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この数日好天が続いており、ラジオの交通情報では結構渋滞のニュースが流れている。東名高速も集中工事のために、平日は大渋滞となっており物流に大きな影響を与えているようだ。

パソコンに向かっている時は、いつもラジオを聴きながらというのが習慣になってしまった。チョット前はCDを聞くこともよくあったのだが、パソコンの音声の調子が悪く、今では専らラジオである。

ラジオを聞く人の多くは、自動車に乗っている人であり、交通情報が30分おきに放送されている。今年に入って、「目立った渋滞はありません」という情報が多くなり、景気の低迷を感じていたのだが、夏をすぎる頃から渋滞の情報が多くなった。

首都高速の中央環状線でのトレーラーの炎上による事故の復旧工事で、通行規制が行われた影響のためである。2ヶ月かかって先日ようやく元に戻ったのだが、復旧工事の費用20億円と、その間の通行料減少による損失5億円とを首都高はトレーラーを保有する運送会社に請求するらしい。

保険でかなりの金額は補填されるのだろうが、運送会社にとっては痛い金額だと思う。納得できないのは、利用者の損失は補填されないことである。

利用者の2ヶ月間の時間的損失は膨大なものになるのだが、損害賠償は首都高に払われるだけである。首都高は利用者に対して、「分け前」を還元するべきではないだろうか。

行楽による渋滞を知らせる交通情報を聞きながら、つまらないことを考えてしまった。
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今朝のパソコンは快適に動いている。これ以上のトラブルがないように祈るばかりだ。

ノーベル賞でまた一人日本人の受賞者が誕生した。日本の受賞者はこれで16人になり、今年のような「量産」をみると文部科学省が目標に掲げる2050年までに50人の達成も可能なように思われる。

湯川博士が1949年に受賞したのがはじまりで、60年代までは3人、70年代2人、80年代2人、90年代に1人と、10年間に1人か2人のペースであった。

ところが2000年代に入ってこれで8人目の受賞者である。21世紀に入って一挙に大量生産が始まったことになる。しかしこれらの業績の多くは30~40年前に出されたものであり、日本がまだ若くて元気のあった高度経済成長期に生み出されたものである。

現在の科学政策がよいから、大量の受賞者が誕生したことではないことに、留意する必要があると思う。今の政策が寄与するのは2030年から40年に実を結ぶものであり、長い眼で見てゆかなければならない。

ノーベル賞には6部門あるのだが、経済学賞の受賞者はまだ登場していない。日本の受賞は化学と物理学が大半を占めており、自然を対象としたものである。

これに比べて、経済学は人間の行動を対象としたものであり、「人間の観察」からスタートし、人間の行動を理論化したものと見る事ができる。

残念ながらこの分野では、このブログでも度々取り上げている「行動経済学」のような新しいものも、ほとんどが外国で提唱されだし、日本に輸入されたものがほとんどであり、日本発というものは全くないといってよいと思う。

外国の理論研究が主流となっており、独創性は感じられない。私が深くかかわってきたマーケティングの世界も似たようなものである。

その背景には、「人間の観察」の部分が大きく欠落しているからだと思うのだがどうだろうか。自然界の出来事については“おや”と思うことができるのだが、社会のできごとについて“おや”と思うことが少ないのではないだろうか。

昨日は冷たい雨で寒かったが、今朝は晴天で暖かくなりそうだ。日替わり天気のため、毎日着る物の選択に迷うところだ。今のところ、体調には変化はない。

昨日のニューヨーク市場では一時800ドルの大幅安となり、終値ではとうとう1万ドルの大台を割り込んでしまった。東京市場もおそらく1万円割れになるだろう。世界恐慌と命名してもよいと思う。パラダイムシフトが必要だが、方向については後日このブログに掲載することにしたい。

昨日最高裁で、年金を支払う義務のなかった大学時代に怪我をし、それがもとで障害者になった人に、障害基礎年金の受給資格を与えられないことについての判決が出た。

最高裁の判断は、国が当時学生に支払い義務を免除したのは親の負担を考慮したためで、国に落ち度はないというもので、訴えは退けられた。おかしな判決だと思う。

現行のルールでは、障害基礎年金は国民年金を支払っている人に与えられるものであり、支払いを“免除”されていた人は、「年金を支払っていない人」という扱いになっている。この点についてが論点であると思うのだが、この判決の報道では触れられていない。

“免除”されていたというのは、支払う意思があったのだが猶予期間を与えられていたのであると解釈したい。免除されているのに、保険のために年金を支払う人はいまい。

刑事事件だけでなく、国や自治体が対象となる訴訟にも裁判員制度が設けられないものだろうか。
今度はメラニン入りの牛乳を原料とした食品の回収騒動である。今朝の日経によると、「メラニンを混ぜることにより、蛋白質含有量を示す数値が上昇し、牛乳を水で薄めるのを隠すため混入されたと見られる」と報じている。

報道を信じるならば、この問題のひどさは誤って起こったことではなく、意図的なものであり、しかも水増しという不正を隠すために、さらに不正を重ねたということである。これは明らかな犯罪行為である。

一部の企業が行ったのではなく、業界ぐるみの臭いもする。倫理観が全感じられないのだが、中国では孔孟の時代からこの倫理・道徳観についての論争が続けられている。孟子の性善説や荀子の性悪説である。

孟子の教えでは「人間には先天的に善の“兆し”が宿っているが、これが外部に影響され曇ってしまう」としている。善の兆しとは、①惻隠(憐れむ心)、②羞悪(不正を羞恥する心)、③辞譲(謙譲心)、④是非(善悪を判断する心)の4つである。

どうも今回の事件は2番目の心と4番目の心が曇ってしまったようである。儒教は一般大衆を律することを目的に成立したのではなく、王たるものの行動規範を説いたものである。「性善説」や「性悪説」も王の行動を律するために展開されたものである。

今回の事件は、企業行動の中で生じたことである。儒教の教えの対象外だから起こった問題なのだろうか。

台風は今朝までに通り過ぎたようで、雨風はやんでいるが、「台風一過の秋晴れ」とはいかないようだ。それでも、これから横浜に仕事で出かける予定だが、傘は不要だ。

昨夜は帰宅が12時を回ったのだが、大雨でアメダスをチェックしてみると、1時間に31ミリを記録していた。道路は川のようになって雨水が流れており、帰宅に少し苦労した。

今回の台風は雨台風である。ラジオのニュースを聞いていると気になる言葉があった。「○○市では、住民○世帯○人が、近くの○○に自主的に避難しています」という言葉である。

たいていは5世帯7人とか、12世帯18人というように世帯平均が2人を大きく割り込み、一人暮らしのお年寄りが自主避難しているらしいことは想像がつく。ひっかかるのは「自主」という言葉である。

自主避難といっても、住民の側(特にお年寄りに)に判断できるとは思えず、ましてや避難場所を確保するのは無理がある。実際には、行政の側が、避難勧告し、避難場所を確保しているのだが、あくまでも「自主的な行動」という体裁をとっているのだろう。

「自主」という言葉にこだわるのは、あくまでも住民の判断・意思に基づく行動ということで、責任が住民の側にあるということを示す「役所の論理」だと思う。

予測される災害の程度により、指示→命令とランクが変わるのだろうが、国民の目線に立った政治が論議されるおりでもあり、気になる言葉である。



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