忍者ブログ
[60] [61] [62] [63] [64] [65] [66] [67] [68] [69] [70]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

環境サミットでの鳩山演説は好評のうちに終わり、新政権はまずまずの外交スタートを切ったようだ。鳩山イニシアチブという名称がどれだけ威力を発揮するか注目したい。国内でも連休を厭わず新閣僚が仕事にまい進している姿が見えてくる。

日経の1面にこの2日間日航の再建問題が取り上げられている。オバマ政権でのGMに相当するのが、新政権での日航だ。就任早々に対処しなければならないことや、両社とも手厚い年金制度を持っているのも共通しており、どのような対策を打ち出すのかこれも注目したい。

この2日間はNHKFMの「浜松アーカイブ三昧」を楽しんだ。NHKはその膨大なレコード資産を浜松に保管している。東海沖大地震が想定される中で、浜松に所蔵するというのが不思議なのだが、初日はクラシック、2日目は軽音楽の特集で、SPやLPを楽しむことが出来た。

10時間もある番組なので、ゲストが入れ替わり登場し、その度に自分の小遣いで買った最初のレコードについての話題になる。自分自身でも想い出してみたが、多分テレビ映画のテーマ音楽の「ローハイド」だったと思う。

ドーナツ盤で、裏面の「エル・パソ」という歌も気に入り、地図を引っ張り出してどこにあるのか調べた記憶がある。

高校時代に貯めたお金で、大学に入学をしてすぐにステレオを買い(当時の金で3万円は大金だった)、大学時代には50枚くらいLPレコードを買ったように思う。

昨日の番組のエンディングは「大脱走マーチ」だった。スティーブ・マックイーンやチャールズ・ブロンソンの登場する映画で、家族4人で観に行った記憶がある。

昭和30年代の後半の映画で、今から考えると戦争が終わってから20年経たなかった時代である。私は戦後生まれであるから「戦争を知らない子供たち」になる。

現在に置き換えると、20年前というとバブルが真っ盛りの時代である。「バブルを知らない子供たち」が増えているということか。時代の距離感を再認識させられた。

今日は「沖縄ポップス三昧」が10時間半放送される。レポート書きをしながら楽しむことにする。

PR
長春滞在中は、長春大学外国語学部日本語学科の学生が、ボランティアとして世話を焼いてくれた。英語やロシア語のボランティアは男性も居たが、日本語学科はなぜか全て女性であった。
 4f356f12.jpeg
 ボランティアの学生たち。私にも同じ年頃の2人の娘がお  り、親近感が持てた。







日本語はかなりしっかり話せるが、英単語を交えると途端に会話がかみ合わなくなる。義務教育の中で英語の授業はないらしく、ホテルの従業員でも英語が通じる人間が少なく、フロント係でも英語の単語で問合せをすると(私も単語を並べる程度しか出来ないのだが)、別の係りを呼ぶのには驚いた。
 
途中で3時間ほど時間が空いたので、どうしようかと思案をしていたら「一緒にアパートに行きましょう」と言う。一瞬どきりとしたが、デパートの間違いだとわかり、なぜかほっとした。
 
全員大学の向かいにある寮で暮らしているとの事。寮費は1年間で、8人部屋だと400元(為替レート135円で年間5400円になる)、6人部屋で600元、4人部屋で1200元、一人部屋はないそうである。
 
1ヶ月の生活費は、「お洒落を別にすると300元」とのことである。1100円ちょっとで生活できるようだ。バスや電車の初乗りは1元であり、感覚としては1元が100円~150円に相当すると思えばよい。例えば空港からホテルまでのタクシー代は100元であり、高速を利用して45分ほどの距離なので、日本では15千円はかかるのでおおよそそんな見当だ。
 
施設を見学に2度ほどバスで出かけたが、子供の姿をほとんど見かけなかった。思い起こすと大連の空港で3時間もウロチョロしていたのだが、子供に出会うことはなかった。
 
施設見学の途中で立ち寄った公園で何人かの子供を見かけたのだが、両親の間に1人挟まっているだけだった。ボランティアの彼女達に聞いてみると、4人とも兄弟は居ないとの事だった。一人っ子政策は徹底されているようで、少子化に関しては日本と同じである。
 
ただ日本との違いは、平均年齢で10歳若いことで、少子化のダメージが表れるのは10年~15年先のことだろう。10年ほどは高度経済成長が続き、5年ほどスローダウンし、その後は少子高齢化の洗礼を受けるのではないだろうか。

鳩山政権と民主党の支持率は極めて高い結果になっている。政権誕生直後は、ハネムーン期間と言われるが、新婚気分は何時まで続くのか注目だ。
昨日から下痢が止まらない。体温も夕方には37.9度まであがり、ようやく夜中の3時には37度まで下がった。インフルエンザが気になるところだが、咳もクシャミも全くなく、咽喉の痛みもない。先週からタイトなスケジュールで出張があった上に、中国への強行日程で疲れが出たのだろう。

ずっと一人旅であり、気疲れのせいだと解釈している。これまで海外に出かけた時に、一人だったことは一度もなく、言葉も通じない中での緊張が疲れを呼んだのだろう。

大連から長春へは1時間ちょっとであるが、乗り継ぎに3時間あり、空港で時間をもてあますことになる。コーヒーショップに入って、コーヒーを飲んだがこれはとんでもない代物だった。煮詰まったコーヒーであり、中国はコーヒーを飲まない文化だ。長春のホテルで朝食と昼食はバイキングだったのだが、同じような煮詰まったコーヒーであり、誰も手を出そうとせず、よけい煮詰まっている感じだった。

大連のコーヒーショップでは、4人用のボックス席で休んでいたが、空いているテーブルがあるにもかかわらず、私の席に中国人女性の3人組が相席となってしまった。美しい女性なら歓迎だが、おばさん3人でうるさく、とうとう追い出されてしまった。

ホテルのバイキングの席でも、必ず目の前の席には遠慮なく誰かが座る羽目になり、一人旅を満喫することはできなかった。

長春への飛行機を搭乗口で待っていると、何やら放送があり、周りの乗客が移動を始めた。状況把握しようとキョロキョロしていると、「搭乗口が5番から13番に変更された」と日本語の声が聞こえた。福岡でシイタケを中国から輸入するビジネスを手がけている、長春出身の中国人女性が声をかけてくれたのだ。

その女性と飛行機の座席は少し離れていたのだが、隣の席の人と交渉し、私の席と交換してくれた。中国人女性にもてるのかと勘違いしそうになる。

その女性は、月に1度故郷へ持病の針治療のために、帰っているそうで、シイタケは“旨み”のある商売なのだろう。この女性は親切にも、長春の空港で迎えに来た男性にホテルまでのタクシーを手配するように依頼してくれた。値段の交渉をして100元でOKとの事で、先に着いた人は150元を要求されており、この差は大きい。

これがよくなかったことが後でわかった。長春大学の日本語学科の学生が、空港まで迎えに来ていたのである。確かに、到着ロビーで名前を書いたボードを持った人が居たが、迎えがあるとは思いもしなかったので、無視をして通り過ぎてしまった。

今回は、聾唖者の高等教育におけるサポートシステムについての国際会議の取材のために出かけたのだが、長春大学が幹事であった。熱烈歓迎を実践しており、日本人の参加者が6人居たが、日本語学科の学生4人がボランティアで我々の世話をしてくれた。

娘と同じくらいの年頃で、色々話をし、学生生活の断片がうかがえた。その話は明日にでも。

熱はようやく35度台の平熱に戻ったが、下痢は相変わらず続いている。中華料理を食べ過ぎた分を調整しているようだ。

3泊4日のあわただしい中国への出張であったが、私にとって香港・台湾への旅行はあるものの、中国本土は初めてだったので、書きたいことが一杯ある。今週のこのブログは中国の印象記とするつもりだ。

長春と大連という中国東北部の街に触れただけだが、中国の活力に圧倒され、これからは中国にお世話にならなければならないことを実感した。

大連は昔の旅順、長春は満州国の首都の新京である。大連では国内線への乗り継ぎで行き帰りに空港で4時間ずつ滞在しただけだが、空港の滑走路の向こうに、グレードの高そうなマンションが立ち並んでいる。

アメリカのオーランドでゴルフをしたときに、コースに沿って別荘が立ち並んでいるのに驚いたことがある。私のようなスライサーは、度々軒先を訪問することになり申し訳ない思いをしたのだが、その時と同じような光景である。離着陸の騒音が煩わしいはずなのに、わざわざ居を構えるとはどういう考えかわからない。

とにかく、新築でグレードの高そうな家が多いという印象で、長春の街でも同じような印象を受けた。

長春は自動車工場があり、中国のデトロイト・三河のような地域であるらしいが、とにかく自動車の数が多い。片側4車線の広い道をひっきりなしに車が行き交っていた。

にもかかわらず、信号が極端に少ないのである。宿泊した長白山ホテルの前はロータリーになっており、そこから放射状に道路がつながっている。ホテルから10分ほどのところにデパートがあるのだが、信号のない道路を横断しなければならない。片側4車線の道路であるから、覚悟が必要とされる。

あちこちでクラクションの音が響いているが、ほとんどは横断中の歩行者に向けての警告である。自動車中心社会が、長春のような田舎(?)街でも到来しているのである。

特徴は車齢が若いことである。アメリカではよくこんな車で道路を走るなというような光景を目にするが、長春にはポンコツがなくピカピカの車が多いのである。2000年以降に車社会が到来し、この2~3年で急速に増えたのではないだろうか。

不思議なのは、荷物を運搬する車の割合が少ないことだ。東京だと乗用車の比率は5割くらいだと思うのだが、長春の街中ではタクシーも含めると乗用車の比率は8割を超えている印象だ。

自動車やテレビなど耐久消費財の普及は進んでも、生活の質を向上させる細々した物はこれからということだろう。日曜日の午後に訪れたデパートの中や通り道の賑わいは、昭和30年代の大阪を髣髴とさせるもので、高度経済成長前期ということなのだろう。

おそらく中国の経済成長は後5年は続くと思う。日本はますます中国経済への依存を深め、「お世話になる」ということを実感した。

中国国内の温度表示は摂氏であり、先日私がネットで見たのは中国が英米向けに出しているものを翻訳したためなのだろう。

今朝からひどい下痢に悩まされ、この文章を書くのが途切れ途切れになり随分時間がかかってしまった。向こうでは体調は何ともなかったのに、昨晩食べた寿司がわるかったのだろうか。
今朝は気持ちのよい快晴である。この天気はこれ以上崩しようのない好天が続くので「1円玉天気」だと、ラジオで気象予報士が話をしていた。旨いこと言うものだ。

関東以北は秋、東海以西は夏という状態がこの数日である。北海道の山では初雪が観測されたそうである。明日から、中国の長春に出かける。緯度では旭川と同じ位置にあり、服装は秋にするべきだろうか。

ネットでは長春の気温がわかるが、60度~70度となっている。摂氏ではなく華氏での表現である。換算式は忘れたが、90度を超えると摂氏では32~3度のはずなので、60~70度というのは20度前後と見当をつけた。

摂氏での表示に慣れているため、海外に行くといつも困らされる。とりあえず、90度を超えると暑い、70度は快適という程度の知識だけしかなかった。

華氏も摂氏も氏が付いているので人の名前に由来しているらしいのだが、調べてみると、華氏はファーレンのファが中国語では華からとったもので、摂氏はセルシウスのセを摂という漢字をあてたものである。

日本では温度の概念を中国から輸入したものだということがわかる。華氏は英語圏で、ポンド・ヤードの国、摂氏はそれ以外のメートル法の国に普及している概念である。

水の沸点や氷点で100度と0度を決めている摂氏の方が合理的であると思う。華氏は体温を100度(実際には96度)、人間が造ることのできるあらゆるものが凍る温度を0度としており、ピンと来ないのである。

にもかかわらず、英語圏では頑なに華氏を守ろうとしている。度量衡は感覚として身についてしまっているので、簡単には替える事ができないのだろう。

私の知識では華氏=ポンド・ヤード=英語圏という図式なのだが、英語圏ではない中国が華氏になっているのは疑問が生じる。中華思想の本家が、観光客用にサービスとして華氏での表示をしているとは思えないので、英語圏の文化を取り入れているのが謎である。中華人民共和国だから華氏なのだろうか?

ともかく、明日は9時45分の飛行機で出発するので、多分このブログの更新はできないと思う。帰国は14日になるので次の更新は15日を予定している。来週のこのブログは中国の話で満載になると思うのだが。



忍者ブログ [PR]
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
フリーエリア
最新コメント
[11/14 NONAME]
[06/09 元沖縄通♪]
[04/28 元沖縄通♪]
[03/22 ドン・カルチョ]
[03/21 佐野]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析