社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
この数年新型インフルエンザによるパンデミックについての報道が多くあり、NHKなどでは啓蒙?ドラマなども放映している。メキシコで発生した豚インフルエンザがWHOによりレベル4の警戒レベルに到達したことにより、今日のニュースはこの問題一色になりそうだ。
企業の危機管理の問題の一つとして、新型インフルエンザの発生への対処がある。今回もその対応力が問われる場面であるが、現地に赴任している社員の家族についての指示が2つに分かれている。 一つは、即刻帰国を命じるもので、二つ目は帰国時の空港の混雑での感染を危惧して自宅待機を命じるものである。 定石という言葉がある。囲碁の世界の言葉で、将棋では定跡という字をあてている。いずれもその局面の最善手であり、定石の知識の有無がアマチュアレベルでの実力差につながるものだと思う。 定石は局面による最善手であるが、周りの状況によっては最善手となるとは限らず、悪手となることもありうる。現地に赴任している家族の対処方法についても、大局的な判断が必要だと思う。 国際的な感染拡大が恐れられている中で、日本ではまだ感染が確認されておらず、水際での防疫が繰り広げられていること、インフルエンザの感染は人込みの中での人的感染がメインで、空港の混雑は危険性が高いことなどを勘案すると、この局面では自宅待機という指示が最善手ではないだろうか。 メキシコでは100人を超える死者が発生しているが、そのほかの国の感染者は軽症で済んでいるようである。発生源のメキシコでは感染した人が政府発表よりも圧倒的に多いのではないだろうか。 スーパーやコンビニでマスクの売上が急増しているようである。扇情的な報道は避けてほしいものだ。 PR
今日からゴールデンウィークがスタートするそうであるが、空模様は怪しく落ち着いたスタートになりそうである。今年はカレンダーの巡りあわせがよく、休暇を挟むと16連休になる。生産調整を進めるにはもってこいで、連休明けには景気好転の兆しが見えるかもしれない。
このところの景気の低迷の影響で、毎日が日曜日のような稼動状況になっている者にとって、連休はありがたいものではない。 また、警察官の居眠りによって、取調べ中の容疑者が逃走した。1週間に2度目の失態である。今回は、窓にはめられている鉄格子を1本外し、腰縄を使って階上から逃走するという大胆な事件であり、気配を察しないほど取調官は熟睡していたことになる。 前回の事件では19歳の警察官が、前日の9時からの勤務で翌日の16時まで1時間しか睡眠を取れなかったそうで、仕事に追われて徹夜明けで睡魔に襲われた時のことをを思い出すと、苛酷な勤務に同情の余地はある。今回も同じような勤務実態だとすれば、怠慢だけでは片付けられない事件だと思う。 今日は福知山線の事故から4年目である。この事件も、厳しい労働環境が事故を招いたとする見方もできる。効率化を追い求めることの弊害ではないだろうか。
今朝例によってブログを更新しようとしたのだが、404 Not Founded Errorのメッセージが表示されいつもの時刻の更新はできなかった。諸般の事情で電話・メールが使えずブログの更新もできなければ、外部とのコミュニケーション手段が一切途絶えるところだった。恐怖である。
もう一つの恐怖がブラックアウトという症状である。SMAPのメンバーが「公然わいせつ罪」で逮捕された事件のことだ。過度の飲酒により理性を司る前頭前葉野が麻痺し、本能がむき出しになる症状のことらしい。“思い当る節”は枚挙にいとまがない。 報道では、6時間あまりで焼酎のロックやビールを10杯以上飲んだらしい。他人事ではない。私の場合は、記憶に残るのは5杯位までで、それ以上は「一杯飲んだ」ということになり、ブラックアウトの症状が起こる可能性が出てくる。 容疑者の場合は、10杯まで記憶にあるとしたら、私の2倍の酒豪ということになる。もっとも、10杯以上というのは店や同伴者の証言によるもので、容疑者の記憶は5杯位までかもしれないが。 今回の事件は、ノンベエに対する警鐘としては効果があると思う。「あんないい人が、お酒でこんなに変わってしまう」というメッセージ性は極めて高く、容疑者が地デジキャンペーンにも起用されているのがよくわかる。5杯が限度ということを強く自戒したい(5杯目でブラックアウトの前兆が現れるとしたら危険なのだが)。 一つ不可解のは、家宅捜査が行われたことだ。酔っ払いの公然わいせつ罪でなぜ、自宅を調べなければならないのだろうか。今回の場合、外部で飲酒していたことが明らかなのに、自宅で何の証拠を集めようとしたのだろうか疑問だし、そのような捜査権というのはあるのだろうか。こちらも恐ろしいことだ。
全国一斉学力評価テストの問題が新聞に発表されている。早速眺めてみたのだが、字が細かすぎて読み辛いことこの上ない。近視の老眼ではこのサイズの文字を長時間読むことに耐えられない。
休み休みしながら何とか国語の問題は読み終えることができた。問題を読み解くのに手こずる出題もあるが、「考える力」を問うような出題が多く、「地頭」を強化するという方向では概ねいい出題だったと思う。 試験問題はよいと思うのだが、その活用方法については問題点がいくつかある。一つ目は結果のフィードバックである。 4月に実施されたものが採点に時間を要し、秋にならないと結果がわからない。せっかくチャレンジングな出題をしても、半年後のフィードバックでは効果はないと思う。学校現場では、次の授業時間にでも「答え合わせ」の時間を設ける必要があると思う。 二つ目は、悉皆調査でよいのではという指摘に対することである。これに要する費用は50億円を超えるそうで、宅配業者や採点業者にとっては特需であるのだが、そんな費用をかけてやるまでのことかという意見である。学力を知るためならサンプル調査でよいという意見だ。 サンプル調査でよいというのは、供給側の論理であると思う。「考える力」は国が持たねばならないものではなく、個人が持たねばならないものであるという顧客の視点で考えれば、悉皆調査であるべきだと思う。効率重視と効果重視の差である。 むしろ全学年で実施するくらいのものだと思う。ネックになるのが、採点費用である。公正を期すために、専門業者に採点を委託しているために費用がかさみ、時間も要するのである。 結果の公表を前提にしていないのに、そこまで厳密にやるというのは矛盾しているように思う。現場で採点し、次の授業時間で答え合わせをして結果を文部科学省に送り返せば、1週間もあれば集計ができると思う。 新聞記事では「入試と方向性が違う」という見出しが掲載されていたが、その先の就職試験とは方向性が一致しているのではないだろうか。 悉皆調査となると現場の負担が増えるという意見も出そうだが、それよりも試験日前後には修学旅行の日程を取ることができず、旅行産業への影響が大きそうな気がする。
どうしても言いたいことがあるので、今日はもう一つ取り上げることにする。臓器移植法の改正の問題である。法が施行されてから見直すことになっていたが、そのままたなざらしにされていた。それが急遽国会で審議されることになったのは、WHOが自国での移植という勧告をすることになったためである。
子供の移植が認められない現行法では海外移植に頼るしかなく、患者を抱える親の要望が強いための法改正論議だと思う。子供の命を救いたいと思う親の気持ちはよくわかる。 しかし、臓器移植の多くは他人の死で命を救う行為であり、提供側のことも考える必要があると思う。提供を受ける側の論理だけが先行しすぎているのではないだろうか。 長く患っていた後に脳死状態になるのなら、親族も覚悟ができていようが、脳死は突然の事故によってもたらされることが多いと思う。そんな中で、意思表示ができない子供(特に幼児)の親に、臓器移植を迫る行為が許されるのだろうか。 医療技術の進歩により、“奇跡の生還”ということも起こりうると思う。奇跡にすがりたい親に移植を進める行為は、私にはできないことだ。 子供の臓器移植を認めるには社会的な合意形成が必要であり、国会での議論だけでなく、国民投票をして社会的に合意する手続が必要だと思うのだがどうだろうか。少なくとも、投票することにより、臓器移植に対する理解は深まると思う。 |
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[11/14 NONAME]
[06/09 元沖縄通♪]
[04/28 元沖縄通♪]
[03/22 ドン・カルチョ]
[03/21 佐野]
最新記事
(06/09)
(06/06)
(06/03)
(06/02)
(06/01)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析
|