社長のブログです
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私は「国益」という言葉が大嫌いだ。北朝鮮のミサイル発射の問題や、土曜から始まったNHKスペシャルの新シリーズを見ながら、余計その感を強くした。
アラカン世代は、学生時代は全共闘世代であり、時代の雰囲気として「反体制」に染まっており、体制を象徴するような「国益」という言葉にアレルギーがあるのかもしれない。 私が国益という言葉が嫌いな理由を考えてみると、3つある。一つは、上に述べた世代からくる嫌悪感である。二つ目は、国益=国民の利益ではないということである。国益とは国家という体制の利益であって、体制を維持・強化するものであり、国民一人一人にとってはむしろ損失を被ることの方が多いのではないだろうか。 NHKスペシャルで繰り広げられていたように、戦争の歴史は「国益」のぶつかり合いでしかない。国家体制を維持するために、国民が犠牲になってきたのである。 三つ目の理由は、国益というのは「私がよければ」というエゴの塊の言葉であることだ。先日、NHKの夕方のラジオのニュース番組で、同志社大学の浜教授がG20の会議に必要なことは「あなたがよければ」という態度であると指摘していた。 同感である。グローバル化した世界において、国際協調の立場で行動するには「あなたがよければ」という態度なくしてはありえないと思う。めちゃくちゃな国家体制をとっている、北朝鮮相手にはあてはまらないかもしれないが… 国益という言葉を頻発した政治家の代表は、小泉元首相だと思う。対米追随的外交姿勢を質された時に、よく国益という言葉を用いていた。国益という言葉を護符のように使い、何でも許されるという態度である。 国益という言葉はいかがわしい言葉ではないだろうか。政治家が用いる時には、特に注意しなければならない。 私は、国家という概念のもう一つ上に、「公」というものがあると考えている。国家というのは、そのときの都合により作られているものであり、「公」というのはもっと普遍的なものだと思うからだ。 「公益」という言葉が好きにならなければいけないのだが、「公益法人」という「我々がよければ」しか考えていないろくでもない組織が存在するので、公益という言葉も簡単に使えないのが残念なことだ。 PR
国益という言葉
20代の大学院生です。コメントさせていただきます。
私も最近になって国益という言葉が耳に障っていました。小泉元首相や麻生首相の口から良く聞きますし、外交や安全保障の分野でマスメディアも良く使用していると思います。 ①国益というものが、私達国民一人一人の利益とは限らないこと ②利己的な意味合いで使われること (国益の枕詞は「守る・保護する」だと思います) という理由で私も嫌悪感を持っているようです。 先日、NHKのETV特集で哲学者の鶴見俊介さんの特集がありました。 その番組で鶴見さんが、 「国家の記憶ではなく、人民の記憶を知るということが歴史学の課題なんだ」とおっしゃていました。 私達が優先すべきは国家ではなくて国民であることは間違いないはずです。 更に人民という言葉になったときには、国民の利己主義から脱却しているような気がします。 字面の上ではです。。 日本人というのが格差で分断されている現在、 国民も人民も上っ面の概念にしか思えないと感じています。 先日も北朝鮮に対する議長声明関連のニュースでで、日本の外務省副大臣が 「国益を守るため全力を尽くした」と言っていました。 嫌悪感を感じるのですが、反論する言葉が見つかりません。 長々と失礼しました。
国益は「守る」とセットの言葉ですね
おっしゃるように、国益という言葉には必ず、「守る」という言葉がセットになりますね。
国益とは体制を維持するためのものであり、全共闘世代で「反体制・反権力」のDNAを刷り込まれた私の世代には、生理的に嫌悪感を感じる言葉なのでしょう。 コメントありがとうございました。 |
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