10年ほどのちの事であり、次に青森に出かけるのは何時になるかわからないので、この機会に見損なっていた遺跡を尋ねるスケジュールを組むことにした。 金曜の夕方のインタビューが先方の都合により、急遽土曜日の午後になったのだが、夕方の飛行機を予約していたので何とか対応ができた。遊ぶ予定にしていたのが、思わぬ怪我の功名となった。それでも午前中はフリーだったので、遺跡見学に出かけた。 三内丸山遺跡は、総合運動公園の一角にある。江戸時代から存在は知られていたが、本格的発掘調査は、95年に野球場を建設するために調査をしていた所、大規模遺跡が発見されてからとのことである。 それ以降整備され、建物の復元が行われ、最近では「時遊館」というミュージアム、体験教室、ホール、レストランなどの入った建物も出来て見学客を受け入れている。入場料は無料である。 目玉は、「大型掘立柱建物跡」直径2m、高さ15mの柱が6本組み合わさった櫓のような構築物である。最初に見た時は、想像より小さく感じたが、公園として整備された広い空間にあるためで、すぐ側に高所作業車が置かれ、見物客に15mの高さを体験させてくれるサービス(?)があったので、利用してみるとその大きさが実感できた。 直径2mの巨木を扱うには大勢の人が必要になる。そのためには指揮命令系統がなくてはならないが、組織的マネジメントが誕生するのは農耕文化になってからだと思っていたが、狩猟・採集の縄文時代から組織が芽生えていたということだろう。 縄文時代侮るなかれということなのだが、その感を強くさせたのはミュージアムに展示されていた「縄文ポシェット」である。樹皮で編んだ15㎝ほどの小さな袋だが、現在でも通用しそうな代物である。 文明は定住生活から始まったと思っている。定時定点観測により“科学する心”が誕生したのだが、狩猟・採集生活は獲物を求めて移動していたため、農耕文化になってからだと認識していた。 しかし、その思いは遺跡を見て覆させられた。現在の立地は海から2~3㎞は離れているが、縄文海進の頃は海岸だったようである。遺跡からは大量の魚の骨が出土しており、獣の骨よりもはるかに多いようである。日本人の魚食文化はここから始まっているのかもしれないが、豊かな漁場に恵まれていたことが、定住生活を可能にしていたのだろう。 魚の骨で最も多いのはワラサとなっていた。津軽海峡といえば大間のマグロが現在でなナンバー1ブランドになっているが、縄文人にはブリの方がお好みだったようである。私も、マグロよりもブリの方が好きだから、縄文人の血が流れているのかもしれない。 というわけで、すっかり“縄文贔屓”になってしまった。 PR |
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