社長のブログです
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 佐伯泰英の時代小説に嵌っている。最初は祥伝社文庫から出されている密命シリーズから読み始めた。現在18巻まで刊行されており、別冊として「密命読本」なるものまで出されているほどのベストセラーだ。書店で2巻目まで買い求めることができたのだが、近所の書店(3店ある)には第3巻が置いていない。 1巻は400ページほどで、5~6話で構成されており、各々が完結しているのだが、全体としては続き物であるため、途中を飛ばさずに読み進めたい。そこで、同じ佐伯泰英の時代小説を交代に読もうということで、双葉者文庫から出ている「居眠り磐音」シリーズにもチャレンジしてみることにした。昨年NHKの木曜時代劇で何度か放映されたものを見たことがある。 これも中々面白く、近所の書店では3巻まで手に入ったので読み始めた。いずれも江戸の街を描いたもので、密命は浜町、磐音は深川がメイン舞台として登場し、密命は18世紀前半、磐音は18世紀の終わりが時代設定となっている。作者はどうも江戸の古地図を手元において書いているのではないかと思うほど、道筋の描写が細かいのが共通している。 作者は文庫本への書き下ろしを得意にしており、この2つのシリーズ以外にも古着屋シリーズなどいくつかの時代小説のシリーズものを書いており、この10年で100冊も書いているようだ。商売とはいえ、凄いエネルギーである。色々手を出してみたいところだが、頭がこんがらがりそうであり、取りあえずはこの2つのシリーズに限定して読み進めようと思う。 最近図書館で本を借りる方が多いのだが、佐伯泰英のシリーズは図書館で借りて読むのには適さない。一つは文庫本であり、図書館には文庫本の蔵書が少ないこと。もう一つは、シリーズものは順番に借りるのが厄介なことである。 ブックオフなど中古で求めるのも一つの方法だが、探すのが大変である。そこで文庫で新刊を買い、読み終わったら処分していくらか回収するという方法が最も良い方法のように思う。特にシリーズものをセットで持ち込めば、売却単価はアップするようである。 各々のシリーズが18冊ずつあるので、残りは30冊である。週に2冊程度のピッチで読めそうなので、9月には読み終えるだろう。今のところその懸念はないのだが、同じような話が続くと飽きが来ないかだけが心配である。 PR
4連休の初日であるが、空模様は今ひとつである。どこにも出かけず、自宅で読書三昧をして過ごす予定だ。読むのは佐伯泰英の「密命」シリーズである。祥伝社文庫で17巻まであるシリーズものである。
時代小説のシリーズものというと池波正太郎の鬼平犯科帳がすぐに浮かぶ。鬼平は全部読破している。鬼平の魅力は、江戸の情景が細やかに描かれていることにある。特に、江戸の食べ物に、興味をそそられたものである。 佐伯泰英の密命は、昨夜から第1巻をスタートさせたのだが、読み始めた感想としては、鬼平に匹敵する面白さである。主人公が浪人となって浜町の裏店に居を構え、あちこちに移動するのだが、道筋の描写が細かい。鬼平の食べ物の描写に匹敵すると思う。 人形町で10数年働いていたこともあり、多少の土地勘があることもあって、道筋を辿るだけで楽しく読み進めることができる。江戸の古地図を手元において、読み進めるともっと楽しいと思う。 以前江戸の地図を3枚買い求めたことがある。1枚2000円で結構な出費になった。江戸時代の初期、中期、後期の3種類になるのだが、時代を比較しながら見るのも楽しいものである。例えば、新大橋というのは江戸中期の地図に登場する。随分旧い“新大橋”であるのがおかしかった。 この地図が事務所を引っ越した時に、どこかに突っ込んで行方不明になってしまった。今日は地図探しをしなくてはならない。 小学校3年生の時に、腎臓を患って3学期を丸々休学したことがある。食事療法と安静が治療法で、3ヶ月寝床に着いたままだった。仕方なく、本を読んで過ごさざるを得ず、読書好きが身に付いたというのが今から思うとメリットであった。
今朝6時の気温は3度である。寝る前の昨夜11時で気温が9度あったから、一晩で6度も下がったことになるが、寒さは感じない。天気予報では、今日も一段と暖かくなるようで、春が一歩一歩近づいてきたようだ。
「漢字と日本人」(高島俊男著 文春新書)という本を読んだ。元々は日本における漢字の問題を、日本に関心のある外国人向けに書かれたものに手を加え、改めて日本人向けに、日本語と漢字の問題について書かれた本である。 言葉について興味があったので、出張のおりに買い求め、2週間ほどかけてようやく読み終えることができた。普通新書は2~3日で読んでしまい、それをすぎると途中で放り投げてしまうのが私のよくあるパターンなのだが、途中で間が開きながら何とか読み終えることができた。 言葉の問題を取り上げているが、日本人論にもつながる内容であり、考えさせられることが多い本であった。 例えば、日本人は言語に関して非常に不器用な人種であるということだ。もともとの日本語には、撥音(ん)や促音(っ)がなかったようで、漢語が入ってきたときに、何とか苦労して発音できるようになったそうだ。しかし、むりやり発音できるようになったため、言葉として間延びしているという。 例えばCatは英語では1音節であるが、日本語で発音すると「キャット」と3音節になるという。Springなどは「スプリング」と5音節にもなってしまう。 それで合点がいったのは、英文の電話調査票を翻訳して日本で実施すると、アメリカでは5分で済むものが、日本では10分と倍かかるということである。20年ほど前に、まだ電話料金が随分高かった頃に、見積もり交渉で難渋したのだが、音節が多いせいで間延びしているということを説明できれば、随分交渉ははかどったと思う。 日本語を表現するために、むりやり漢字をあてはめたことにより、様々な問題が生じてきており、それを解消するために「国語改革」の試みが明治以降行われ、第二次大戦での敗戦によって一気に進んだが、そのことによる弊害も論じられている。 奥付を見ると7年前の刊行だが、言葉を商売とする人にとっては、読んでおくべき本である。
11日にこのブログで紹介した、「行動経済学」(光文社新書 友野典男著)を読んでいる。新書とはいえ390ページもあり、内容的に読み飛ばすこともできないので、読み終えるのに思ったよりも時間がかかった。本当は日曜にゆっくり書くつもりだったのだが、間に合わなかった。
行動経済学というのは、伝統的な経済学で前提としている消費者の“合理的”行動にメスをあて、実際の人の行動は合理性ではなく、直感や感情といった“気分”で左右されることが大きいということに着目した人間行動の特質をついた学問である。 経済学というよりも、認知心理学という心理学の分野に近いもののように思われる。 行動経済学の特徴は、人の意思決定(主として選択であるが)を取り扱い、その行動の非合理性(バイヤス)がどのような要因で発生するのかを解明している点にあると思う。人の選択(選好)を取り扱うため、マーケティングとの接点は多くなる。 行動経済学で取り上げている非合理性の根拠となっている行動は、「損失回避性」「ヒューリスティクス」「プロスペクト理論」など様々な表現がされているが、その根本は人の行動は保守的であり、現状を優先させる点にあると思う。 「損失回避性」で論じられている、1000円の利得よりも1000円の損失が2~2.5倍多く感じられるという実験結果は、その際たるものであろう。魅力度が大きくないと、人は中々現状を変えたがらないものだ。バブル崩壊以前の高度成長期に比べて物が売れなくなったのも、購買を促すような魅力的な商品が少なくなってしまったせいだと思う。 行動経済学から学べることをあげるときりがないが、年内に何回かこのブログで続きを取り上げることにする。 今日から日経で「メディアとスポーツ」についての連載が始まった。今日は日ごろ苦々しく思っていたバレーボール(私はスポーツ観戦が大好きだが、バレーボールだけは絶対に見ない)が取り上げられており、今後どのように展開されていくのか楽しみだ。 |
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