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日本がアウェーでベルギーに逆転勝利するとは思わなかった。10月の欧州遠征では、W杯予選で敗退した2チームに無得点で連敗したのに対し、今回はブラジル大会でシード入りするベルギーと、明日の大陸間プレーオフの結果次第でシード入りするオランダ相手に、1勝1分は悪くない結果だ。

日経新聞のサッカー特集(月に1度程度ある)でコラムを連載している元日本代表キャプテンの宮本が、先日のコラムで今回の遠征で「原点となるような試合を」というような意味のコメントを掲載していた。

チーム状態が悪くなった時に、過去の「よかった試合」のことを想い出し、それを原点にすることによってチームを立て直すというような意味だったと思う。この2試合では、少なくとも攻撃の面では原点のような試合になったと思う。

よかったことの原点もあるが、悪かったことの原点もあるのではないだろうか。

この国会の最大のテーマは、特定秘密保護法案にある。憲法は権力の行動を縛るものであるが、一般の法律も基本的には権力の行動に対するブレーキの役割を果たすものであると思う。ところが、秘密保護法案は恣意的な指定の面が多く、権力の隠れ蓑のような真逆の法律だと思う。


恣意的な法律の解釈拡大によって権力の横行を許したものとして想起するのは、戦前の治安維持法である。大正時代に制定された(と思う)この法律によって、体制に反対する者の行動を制約し、戦争に突き進むことになった最大の悪法とさえ思うほどだ。

宮本はよかったことを想い出すための原点となる試合について語っていたが、悪かった事の原点となる法律もあるということを知っておく必要があるのではないだろうか。

橋下市長の昨日の談話で、「情報と言うの基本的にオープンにするもの」という言葉があったが、私もその通りだと思う。情報と言う言葉の後ろに、隠すという言葉は似つかわしくないと思うのだが…

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中心気圧895mbという猛烈な台風がフィリピン中部を襲ったのは先週の金曜日だった。9月にフィリピンを訪れたばかりで、レイテ島やサマール島に住んでいる人はいなかったが、台風が通過したセブやイロイロ、ミンダナオ島東部の人たちにはインタビューをしたこともあり、安否が気になっていた。

ようやくニュース映像が流れだしたのが日曜日あたりからで、月曜日のBSの海外の放送局のニュースは、台風関連のニュースで埋め尽くされるようになった。気になっていた現地でインタビューをした人の内一人から昨夜無事を伝えるメールが届いて一安心した。

被害の全貌はまだわからないが、ニュース映像を見る限りでは、台風の被害と言うよりも、2年前の東北の津波の光景のように見える。

高潮の被害が凄まじかったようだ。高潮の被害と言うと、伊勢湾台風の事を想い出す。伊勢湾台風では5000人以上の人が亡くなり、戦後の台風被害としては最悪のものとなったが、ほとんどは高潮による被害であった。

伊勢湾台風は上陸時の気圧が930mbで最も低い観測記録になっている。強力なポンプで海水を吸い上げたようなもので、大きな被害となったのだが、今回は895mbだったからポンプの威力は倍増したのだと思う。

私が今住んでいる所から、直線距離で200mほどの所を江戸川が流れている。川沿いの道は散歩コースになるものだが、江戸川には高さ10mほどの堤防に覆われており、無粋なこと極まりなく、散歩する楽しみは半減で、私の散歩コースから外れてしまった。

伊勢湾台風の被害を受けて各地の堤防のかさ上げが行われたが、江戸川の堤防もその一環で整備し直されたのだろう。伊勢湾台風の規模の高潮には耐えられる堤防の高さだと思うのだが、今回のフィリピンに被害をもたらした台風の高潮には耐えられるのだろうか?

災害から身を守るには、災害についての知識=リテラシーが重要だと思うが、台風は強風、大雨だけでなく、高潮というのもしっかりインプットしなければならない。今回のフィリピンでは、強風への恐怖からか地下室に逃げ込んで亡くなった人もいるそうだ。

今シーズン初めて風邪をひいてしまった。若いころは10年に1度あるかないかのペースだったのだが、年齢を重ねるとともに頻度が高くなり、今ではシーズンごとに風邪をひいているような気がする。今は季節の行事なのだが、そのうち月例行事になるのだろうか。

成長戦略の目玉の一つとされている薬のネット販売について、いくつかの品目が除外されたことに対し、楽天の三木谷社長が不満を漏らし、政府の委員を辞任する意向をほのめかしている。100%でないことがお気に召さなかったようだ。

私が疑問に思うのは、薬の通販がなぜ成長戦略になるのかということだ。街の薬局から、ネット販売業者に売り上げが移るだけで、市場が成長するとは思えないし、薬局を生業とする人の淘汰を進めるだけではないだろうか。

そもそも、「成長戦略」という言葉が私にはピンとこない。少子高齢化を迎え、人口減少が既定路線となった社会において、採るべき政策は「成熟戦略」だと思う。

デフレからの脱却が政権の至上命題としているのだが、デフレの要因は少子高齢化にあり成熟社会においては避けて通れないものだと思う。例えば、減反政策の見直しについても論議を呼んでいるが、米の生産量はピーク時の半分になっている。食生活の変化もあるのだろうが、歳をとってご飯をあまり食べられなくなったことが最大の理由だと思う。

お米に限らず、色んなもので食が細っているため、需要が減っているのだと思う。こんな社会なのに、「成長戦略」を唱えて無理やり食べさそうとしても、お腹を壊すだけではないだろうか。

成熟社会においては、出来るだけ長く働き続けることができるか、ということが重要だと思う。70歳80歳になっても、少しの所得でもいいから現役で居続けていれば、年金の負担を少なくすることができる。生業を成り立たなくすれば、社会保障の負担が増えるだけだと思う。

私は、魚とお酒はスーパーを利用しない。店の親父と話をしながら、お薦めの魚やお酒を選ぶのが楽しみになっている。コンビニやスーパーは店員と話をすることがほとんどなく、自販機で購入しているのと大差はない感じである。

地域コミュニティの崩壊は、店との会話がなくなったことから始まったのではないだろうか。薬局をなくすような政策には断固反対だ。


9月にフィリピンに出かけた時に、日本レストラン(と言ってもラーメン屋だが)の店頭に掲示されてあるメニューに、「汚染卵」という恐ろしげなものがあった。ローマ字のNが抜けていたためで、温泉卵も一時違いで飛んでもない名前に替わることに気がつき、思わず大笑いしてしまった。

笑いごとで済まされないのが、中国の大気汚染だ。北京では紫禁城が靄にかすんで水墨画のような風情であるが、測定不能とされたハルピンでは、一寸先も見えない状況でとても風景を楽しめるようなものにはなっていない。

今日のニュースでは、ハルピンと同じ吉林省の長春でも外出禁止令が出されるほど、汚染が広まっているとのことである。長春に出かけた時に自転車の姿が少ないことに気がつき、地元の人に尋ねると、秋から冬にかけては風が強く自転車では耐えられないとのことであった。名物の風によって隠されていたものが、風が止むと現れるということなのだろうか。

イギリスのBBCでもこの問題を大きく取り上げていたが、スモッグという言葉の発祥の地は50年前のイギリスであり、多くの人がなくなったとされている。日本でも昭和30年代から40年代にかけては、ひどい状況だったのでよその国の事についてとやかく言う資格はないのかもしれない。

ましてや日本には、「汚染水」の問題がある。久しぶりに開かれている国会審議でも、野党は懸命に追及している。聞いていると争点は、「アンダーコントロール」という言葉の定義であるようだ。

管理下にあるというのは、制御された状況にあるというのが私の解釈なのだが、政府の定義では指揮命令系統のもとにあり、見守ることができる状況を指すようであり、認識の違いがあるようだ。

双子の台風が週末にやってきそうであり、どれだけ汚染水が漏れ出すのだろうか。この状況が改善されて、しっかりとしたアンダーコントロールになるまで、中国の大気汚染を批難することはできないのではないだろうか。

台風は上陸すると、海からのエネルギー補給が出来なくなるためか、急激に衰えるものだが、昨日の台風は上陸することなく海上を進んだため午後まで強風が吹き荒れた。駅まで行くにはバイパスを渡る必要があるが、バイパスを吹き抜ける風が強く(ビル風のバイパス版だ)難渋するので、予定をキャンセルして終日巣籠りになってしまった。

今回の台風では、伊豆大島で大きな被害が出た。不幸だったのは、深夜に豪雨が襲った事で、避難もままならなかった事だ。行政が避難勧告を出さなかった事が問題視されているが、深夜に大雨の中で避難することは、数年前の兵庫県での災害のように避難中に川に流されるような事故にも会いかねないので、大島町を非難することはできないだろう。

台風の災害と言うと、○○川の氾濫によるものが当たり前で、「狩野川台風」などと呼ばれるようなものもあったように記憶している。しかし、今回は沢の氾濫である。沢というのは、ふだんは水がチョロチョロ流れるだけで、川とは認定されないものであるため、危ないという認識はなかったのだろう。そこを「これまでに経験したことのない大雨」が襲ったため、大きな被害になってしまったようだ。

災害が起こった時に、ダメージを少なくするにはリテラシーが重要だと思う。特に自然災害については、正しい知識をもとに、どのような行動を起こすべきかの判断が必要であるため、身を守るためのリテラシーを一人一人が身につける事に尽きると思う。

そこで気になるのは、最近の台風には名前がないことである。アメリカではハリケーンには名前が付けられている。日本でも、戦後一時期はアメリカにならって女性の名前がついていたが、ある時期から日本語名がつくようになり、「第二室戸台風」や「伊勢湾台風」などの名前がすぐに思い起こされる。

どんな台風で、どんな被害があったのかも名前と同時に想い出すものであり、それが台風についての知識の原点になっている。

それが最近では、「○○年の○○号台風」という表現しかしないため、どんなものであったのかはすぐには想い出すことができない。その結果が、一人一人のリテラシー形成を阻害しているように思う。アメリカのように全ての台風に名前をつけるのは煩わしいが、大きな被害のあった台風には名前を付けて、人々の記憶に残りやすいようにするべきではないだろうか。

それにしても、ハリケーンにはすべて女性に名前がついているのだが、男の名前よりも恐ろしさのイメージがはっきりするためだろうか。


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