社長のブログです
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昨日の9時から普天間問題についての首相記者会見が、ニュースの時間と重なり、ライブで見る事が出来た。半年遅いというのが、率直な感想だ。党首討論で、「腹案がある」と言いながら、結局元に戻ってしまったわけで、この間の迷走が有権者の信頼を損ね、支持率を挽回不可能なレベルまで落としてしまった。
こんな結論なら、昨年の10月か11月に出していたら、信頼を損ねたとしても、もう少し政権批判の声は小さかったと思う。 唯一、利点があったとすれば、防衛や日米安保について有権者に考えるきっかけを与えたことだろう。少なくとも、私にとってはそうだ。 今回の一連の経緯を見て、対応のまずさが二つあったと思う。一つは首相からの「語りかけ」がなかったことである。オバマが健康保険の問題で何度も提起したように、重要な政策についてはリーダーからの「語りかけ」が必要である。もっとも、そのためには考えをまとめる必要があり、やりたくてもできなかったのかもしれないが。 二つ目は情報漏洩である。今年になって、いろいろな案がポロポロ報道されるようになった。観測気球を上げて反応を探る手法があるが、今回の場合はそんな先を見通した戦術にのっとったものではなく、単純に議論の内容が漏れてしまったものだと思う。 ポロポロ漏れる情報は断片的なものであり、全体像が見えないために疑心暗鬼になり、徳之島のような感情的な反発にまでなってしまったのである。漏洩の素は政治家なのか官僚なのかよくわからないが、この問題についてのメディアの解説が聞きたいものだ。 これから汚名返上を図るとするならば、防衛問題について有権者に語りかけ、議論を深化させるしかないと思うのだが、もはや手遅れか… PR 鳩山内閣の臨終のときが迫ってきたようだ。普天間をめぐっての右往左往ぶりで、支持率は急降下している。とどめは「日米合意」と「政府方針」の二本立てで決着しようとしていることだ。
フィリピンの大統領選挙は、アキノ候補の圧勝に終わった。「汚職の打破」をキャッチフレーズに当選したが、“役人批判”が有権者にとって心地よい言葉になるというというのはどこの国でも同じということか。もう一つおなじことは、政治が“家業”であるのは、どの国でも通用するということである。選挙は人気投票でもあり、“ブランド力”がものをいうことでもある。
参議院選挙に民主党からヤワラちゃんが立候補を表明した翌日に、元巨人の中畑が立ち枯れ日本からの立候補を表明した。記者会見で「恩師長嶋監督から激励を受けた」と発言している。長嶋ブランドもちゃっかり利用しようとの魂胆だろう。 民主党からは歌手の庄野真世も立候補するし、元巨人では堀内が自民党から立候補する。ワイドショー的にはネタが満載という選挙戦が展開されることになるだろう。 堀内、中畑が立候補するとなると、監督になりたいのだが一向に実現しない“あの人”も尻がむずむずしてきたのではないだろうか。栃木県つながりで、みんなの党あたりから出馬するかもしれないのだが、作新学院は自民党だろうからやっぱりここでも待たされるのだろう。
日本(特に民主党)のお手本になっているイギリスの総選挙の結果は、中ぶらりん議会というハング・パーラメント状態になった。2大政党が過半数を取れず、第1党の保守党と3党の自由党との政策面は隔たりが大きすぎ、第2党に落ち込んだ労働党と自由党では過半数に達せず、第四極の政党を糾合しなければ政権を確保できないという事態である。
どの枠組みになったとしても、不安定な政権運営となることは避けられない。 このような状況に陥ったのは、世論調査で支持率の高かった自由党が議席を伸ばすどころか、逆に改選前の63議席から57議席へとマイナスになったことが大きな理由である。自由党が予想通り議席を増やしていれば労働党との連立でなんとか政権が発足できたはずであった。 自由党が思わぬ結果になったのは、小選挙区制度の弊害がもろに出たのではないだろうか。小選挙区制度では1:1の対決でない限り50%を超えなくても議席を獲得できる。しかし、20%台のシェアではよほどの乱立でない限り、落選となる。 昨年の日本の衆議院選挙でも、民主党の得票率は40%台にもかかわらず、70%を超える議席を獲得している。民主主義の基本ルールは、過半数の尊重ということになるのだが、40%台のシェアでも過半数を圧倒的に超えるという矛盾を小選挙区制度は抱えていることになる。 日本の場合は、2大政党による安定した政権運営ということを目指して、中選挙区制度から小選挙区制への転換が図られたのだが、そもそも有権者は2大政党制を望んだのだろうか。 社会の成熟化と、“選択の自由度”というのは比例するものである。未成熟な社会では1党独裁、成熟化社会では主張の異なる多数の政党からの選択ということになると思う。この流れに逆行したのが、日本の小選挙区制への移行であった。 選挙結果を受けてイギリスのブラウン首相は、自由党の求める選挙制度の改革に協力するという発言をしている。イギリスで小選挙区制度が見直しされれば、日本もこれに倣うのだろうか。 もう一つイギリスを手本としている政治スタイルで疑問なのは、マニフェストである。民主党は何かというとマニフェストで約束したからということで、強引に政策を押し進めようとしている。 しかし有権者はマニフェストのすべてに賛同して投票したのではなく、共感することが多かったからか、特に押し進めてほしい政策があったから投票したのである。これも40%台のシェアで100%=議席の獲得という小選挙区制度と同じような論理だと思う。
憂鬱な一日をなんとかクリアできた。それにしても、いつも締め切りが近づくまで何も手をつけないという習性を、なんとかしなければならない。
私と同じように、締め切りが迫って憂鬱な日々を送っているのは、鳩山首相だろう。先日の徳之島の反対集会に続いて、昨日は沖縄で基地移転を求める決起集会が開かれた。日経によると9万人が参加したとのことであり、「民意」は無視できない状況である。 日経の世論調査で、内閣支持率は23%にまで低下している。半年前には70%あったものが、あっという間の急降下である。この原因は、「政治とカネ」の問題ではなく、首相のリーダーシップの欠如にある。 CSの仕事に携わってわかったことの一つは、満足度の高さは期待の高さの裏返しであるということだ。満足には「期待通りの満足」と、「思いがけない満足」の2種類ある。消費者は「思いがけない満足」を期待して商品を選ぶのではなく、「期待通りの満足」を望んでいるのであり、期待値をどう上げるかが重要になる。 内閣支持率は、国民の政権への満足度である。鳩山内閣発足時の支持率の高さは、新政権への期待の大きさを象徴していたと思う。支持率の低下=期待の低下と見る事が出来る。 普天間問題は象徴的だが、昨年暮れの予算編成時に垣間見え、この間の高速道路料金体系ではっきりした“党高政低”に、鳩山内閣への期待感が吹き飛んだのではないだろうか。何も決められない傀儡政権であることが見透かされたのが、支持率の急降下に直結していると思う。 “真の実力者”が矢面に立たず、背後でいろいろ画策するスタイルが定着したのは、田中角栄以降だと思う。国民はこのような政治スタイルにはうんざりしており、その後の政治不信につながった。 鳩山首相の言葉に重みを感じる事が出来ない。何一つ決める事が出来ない、傀儡政権であるためだ。言葉に重みを感じられない政治家は失格であり、傀儡政権の支持率が低いのは当然のことである。それにしても、これだけ支持率が低下しても、受け皿であるはずの野党第一党の支持率も低迷したままだということは、この国の将来は絶望的なのだろうか。 |
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