社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 最近憲法改正についての動きが少し鈍ってきたように思う。96条の改憲要綱から変更するという、裏口入学的な姑息な手段への批判が噴出し、憲法改正を党是とする自民党も作戦変更を余儀なくされたのだろう。 PR
明日が告示なのだが、街中を歩いていても選挙の熱気が全く感じられない。同じように街中の空気が冷めていた先日の都議会選挙は43%と極めて低いものだったが、今回の参議員選挙の投票率は過去最低の水準になりそうな気がする。
ということで、過去の参議員選挙の投票率について調べてみた。 http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_election-sangiin20100711j-04-w370 参議員選挙の投票率は50%台後半で推移することが大半であるが、一度だけ50%を割り込んで45%というこの間の都議会選挙並みの低い投票率を記録したことがある。グラフで見ると一ヶ所だけぽつんと離れている異常値だ。95年の事である。 どういう時代だったかすっかり忘れてしまっていたが、調べてみると村山内閣の時代である。細川連立政権が国民福祉税構想を突然持ち出したことを契機に瓦解し、羽田政権を経て社会党が離反して自民党が復活した政権である。 政権交代の期待を受けて誕生した内閣が、消費税を突然持ち出して瓦解したというのは、民主党政権の末路と瓜二つである。たなぼた式の自民党の復活も同様である(この間の衆議院選挙での自民党の圧勝は、票を大きく伸ばした結果ではなく、民主党が票を大きく減らしたためである)。 有権者の政治への期待が大きく膨らんだのが、裏切られた反動で一気にしぼんでしまった結果の低い投票率であり、今回も同じパターンを辿りそうだ。 今回の投票率は50%を切るのは間違いないと思う。過去最低を更新しそうな気配も感じている。支持基盤が弱い民主党は、軽いがゆえに風に乗りやすく大きく勢力を伸ばしてきたのだが、低い投票率という風をあてにできない選挙となると、もろさを露呈することになり、壊滅的な敗北になりそうだ。
参議員選挙の前哨戦である東京都議選挙は、自民・公明の全員当選という圧勝で終わった。共産党の議席倍増も併せて考えてみると、43%という低い投票率が招いた選挙結果だと思う。昨年末の総選挙と同じ現象で、自公には投票率の低さが味方になったものと思われる。
前回の衆議員選挙では、惨敗した前々回の時と自民党の比例代表の得票数はほぼ同じであった。にもかかわらず、小選挙区では公明党の後押しも効いて、300議席獲得の圧勝となった。今回の都議選でも、自民党の得票数はそう多くは伸びていないと思う。民主党の得票数が減りすぎたために、議席数で大逆転が起きたということだろう。 民主党に期待していた人たちが行き場を失い、他の政党に投票するのではなく、投票の棄権という行動になってしまったようだ。この分では次の参議員選挙でも、同じ現象が起こり、自民党の圧勝によるねじれ解消で、政権の“安定化”が図れるということになりそうだ。 しかし、よくよく考えてみると投票率が低いと政権が安定し、投票率が高くなると不安定化するというのはおかしな話だ。投票率が高いと多くの支持を得られることによって安定するはずなのだが、投票率が上がると自民党政権に対する批判票の方が増えるということになるからだ。 民主党は、かつての社会党のように溶けてなくなるのかもしれない。しかし、このまま消滅してしまうと、どの政党もみんなコンサバティブ政党になってしまうと思う。コンサバティブに対するリベラルという構図は政治の世界の緊張感を維持するためには必要な要件だと思っている。 民主党が再生するためには、リベラル政党ということの旗幟を鮮明にすることが必要なのではないだろうか。現状ではリベラル志向の有権者の投票先がなく、投票率の低下=コンサバティブの勝利ということになっているように思うからだ。
昨日は、中国人残留孤児やフィリピンの残留孤児への支援で活動されている弁護士にお話を伺う機会があった。興味深い話が色々聞くことができたが、特に印象に残ったのが「国家の役割」についてのものだった。
支援活動を始めるいきさつについては、「海外で苦しむ日本人がいるなら、国は無条件で手助けをするべきで、国民を守るというのが国家の役割だ」という話に続いて、「日本では国民を守るというよりも、“国体”を守るという意識の方が強すぎる。国がやらないので、民間人ではあるが海外の同胞支援を行うようになった」という意味のようなお話だった。 私が国体という言葉を知ったのは、若いころに観た「日本の一番長い日」という映画だった。第二次世界大戦のノルマンジー上陸作戦を描いた映画を、邦題では「史上最大の作戦」としたが、原題では「Longest Day」というものであり、これをもじったタイトルの映画である。 日本の一番長い日は、同じように第二次世界大戦を題材としており、日本の終戦を巡ってポツダム宣言を受諾して無条件降伏するかということのせめぎ合いを描いたもので、“玉音放送”を録音したレコードの奪い合いなどのエピソードが印象に残っている。 この映画の中で頻繁に飛び出した言葉が、“国体”という聞き慣れないものだった。最初は何を意味するのかよくわからなかったのだが、国体という言葉の後に“守る”という言葉が付いて回り、観ているうちにどうやら「国の形」を示すという言葉であるように理解をするようになった。 「天皇を中心とした国の形」が維持できるかどうかが、ポツダム宣言を受け容れ降伏するかどうかの条件であり、国民の被害の拡大を防ぐということよりも優先されるという考え方だった。 私の大嫌いな言葉に、“国益”というものがある。国益というのは、「国民の利益」ではなく、「国家の利益」であるためだ。TPP交渉や、原発の再稼働でも国益という言葉がチラチラ目につくのだが、そこでも国民の利益というニュアンスが乏しい中で、国益論議がなされているように思う。 終戦から60年以上経過しているのに、いまだに政治家は“国体を守る”という意識が強いのだろう。国民の利益が国益であるということを政治家に認識させるには、憲法にはっきり明記することが必要かもしれない。自民党の憲法改正草案では、“公益”という言葉が登場し、私権の制限を考えているようだが、飛んでもない話だ。 国体という言葉は死語にならなければならないと思うのだが…
「所得倍増計画」という言葉を聞いたのは池田内閣の時だったから、中学生の時だった。高度経済成長の時代に突入したころで、世の中は活気にあふれ、社会科の授業の中で教師が「君たちが社会人になったころには、世の中は今とは全然違うものになっているはずだ」という言葉を聞き、子ども心に、未来は明るいという希望を持ったこともを今でも覚えている。
50年前の所得倍増計画が突然甦った。前回は7年間で倍増するというものだったが、今回は農家限定で、しかも10年とややレンジが長くなっている。何とも摩訶不思議な政策目標だ。 農家の所得を増やすには、売り上げを増やすかコストダウンを徹底するほかはない。大企業の多い製造業ではコストダウンは比較的やりやすいが、規模が小さく労働集約的な日本の農業スタイルでは、コストダウンで取り分を増やすというのは簡単ではない。 売り上げを増やすにも、人口が減り、高齢化が進んでいるのだがら食べる量も減るばかりで、売り上げが増えるには値上げしかないだろう。物価をあげるのが目標という頓珍漢な政策をとっている政府だが、10年で2倍を実現するためには年率7%の値上がりとなり、消費者は到底受け入れないだろう。 こうなると、外国への輸出を増やすということになるのだが、日本の農産物は高関税に守られて高値を維持している状況にあり、いくら円安でも価格競争力に乏しく、輸出の倍増というのは難しそうである。 TPP交渉においても“聖域”において、関税は維持するというのだから、どうやって農家の所得を倍増させるのか道筋はよく見えない。 「世界に勝つ」とか「農家の所得倍増」とかキャッチフレーズばかり並んでいる気がする。甘い言葉ばかり並んでいるのはテレビの通販番組を観ているような感じで、これで成長戦略と言えるのだろうか。突っ込みどころ満載の政策しか打ち出せないこんな政権に、高い支持率を許している野党も情けないのだが… |
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