社長のブログです
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例年ならサクラの開花がニュースになるころだが、今年はどこからも届いていない。近所のサクラの木を眺めても、花実は固く、4月になってからの開花になりそうだ。
それだけ寒い日がいつまでも続いているということだが、一昨日から昼間の停電は実施されていない。東電のHPを見ると、いつの間にか供給力が3,300万Kwから、3,800万Kwに15%も増えている。これに節電が進んだために、寒さが続くにもかかわらず、電気を止めるのが減っているのだろう。 放射能汚染が深刻になってきた。農産物や水道水まで汚染が確認されているが、とうとう我が家の水道も乳児の摂取を控えなければならない水準にまでなってしまった。 一日早く摂取を控える水準になった金町の浄水場は、昨日は基準を下回ったとして、一日で規制は解除になった。よくわからないのは、浄水場で計測された放射線の値が、家庭の蛇口をひねった時にどのような値になっているかである。蛇口に口を付ける人はいても、浄水場に口を突っ込む人はいないのだから。 浄水場から家庭までのタイムラグがあるだろうし、時の経過により放射線が減衰することもあるだろう。知りたいのは、水道管と給水タンクにどれだけ在庫があるかということであり、それと一日の使用量との関係から何日後に口にするのかが推定されるのだが。 葉物野菜の汚染は、東京都内にまで広がり始めた。私の乏しい野菜の知識に入っている小松菜である。一年間食べ続けても、X線写真一回分の量で「ただちに健康被害はない」とされている。しかし小松菜だけを食べるのではなく、水も飲むし、牛乳も飲む。 トータルでどれだけレントゲン検査を受けることになるのだろうか。 そろそろ放射線の排出量を見るべき時期だと思う。これまでにどれだけ排出され、ピークは何時で、今日はどれだけ排出されているかのデータである。どこまで汚染が広がり、何時までその汚染を覚悟しなければならないかの判断のためである。 事故の終息の見込みが立たないことは理解できる。しかし、これから先どれだけの覚悟を決めなければならないのか、そろそろ判断するべき時期であり、そのためのベースとなるデータの公表である。 ただちに影響はないと言われても、その日一日だけをクリアできればよいというものではない。これからも暮らして行かなければならないのだ。 「ただちに」という言葉を連呼されればされるほど、“大本営発表”を連想する人が多くなるのではないだろうか。何度も述べているが、“正確”な情報ではなく、“的確”な情報が必要だと思う。 PR
停電5組から仲間外れにされたので、一度も停電を経験せずにここまで来ている。停電を共有することで“連帯感”が生まれるのに、残念なことである。
ところが、同じように連帯から外されたはずの、駅周辺地域では昨日の夕方停電していたのである。道路を挟んで、電気がついている所と、停電している地域が混在しているのである。不思議な光景だった。 プロ野球はセ・リーグは予定通り25日に開幕し、パ・リーグは来月12日に延期することが発表された。25日強行開幕を主導したのは巨人であり、ドンであるナベツネの意向が大きく働いたとされる。 「スポーツを通じて世の中を励ますことがプロとしての使命」だという言い分だ。確かにスポーツには、人々の心を励ます効用は大きいと思う。 しかし、スポーツを楽しみ、スポーツからエネルギーをもらうには、人々の心に余裕が少しでも出来た時に初めて生じるものである。先行きがどうなるか不安な時に、スポーツを楽しむゆとりが出てくるものであり、原発トラブルの終息の気配が見えず、大規模停電を危機一髪で回避しているこの時期に、野球を開催するのはどうかと思う。 計画停電は最低でも4月下旬までは実施されそうである。多くの人が当番をこなしているのだが、23区内の多くは対象地域から外れている。中枢機能が集中しているためだが、いっそのこと都心3区を除いた地域にも当番を割り当てたら、強行開幕という馬鹿な考えは起こらないのではないか。 Jリーグはすでに3月一杯は中止を決定し、チャリティ・マッチを1試合行うだけで、4月の開催も流動的である。競艇は地震の翌日に3月の開催中止を発表し、競馬も3月一杯東日本では取りやめになっている。 阪神大震災の後で、選抜高校野球が「がんばろう神戸」を合言葉に開催され、人々に共感を呼んだが、震災から2カ月が経過し落ち着きが出てきたためである。今は「歌舞音曲禁止令」を出して喪に服すべき時期ではないだろうか。 スポーツの国際大会の中止が次々と発表されている。海外の選手が来日を拒んでいるためだ。アメリカや韓国などは原発80キロ圏に居る同国人の退避勧告をしており、成田では出国ラッシュになっている。海外で日本の現状をどのように見ているかが良くわかる出来事だ。 そんな中でも、日本人は平然としていることをアピールするための、強行開幕なのだろうか。予定通りのスケジュールで行われるスポーツは、セ・リーグ(巨人)と、選抜高校野球だけだ。両方ともバックには日本を代表するメディアがいるのだが…
東電の対応の拙さは、“無計画停電”だけかと思っていたが、原発の事故対応にもあるようで、今朝はとうとう菅首相自ら東電に乗り込んで指揮をとるようになった。計画停電にも政府が関与してほしいものだ。
その計画停電だが、今朝の“当番”は停電3組で、7時から栃木、群馬、埼玉、神奈川の“一部”で実施すると発表した。またもや間際になってからの発表である。 間際になってからでは、現場の対応に混乱を招くだけである。例えば、信号機が使えなくなるので、主要な交差点には警察官が張り付くことになるが、その体制を整える必要があり、臨機応変に対応するのは困難だろう。 発表されている計画では、明日の朝一の当番は4組、明後日は我が5組になるとのことである。公平になるように、クルクル回すのだろうが、この方法が良いのだろうか。 毎日変わることによって、シフトを変えなければいけない。毎日シャッターを閉める時間が異なるのである。しばらくこのような状況が続くなら、むしろ当番の時間を固定した方が、停電になる側の計画も立てやすいと思う。供給する東電の立場ではなく、需要側の立場に立ってはじめて「計画停電」と名乗ることができると思う。 昨夜実施した停電の地域に被災地域が含まれるという配慮のなさも非難されている。5組の中のほんの一部で実施したのだが、よりによって被災地を選んでしまったのだ。自己中心的で相手のことを考えない一連の対応を見ていると、これが東電の社風なのかもしれない。 被災地の支援を考えると、経済活動を優先して考える必要がある。そのためには人の活動が重要であり、これを阻害する鉄道への影響は絶対に避ける必要があると思う。 計画の立てられない「計画停電」ではなく、不要不急の「歌舞音曲禁止令」で対応するということも考えてよいのではないだろうか。停電にあった避難所での「隣の町のパチンコ屋のネオンが煌々と輝いているのは」という言葉が象徴しているように思うのだが。 原発の深刻さは一段階上がったようだ。
このところ“正義”にまつわることで、大きく報道されている事件が二つある。携帯によるカンニング問題と、専業主婦の年金救済策の問題である。
そのうちメディアの報道ぶりに少し違和感があるのは、携帯でのカンニング問題だ。今日こそ一面記事にはならなかったが、事件発覚以降連日トップ記事に取り上げられており、テレビのニュースでも警察前でリポーターが報じるなど、“大事件”扱いである。 確かに携帯を使った新たな手口であり、社会性もあるので三面記事にはふさわしいと思うのだが、連日一面を飾り、社説で取り上げるような出来事には思えない。 カンニングという“ズル”を非難する気持ちはわからないでもないが、専業主婦の年金救済策の不公平さを糾弾するのとは次元が違うような気がする。 社会に出てからは、情報収集力(情報の真贋を見極める眼も含む)が大きな武器になり、むしろネットを駆使する能力は歓迎されるものなのに、という複雑な感じがする。 一方、年金救済策は、未納分を2年間収めるだけで救済されるところに、不公平さがある。法律では2年以上遡れないようになっているためだが、期間を区切らなければならない理由が私にはよくわからない。 未納分を全部支払えば満額支給し、それ以下については納付期間に応じた金額を支給すればよいだけで、それを2年分納めるだけで救済するところに問題があり、制度が糾弾されるのは当然だろう。 いずれにしても最近は“正義”についてメディアに取り上げられることが多いのだが、マイケル・サンデル教授の「白熱教室」の影響なのだろうか、それとも最近の世相が“正義”の問題を重要視されるようになったからだろうか。 サンデル教授の「これからの正義の話をしよう」(早川書房)を読みながら考えている所だ。
今日は東京マラソンが行われている。この時期に毎年開催されることもあって雪や雨になることも多いのだが、今年は好天に恵まれ、ランナーは走ることの気持ちよさを満喫しているだろう。
このブログを始めた最初の日にも東京マラソンが行われており、そのことに触れたような記憶がある。 東京マラソンは申し込み者が35万人を超え、10倍の抽選を突破したランナーが東京の目抜き通りを走り回れることになる。5年前に始まった時も抽選が行われたが、10万人の応募だったから3倍ちょっとの関門だったので、人気の上昇が良くわかる。 市民マラソンの歴史を調べてみたことがあるが、これまで2度ブームが起きている。日本で最初に登場した本格的な市民マラソンはフルマラソンではないが、青梅マラソンだと思う。60年代後半に始まった大会は70年代に入ると1万人のランナーが集う大会に成長した。 ホノルルマラソンが70年代に入って行われるようになり、80年代に入ると日本からの参加が急増(毎年3万人前後のランナーが走るが、その6割は日本人)し、これをうけて北海道マラソンやNAHAマラソンなど大規模市民マラソンが90年前後に誕生している。これが第一次ブームである。 第二次ブームは、東京マラソンが06年に開催されて以降のことであり、今度は大都市市民マラソンがブームになっている。エリートランナーなら2時間ちょっとで済むが、市民マラソンとなると5~6時間の交通規制が必要になる。そのため、大都市での開催は“自粛”されていたのだが、東京マラソンの盛況を受けて今秋の大阪をはじめとして、神戸・京都・名古屋で相次いで開催される予定になっている。 ネットで調べてみると、市民ランナーが参加できるフルマラソンは、現在100ちょっとある。これだけマラソンがあちこちで開かれている国はないのではないだろうか。 当然のように新たなビジネスも生まれている。参加申し込みの受け付け代行、ICチップを利用した計測システム、会場の設営、警備などなど関連ビジネスで潤う企業が出始めている。 それに東京マラソンでは沿道に200万人の観衆が集まる大イベントにもなっており、経済効果は相当な規模になる。利に敏い大阪や名古屋で開催されるのもうなずける。 産業という言葉を使えるのは、市場規模が1兆円を超える位にならないと呼ぶに値しないと私は思っている。この定義からすると、映画は市場規模せいぜい2千億円であり、外れることになる。 しかし、マラソンはランナーの用具や交通費・宿泊費などに、沿道の観衆が費やすお金をを加えると、1兆円に届くかもしれない。市民マラソンは地域にとってのビッグイベントになりつつあると思う。市民マラソン研究で博士号の取得を目指すか。 |
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