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昨日は終日半袖ですごすことができ、快適な1日だった。空気は初夏の香りである。ここのところの、好天気の影響か検索サイトからのアクセスで、「気温とビールの消費量」というフレーズが目立ち、今週になって4件もある。

気温があまり高くなると日中の水分補給が多くなり、かえってビールの消費量が減ることがあるという内容のものだが、googleで検索すると最初のページで登場するのでアクセスが多いのであろう。昨日は日中に2件もアクセスがあり、気温の高さとともに空気も乾燥しており、ビールを飲みたくなった人が思わず検索したのではないだろうか。

景気の急降下は昨年の秋にはじまり、冬になって一気に冷え込んだ。気温の下降につられて、景気も落ち込んだ用に見える。ここのところ株価は少し上向きだが、気温の上昇につれてと見えなくもない。

若い頃はビールをがんがん飲んだものだが、年を重ねるとともに「とりあえずビール」だけにとどまり、日本酒や焼酎に手を出すことが多くなっている。それでも野球やサッカーなどの屋外でのスポーツ観戦では、焼酎や日本酒は飲みにくく、ビールがふさわしい。

ビール消費量が増えるということはそれだけ行動的になったということであり、ビールの消費量は景気の“気”のバロメーターにもなるのではないだろうか。




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桜の満開に続いて、追加経済対策が花ざかりである。「100年に1度の経済危機」を錦の御旗に、あれもこれもとこの際とばかりに盛り込まれ、当初10兆円といわれていたものが、とうとう総額15兆円の規模になるとの事である。

限られた予算を何に振り向けるかという通常の予算編成と違い、景気浮揚のために金を使えという指示であるから、当然のごとくあれもこれものてんこ盛りで15兆円にまで膨れ上がったようだ。

お祭り騒ぎに乗じて、定額給付金で「成果」をあげた公明党などは選挙をにらんで、ここぞとばかりに「福祉関連政策」の予算獲得に躍起になっている。政府や自治体の財政赤字が拡大したのは、景気対策として90年代に実施された「公共工事」の後遺症のためである。

15億円のうち、埋蔵金から4兆円程度を捻出するそうだが、大部分は「赤字国債の発行も辞さない」そうである。無責任な話だと思う。

恒久的な制度の改革ならば、チェンジが実感できて需要の拡大も見込めるのだが、2年や3年の時限を限った政策が多く、カンフル剤としての役割は果たすのだろうが、新しい日本の姿が見えてこず、政策とはいえない内容ではないだろうか。

そもそも日本経済へのカンフル剤投与は、昨年度の一次補正や、二次補正で収めるべきで、今考えなければならないのはこれからの日本をどういう方向にするべきかの視点を持ったものでなければならないと思う。

民主党は、与党の規模を上回る20兆円の提案をしようとしている。どっちもどっちで、無責任な話だとおもう。

自動車業界や電機業界への配慮から、環境対応を名目に、自動車や家電購入の促進策も盛り込まれている。露骨なのは、エアコンや冷蔵庫は5%の助成策なのに、テレビは10%と割高になっていることである。

高速道路を1000円にすることでETCの普及を図ったことと同様に、地デジ促進による天下り先利権の確保が見え見えだ。

私は「国益」という言葉が大嫌いだ。北朝鮮のミサイル発射の問題や、土曜から始まったNHKスペシャルの新シリーズを見ながら、余計その感を強くした。

アラカン世代は、学生時代は全共闘世代であり、時代の雰囲気として「反体制」に染まっており、体制を象徴するような「国益」という言葉にアレルギーがあるのかもしれない。

私が国益という言葉が嫌いな理由を考えてみると、3つある。一つは、上に述べた世代からくる嫌悪感である。二つ目は、国益=国民の利益ではないということである。国益とは国家という体制の利益であって、体制を維持・強化するものであり、国民一人一人にとってはむしろ損失を被ることの方が多いのではないだろうか。

NHKスペシャルで繰り広げられていたように、戦争の歴史は「国益」のぶつかり合いでしかない。国家体制を維持するために、国民が犠牲になってきたのである。

三つ目の理由は、国益というのは「私がよければ」というエゴの塊の言葉であることだ。先日、NHKの夕方のラジオのニュース番組で、同志社大学の浜教授がG20の会議に必要なことは「あなたがよければ」という態度であると指摘していた。

同感である。グローバル化した世界において、国際協調の立場で行動するには「あなたがよければ」という態度なくしてはありえないと思う。めちゃくちゃな国家体制をとっている、北朝鮮相手にはあてはまらないかもしれないが…

国益という言葉を頻発した政治家の代表は、小泉元首相だと思う。対米追随的外交姿勢を質された時に、よく国益という言葉を用いていた。国益という言葉を護符のように使い、何でも許されるという態度である。

国益という言葉はいかがわしい言葉ではないだろうか。政治家が用いる時には、特に注意しなければならない。

私は、国家という概念のもう一つ上に、「公」というものがあると考えている。国家というのは、そのときの都合により作られているものであり、「公」というのはもっと普遍的なものだと思うからだ。

「公益」という言葉が好きにならなければいけないのだが、「公益法人」という「我々がよければ」しか考えていないろくでもない組織が存在するので、公益という言葉も簡単に使えないのが残念なことだ。
北朝鮮のミサイル実験の迎撃に、PAC-3が出動している様子が昨日のニュースで大きく報じられている。通過が予想される東北地方だけでなく、首都圏にも配備され東京の都心にもランチャーがセットされたようだ。

本当に撃ち落せるのかどうかが議論になっている。鴻池官房副長官は正直な意見を述べたが、その発言についても批判が高まっている。6000億円もの費用がかかったシステムであり、役立たずを証明するような意見であるからだ。

本当に撃ち落せるかどうかは別にして、物々しく出動する様の映像は、国民に対しては一定の効果があるように思う。政府が国民の安全に配慮していることを見せるポーズにはなる。「見える化」の実践である。

本当に迎撃しなければならない事態になり、撃ち落すことができれば支持率アップは間違いないが、緊急事態が起きなくても手段を講じている事がわかるだけでも少しは支持率に影響するのではないか。

千葉県知事選挙は、森田健作が民主党推薦の候補に大差を付けて圧勝した。前回は僅差で堂本知事に破れ、今回はその雪辱を果たした格好だ。千葉県民である私は、前回の選挙で堂本候補に投票して少し後悔した思いがあり、私と同じような意見の人がかなりいたと思う。

タレント上がりの知事のメリットは、メディアが積極的に取り上げるため、政策の透明度が高まることにあると思う。ここにも「見える化」の効用があり、お手並み拝見だ。
半袖ですごせそうな日和が続いている。桜の開花の兆しを探索に出かけたくなるが、今日は日韓戦があるので、明日までお預けにしよう。

今日の日経のコラム「春秋」の記事には賛成だ。政府が行う「経済危機克服のための有識者会合」という記事への批判である。私も、「有識者」という名前のいかがわしさについては、このブログでは再三取り上げている。

行政がやっているというポーズをとるために活用するのが「有識者」であり、年越し派遣村の元村長もメンバーにいれるなどして目配りをしているような工作もしている。アリバイ造りのような会合から何かが生まれるのかは疑問だ。

春秋の筆者がいうように、政策を世に問う解散・総選挙を実施する時期に来ていると思うのだが、首相は外交日程を詰め込み、選挙逃れをしているようにしか思えない。もっとも、今月末に予定されていた訪中は、中国側の都合で中止されるらしい。何時までその座に居るかわからない人物との会談の重要度が下がったのだろう。

WBC人気が盛り上がっている(私だけかもしれないのだが)のは、このような閉塞感に対する反動も大きいのではないだろうか。


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