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よんどころない事情で、しばらく更新を出来ずにいた。ブログの更新は、朝起きてからの生活のリズムの一部になっていただけに、リズムが乱れて少し体調がおかしくなってしまった。

ブランクが生じてちょうど一月になるのだが、その時は韓国の船の沈没事故を書くつもりでいた。造船や海運関係の仕事を何度か手掛けたことがあり、昨年は海難事故についてのインタビューをした折に、「タイタニック号」の沈没事故で、乗組員の生存者が皆無だった事を聞いたばかりで、いち早く船長が逃げ出し(しかも制服姿でなくパンツ一丁という海の男とは思えないスタイルで)たことへの憤りだった。

しかし、話がまとまらずに途中で断念してしまった。中途半端に放り投げてしまった後遺症が、一月のブランクになってしまった要因の一つだ。ブログを毎日継続するには、テンションを維持しなければならないということを改めて思わされた。

久しぶりにテンションが高まる出来事があった。昨日の「集団的自衛権の容認」について、首相が記者会見で発表した事だ。

会見の中でしきりに首相が強調していたのは、海外における邦人保護であった。国と国との戦争というのは、海外における権益保護がぶつかり合ってのものが多くを占めると思う。邦人保護という錦の御旗を立てることにより、いくらでも拡大解釈が可能なのではないだろうか。

限定的なもので、いくつも歯止めをかけるとしているが、安保法制懇が示した6つの行使条件は、いくらでも拡大解釈が可能なものである。例えば、国会の承認を得るという項目があるが、事後承認でも可能としており、何の歯止めにもならないことは明らかである。

私は、日本の戦争参加への歯止めをかけるなら、政治家の靖国神社への参拝を禁止する事だと思う。韓国や中国が批難するように、A級戦犯が合祀されているから参拝をやめるべきだと思うのではない。

「国のために亡くなった英霊に尊崇の念を捧げる」という言葉を政治家はよくいうが、過去の御魂だけでなく、“将来の御魂”への尊崇の念ではないかと思えてならない。

「靖国で合おう」という言葉は、死語になってほしいものだ。こんなことを書くと、またテンションが下がってしまうのだが…
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最近気になる言葉に、「リアルな判断」という表現がある。原発再稼働と、集団的自衛権を容認する立場の人々から漏れてくる言葉だ。

原発に関しては、3割の発電能力があったものを、いきなりゼロにするというのはいたるところにひずみが出てくるわけだから、わからないものではない。しかし、集団的自衛権のリアルな対応というのは、私にはよくわからない。

尖閣問題や、北のミサイル・核開発という安全保障環境の変化がその論拠になっているようだが、どちらも「個別自衛権」や、日米安保の範疇にあるもので、集団的自衛権がなければ対処できないものではないと思う。

「北朝鮮がアメリカに向かってミサイルを発射した時に、手をこまねいて見過ごしてよいのか」という例え話が出てくるが、ミサイルを撃ち落とすには発射直後か落下直前しかチャンスがないらしい。

発射直後にどこに向かって行くのかを判別し、迎撃ミサイルのスイッチを入れて撃ち落とすというのは不可能だろうし、アメリカ本土で日本のミサイルを使用するというのもそれこそ現実的な話ではないように思う。

結局、集団的自衛権を行使するというのは、湾岸戦争やイラク戦争での多国籍軍に参加するかどうかという事にしかならないと思う。戦争をする国になるという意志表明であり、そんな国になってほしくないというのが私の本音である(戦争をする国になることを前提に、靖国参拝をしているなら恐ろしい話だ)。

そもそも政治家というのは、「リアルな判断」というのを重視するべきかという疑問がある。政治というのは将来のビジョンを描き、それをどのように実現するのかというプロセスを作り上げていく事だと思っている。

プロセスの中で、一時的には現実的な対応が必要な時もあるだろうが、ビジョンが明示されていれば、一過性のものとして容認することはできると思う。

しかし、どのような国にしたいかというビジョンがなく、現実対応だけに終始するというのは政治の本道から外れるのではないだろうか。

夢のような事ばかり考えて、足下を見ようとしないのも問題なのだが。

ようやく暖かくなったが、今朝も少しエアコンのお世話になってしまった。節電に努めなければならないのだが。

原発再稼働の一番手は、鹿児島の川内原発になるという報道がなされている。原子力規制委員会の審査で、地震や津波対策が「問題なし」と認められたためだ。これでこの夏の再稼働に向けて準備が進められることになるのだろう。

しかし、私はどうも釈然としないものがある。先日の参議院予算委員会の集中審議で、野党の質問に対する政府の答弁で気になることが二つあったからだ。

一つ目は“世界一”ということへの疑問だ。安倍首相は答弁の枕詞として必ず「世界一厳しい規制基準」という言葉を唱えるのだが、本当にそうなのだろうかという疑問が沸いてくる。

広告の世界では、“一番”という言葉を使うには、厳格なルールがある。よく「顧客満足度ナンバー1」というキャッチコピーを見受けるのだが、文章の下やテロップで小さく○○社の調査によるという言葉が書き添えられている。「当社調査による」という文言の場合もあるが、これはいかがわしいと感じるのが自然だと思う。

原発の規制基準ならば、各国の規制を横並びにして、なるほど日本の規制が最も厳しいというのを見せるべきだと思うのだが、そんなものを目にしたことはない。さらに付け加えると、耐震基準や津波対策のハードルが高かったとしても、地震大国の日本としては当たり前のことである。安倍首相の唱える「世界一厳しい基準」というのは、「当社調べ」と同じレベルではないのだろうか。

二つ目は、避難対策である。予算委員会の答弁で田中委員長は、浜岡原発で30キロ圏の住民が全部避難するのに100時間かかるという質問に、「批難の問題は職掌外」という発言をしている。

開いた口がふさがらなくなってしまった。安全対策としてはハードだけでなく、ソフトの対策も必要なのに、ハード面だけで再稼働の是非を判断しようとしているのである。福島の事故の時、逃げ惑う人の行き先が定まらず、移動中や後遺症でなくなった方も大勢おり、避難計画の審査も反映すべきだと思う。

再稼働申請中の原発で、関連市町村は135あるそうだが、現在までに避難計画が策定されているのは48で、半数以下にとどまっている。さらに私が問題だと感じるのは、レベルと整合性の問題である。

計画は自治体ごとに策定されているようだが、明確な指針がなく“独自”のものになっている。市町村によってスタッフの人材規模に大きな差があり、レベルが相当違った計画でもそのまま放置されて計画として承認されているとのことである。

さらに、30キロの県内には複数の市町村があり、各々が独自の計画を立てているのでは大混乱が起きかねない。近い所から批難するのが鉄則だが、複数の市町村が同時に動き出せば、優先権のあるはずの近場の人たちが身動きとれなくなるのは必至だ。

広域連携の観点の計画があり、その大方針のもとに市町村の計画が策定されるべきなのだが、現実にはそうなってはいない。広域連携というのは県の役割だが、府県をまたがっているためその役割は期待できず、規制庁がその役割を担うのが自然な考え方だと思う。

ソフト面を軽視し、「世界一の厳しい基準」といういかがわしいハード面ばかり強調して再稼働するというのは、「安全神話」を継承しているとしか思えないのだが。

クリミア情勢の影響を受けて株価が大きな影響を受けている。ロシアが軍事介入を辞さずとの態度を示していることから、G7(本来はG8なのだが、1つが当事者なのだからG7になったということ)が批難する共同声明を出しており、日本もその一員である。独立国家への軍事介入は許されないという論理であるのだが、私には疑問がある。

そもそものきっかけは、2月22日の政変によって政権が転覆したことにある。3年前に中東で起こった「アラブの春」と同じ構図であり、選挙ではなく示威行動による政権奪取である。エジプトをはじめとして、その後の推移を見ると、“革命”はとん挫した形になっており、群集の示威行動による政権転換の行く末を示しているのではないだろうか。

民主主義を標榜するG7が、選挙によらない政権を支持するというのがよくわからない。日本もその片棒を担いでいいものなのだろうか疑問だ。

二つ目は、ヨーロッパの“手口”についての疑問である。先日読んだ「日本史の謎は地形で解ける」(竹村公太郎著 PHP新書)の中で、何度も出てくる言葉にヨーロッパ諸国が植民地を拡大する手口としての「分断統治」というものがある。

侵略を狙った国に対して、相手国内の勢力を分断して紛争を煽り、その機に乗じて植民地化するというものであった。日本の明治維新においては、薩長にイギリス、幕府にフランスが付き、「帝国」同士の競合が起こったため、日本の植民地化が免れたのだと思う。

ウクライナで起こっていることも、伝統的なヨーロッパの手口ではないかという気がする。EUの拡大を狙って、よその国に手を突っ込み、軍事行動を非難し、経済制裁をちらつかせるのは、軍事介入と五十歩百歩のような気がするのはうがちすぎだろうか。

三つ目は、クリミア半島の地政学的位置にある。ロシアは伝統的に南下政策をとっており、クリミア半島はロシアの軍事的プレゼンスにとって極めて重要な位置にあり、国防上失うことが許されないのだと思う。

例えは悪いが、沖縄が基地負担に耐えかねて独立宣言した場合、日本政府やアメリカも同じような行動をとるのではないだろうか。

「盗人にも三分の理」ということわざがあるが、ロシアにも三分の理があるように思う(五分とは言わないが)。経済制裁のような荒技を繰り出して、当事国そっちのけで大国同士の紛争がないことを望むばかりだ。

ナイチンゲールが再び活躍しなければよいのだが。

昨日から国会の代表質問が始まった。代表質問はあまり観ることはないのだが、昨日テレビをつけたら維新の代表質問が行われていた。その中で「IR法案の審議促進」という言葉が出てきた。

IRというと、企業の株主への情報開示の事だと思っていたので、今更法制化するというのはどういうことか訝しく思っていたが、そのうちカジノ設置の話も飛び出したのでわけがわからなくなってしまった。

調べてみると、IRとはInvestar Relationsだけでなく、Integrated Resort(統合型リゾート)というのもあり、昨日国会で取り上げられていたのは後者の方である。

昨日の日経の首都圏版に、「カジノ誘致へ人工浮嶋案」という見出しの記事があったことを想い出した。幕張新都心の1~2キロ沖合にメガフロートを設置し、カジノだけでなく、劇場やホテル、ショッピングセンターなどを設けるというもので、総事業費は6~7千億円で、整備主体は火事の運営企業などからなる企業連合で、3万人の雇用を生み出すという記事である。

カジノを合法化したい連中が、カジノ単独だと批判を浴びるので、統合型リゾートというお化粧をして、観光の目玉になるという大義名分を打ち出したものだと思う。

積極的なのは、施設を立てる建設業界や、機器販売・運営を担うパチンコ業界の連中なのだろう(それと“超党派”の国会議員も入るか)。私は、競馬は40年来の趣味だし、パチンコも暇な時には行く(地方出張した時に時間があると、スーパーとパチンコ屋は覗くことにしている)ので、賭けごとは嫌いではないのだが、観光の目玉としてのカジノには反対だ。

観光とは風物を観ることと、人とのふれあい(「おもてなし」を楽しむ)、食を楽しむことにあり、カジノは余計なものであると思うからだ。

7千億もかけて人工浮嶋を作ってもペィするというのは、よほど旨味のある事業なのだろう。いかがわしい事業計画だと言わざるを得ない。観光産業は今や数少ない輸出産業であるのだが、カジノに頼らない“地力勝負”で育成を図ってほしいものだ。

みんなの党の渡辺代表は、政府との政策協議で自民党を介さず、首相と1対1で競技をするという方針を打ち出した。党名を「私の党」に改称するつもりなのだろうか。これで、1993回目の投稿になる。





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