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半年前まで政権を担っていた民主党の存在感は、全くなくなった感じがする。株高は文字通り安倍内閣の株価もあげたようで、シーソーの片側が上昇したことによりもう一方は地面すれすれになってしまったようだ。1年前は自民党と民主党の支持率はそれほど大きな差はなかったのに、今では民主党の支持率は10%を切り、7%の“存在占拠率”も危うい状況になってしまった。

私は、成熟化社会の大事な要素は選択の自由度が保障されている所にあり、2大政党制というのは間違った方向にあると思う。しかし、民主党の瓦解、維新の会の賞味期限切れにより、支持率で見る限り1強8弱(弱いのがいくつあるのかわからないが、多分8だと思う)になり、1強の独裁的な行動というのもどうかと思う。

憲法改定の不純な動きをはじめとして、少子化対策としての「女子手帳」という怪しげな制度、国民栄誉賞を利用したはしゃぎすぎ(昨日の晩さん会などはどうかと思う)など、私にはよくやっているという風にはとても思えない。

野党よもっとしっかりせよと激励したいのだが、反転攻勢の最初が環境委員長の首をとるというのでは、あまり国民の支持を得る事は出来ないだろう。昨年の解散以後、4割も株価が上がったという“実績”の前には、攻め手を欠くということなのだろうか。

株価といえば、昨日はフランクフルト市場で史上最高値を更新した。ユーロ危機が喧伝され、イタリアやギリシャ、スペインなど金融危機が蔓延して回復には時間がかかるものだと思っていたのだが、ドイツはその重苦しい雰囲気を脱しているようだ。

こうしてみると、株高は安倍政権の経済政策によるクリーンヒットではなく、世界中の株高という風に恵まれて外野手の前にポトリと落ち、それが思わぬ大きなバウンドをして外野手の頭を越えて長打になってしまったようなものではないだろうか。

このところの民主党のもたつき具合を見ていると、頭を越えられた外野手がもたついている間に、長打にとどまらず、ランニング・ホームランになってしまいそうな気がする。

参議院選挙は、衆議院選挙の“勝ちすぎを諌める”という性質を持っているのだが、今の民主党をはじめとする野党のもたつきぶりを見ると、諌める気もしなくなってしまう。この夏の参議院選挙の投票率は相当低くなるのではないだろうか。

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昨日の国会中継では、教育問題をテーマにした集中審議が行われていた。久しぶりに枝野が質問に立ち、経済格差が学歴格差を生みだすということから、アホノミクスに対する問題点の指摘をしていたのだが、首相や財務大臣の態度(答弁の時の態度ではなく、相手の質問を聴く時の態度)は、せせら笑いを浮かべ「お前らの政権ではできなかったではないか」というおごり高ぶった態度が見え見えで、見苦しい光景としか映らなかった。

今週の日経の特集の一つは「再生米国を行く」というテーマであり、今朝の記事は「誰もいなくなった」というタイトルが付いている。自動車の街であるデトロイトのルポであるが、GMなどの企業は再生したものの、街は荒廃したままであると記されている。

企業再生によって370億ドルを超える手元資金を得たが、その資金は新興国に回り、市内の自動車関連就業者数はピークの1/10に減ったままだとしている。1/10というのは飛んでもない数字だが、これが改善されないのでは、デトロイト市が破たん寸前になり、州の管理下に置かれるというのは当然である。デトロイトが夕張と同じようだとは信じられない思いがする。

日本でも、円安と株高で大企業が潤っても、その果実を日本国内の投資に回るのかは疑問だ。企業経営者というのは国民に対して責任を追うのではなく、株主に対して責任を負うのが資本主義のルールである。先日、西武鉄道の筆頭株主が、球団の売却や不採算路線の廃止を求めているというニュースが飛び出したが、これも利益の最大化を求める“資本の論理”ということなのだろう。

物価だけが上がって、雇用・賃金に反映されないのでは、アベノミクスではなく、アベノ“ミス”ということになりかねない。実体経済にほとんど変化が見られないのに、株価が束の間上がっただけで、予算委員会の首相や財務大臣の見せる、傲慢な態度を見ていると危惧を感じてならない。

日経の同じ面に、コンビニ大手3社の決算発表の記事が大きく取り扱われている。掲載されているデータは今期実績と来期見通しで、営業総収入と営業利益が各々前期比の伸び率が付いたものである。過去最高益が続くということを示したいのだろうが、私がこの数字を見てすぐに暗算をしてしまった。

利益率が違うということが直観的に見て取れ、暗算ではセブンイレブンの営業利益率は30%なのに対して、ローソンとファミリーマートのそれは14%ほどである。利益率の高さは“企業力”そのものであると思う。セブンの凄さがよくわかるものだ。ローソンの社長が政府の経済再生の委員会のメンバーになっているのだが、セブンイレブンのトップをメンバーに入れるべきなのではないだろうか。
日銀の金融政策決定会合で、金融緩和のための施策が発表され、市場が素早く反応して一気に株高・円安となった。前日のニューヨークの株が大幅に下がっており、このところの傾向だと東京市場も連れて下がる場面だっただけに、なおさら株価の上昇ぶりが目立つものになったと思う。

昨日の政策発表で注目されたことは、麻生財務大臣のコメントにもあった「兵力の逐次投入」をせずに、一気に手の内のカードを全て切ってしまったということだろう。これまでの日銀の金融政策と言うと、兵力を小出しにし、反応を見極めながら進めるというものだった。金融政策には副作用を伴うだけに、少しずつ様子を見ながらというのが定石だったのだろう。

昨日の発表では、その常識を覆して兵力を一気に投入したものだから、市場にとっては(多くは外国の投資家だと思うが)意表を突かれた格好になり、株高・円安に進んだのだろう。

立ち上がりの第一の矢による奇襲作戦は大成功だったと思うが、肝心なのはこれからの政府の二の矢三の矢だと思う。これに適切な手を打てないと、株や土地などの資産インフレを招いただけの事になってしまうからだ。

経済学やマーケティングの学説というのは、全て右肩上がりの社会を前提にして成り立っているのだと思う。しかし、日本の状況は成熟期も通り越して、人口減少という衰退期に入っている。世界中のどこの国も経験したことのない事態であり、経済学者もマーケティング学者も解を持ち合わせていない事象である。

衰退期にあることから目をそらし、従来の延長上からの政策のテンコ盛りではデフレからの脱却はままならないと思う(円安効果により物価は上がるのだろうが、消費のボリュームは増えることはないと思う)。

国内市場が衰退していく中で、輸出を伸ばすというのが一つの手段である。しかし、グローバル化の進展の中で海外への工場進出が進み、自動車はそれでも輸出超過だがもう一つの稼ぎ頭だった電機業界はすでに輸入超過になってしまっており、海外の成長を直接的に取り組むことはできない状況になってしまっている。

国も産業構造を見ると、成長期に入る前の低成長段階では一次産業が中心になっている(日本も昭和20年代までは就業人口の半分は一次産業従事者であった)。成長段階では二次産業に比重が移り。高度経済成長時代や、昨今の中国の姿からもそれが見て取れる。成熟期になると、三次産業がボリュームを増やし、ここに適切な手立てを打つことができなかったのが「失われた20年」だったと思っている。

私は、観光産業というのは立派な輸出産業だと思っている。日本の需要が減退していく中で、海外から訪れて需要の足りない部分を補っていただけるという、貴重な産業ではないだろうか。

これから出されるであろう“成長戦略”において、観光産業をどのような位置づけにするかで、アベノミクスかアホノミクスの判断をしようと思う。
相次ぐ無効判決が出て注目される中で、衆議院の選挙区区割りの案が公表された。鳥取県の選挙区割りを見直してベースとなる“1.0”を確定させたうえで、多い所の選挙区をいじりまわし、最高裁の判断で示された2倍を超えないように線を引き直したらしい。

それでも、最大の東京16区と、鳥取2区の格差は1.998倍でわずかな余裕しかなく、東京16区で500人ちょっと増えるか、鳥取2区で300人近く人口が減ると最高裁の判断基準である2倍を超える事になる。率にすると0.1%の増減で起こるわけだが、実際には江戸川区の人口増と、鳥取の人口減が“合わせ技”で起こるわけだから、次の国勢調査で2倍を超えてしまうのはほぼ間違いないであろう。

昨日このブログで、秋田県の大学卒業生の72%が卒業後に他県での就職を選ぶということを書いたが、秋田県ほどではなくても人口の少ない地域では職を求めて県外流出するだろう。仮に流出率を50%だとすると、1年間の卒業世代の流出数は1500人になる(年齢別の人口はほぼ1%と推定される)。次の国調までの5年間では7500人減ということで、人口の多いベスト10選挙区では全て2倍を超えてしまうことになる。

次の衆議院選挙が任期満了選挙になると2016年になり、次の国勢調査は15年だからまたもや憲法違反状態で選挙を実施することになる。今の憲法違反状態を糊塗しただけで、すぐに元の状態に戻ってしまうような案は“改正”という名に値しないと思う。

根本原因は、最高裁が判断を示した2倍に焦点を合わせ、そこに無理やり押し込もうとする泥縄的対応に問題があると思う。2倍ならアウトで、1.998倍はセーフというのもおかしな論理であり、1.998倍も法の下の平等には大きく反するものなのだと思う。

最高裁が2倍はアウトという指針を出したのなら、新しい区割りでは余裕を見てせめて1.5倍程度にまでなるようにして区割りを見直すことが必要ではないだろうか。子どもの頃、いつもギリギリで宿題をこなす私の姿を見かねた、「よっちゃん、いつも“余裕”を持ってしなさい」という母親の言葉を想い出してしまった。

社会保障・人口問題研究所が地域別の将来人口の推計を発表した。これまでも将来人口の推計は発表されていたが、今回は“地域別”に発表された所がミソだと思う。国全体の将来人口推計だと何か他人事のように取られがちになるが、具体的な地名が入ると身近なものになり、「おらが町の行く末は」ということで身を乗り出した人が多いことだろう。

人口問題は、経済活動や社会制度の根本に影響を与える重要な問題にかかわらず、政治は正面から手をつけようとせず、唯一民主党政権が「子ども手当」を実現させたのだが、これもばらまき批判によって葬り去られてしまった。

人口問題は解決するためには、何10年という気の遠くなるような時間を要するため、目先の選挙には結びつかないということで、政治家は手をつけないということだろう。「国家百年の計」という言葉は、政治の世界では死語となっているように感じられる。

ましてや、現政権は「人口減少がデフレの要因ではない」という認識なのだから、このまま座して死を待つということになりそうだ。

国がこの問題に手をつけようとしないのだが、地方自治体では深刻な問題として対策を講じ始めている。今回の発表ではワースト1として名前の挙がった秋田県では、出産奨励金を出しているという。少しでも出生率をあげようとする涙ぐましい努力なのだが、秋田県の昨年の大学卒業生の72%は県外での就職を選んでいる。出生数が増えても、これではざるで水を掬うようなものでやり切れない思いがするだろう。

しかし、子どもの数を増やし続けることにより明るい光は見えてくると思う。大正9年に国勢調査は始まった。当時の人口5500万人のうち、2000万人は15歳以下の子どもであった。現在1億2千万の人口で子どもの数は1500万人ちょっとである。街角の光景は今とは全く違い、子どもの持つ独特の活力が街中にみなぎっていたと思う。

秋田の努力を政府が後押ししてほしいものだが、人口減少がデフレの要因とは考えてず、弱った体に金融緩和や公共投資というカンフル剤ばかり打ち続けようとしている政権に、それを期待するのは無理な話ということだろう。

政治家が国家百年を考えず、目先の対策ばかりに目を奪われるのは、30%の得票率で6割の議席を獲得できるという小選挙区制度に原因があるのではなかろうか。失われた30年がスタートしたころから、小選挙区制度が導入されたというのも、それを証明していると思うのだが。



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