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今日から5連休がはじまる。割引制度のせいか昨夜から各地の高速道路は大渋滞である。割引制度は、入った時か出た時かのいずれかが休日に絡めば適用されるため、有効利用を考える人の出足が早かったのだろう。

私がGWに遠出したのは1回だけである。千葉市の保養施設が群馬県の猿ヶ京にあり、運良く?抽選でGWにとれたので車で出かけることにした。両親も存命中だったので、7人乗りでのドライブだった。今から20年前のことである。

早朝に千葉を出発し、順調に関越自動車道まで辿り着いたのだが、練馬のインター入り口で最初の渋滞につかまってしまった。渋滞で困るのはトイレであり、特に年寄りや小さい子供と同乗した時は配慮が必要である。

PAでと思っていたのだが、高速の入り口ですでにピンチになっており、仕方なく広いスペースで用を足させることにした。大勢の人が私と同じような行動をしていたのだが、なんと隣で子供の用を足そうとしていた人が、クライアントの一人であった。お互い罰の悪い思いをしながら会釈をしたのを思い出す。

練馬から水上までほとんど渋滞の切れ目がなく、夜の8時ごろ13時間かけてようやく施設に到着した。それ以来GWに車で遠出することはなくなった。

「渋滞学」という学問分野がある。渋滞のメカニズムを解明して道路や施設設計に応用するためだ。これをわかりやすく解説したのが「クルマの渋滞 アリの行列」(西成活裕著 技術評論社)である。

例えば、タイトルの一つであるアリの行列(渋滞)が何故起きるかということから、ラッシュアワーにおける電車の運行方法について語っている。ダンゴ運転を避けるための考察で、なるほどと思わせる指摘である。

この本の中で特に目を惹いたのが、“創発”という言葉である。この言葉は、社会心理学で生まれ、複雑系科学でよく用いられる言葉であるらしく、「個々が協調しあうと、全体に新しい高度な機能が生まれる」という意味だ。

トップダウン型でなく、ボトムアップ型のシステムであり、成熟化した社会での行動規範として面白い言葉だと思う。そのためには、全体を構成する個々の部門への啓蒙活動がキーになるのだろうと推測される。

昨日のこのブログで少し触れた舛添大臣の横浜市に対する避難は、疑いの発生が速報として流れたため、横浜市への電話が殺到し(渋滞が起こった)、厚労省との連絡が取れなくなったためである。

お互いが功を焦った結果、創発の逆をやってしまったと思う。先の北朝鮮のミサイル発射の誤報問題といい、「迫り来る危機」に対処する際に、水鳥の羽音に驚く平家のような行動が多いのは気になることだ。

アリの行列から山手線の運転システムが考えられるように、創発という社会心理学の言葉から、他の分野にも応用が利くのではないかと思う。少し考えて見たい。

悲惨なGWになってしまい、500円玉1個で5連休をしのがなければならない。ものは考えようで、散歩と読書で有意義な5日間とするか。

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昨日は朝出かける時は、雨模様で傘が必要だった。天気予報どおり、午前中には雨が止み、午後からは晴れ間が覗いていた。典型的な置き忘れパターンの日和で、案の定最後に傘とサヨナラをしてしまった。

どこに置き忘れたかは、はっきりしている。Sさんに訊いてみなくては。

久し振りに本を読んだ。週に1冊は本を読んでいたのだが、このところ本を読む気力もなくしていたのだが、昨日はあちこち出かけ、移動時間や待ち時間で一挙に1冊本を読むことができた。

高橋陽一という「埋蔵金」を発掘した人の書いた「お国の経済」(文春新書)という本である。

著者は元財務省官僚で、小泉政権時代に内閣参事官として竹中大臣の片腕として活躍し、特別会計の留保金いわゆる「埋蔵金」を見つけ出した人物であり、現職は東洋大学の教授である。

この本のスタンスは、最近の現実に起こっている事象(ガソリン税や日銀の同意人事、公務員制度改革など)を取り上げ、それを経済学の視点でどう考えるかを、“やさしく”語るということにある。

例えば、日銀の独立性という問題について、マスコミも含めて我々が勘違いをしている事を教えてくれている。

独立性には2つあり、物価上昇(日銀の目標は物価だけ)をいくらに設定するかということと、そのためにどのようなことをするかという手段の独立性の2面がある。

目標は政治の役割で、手段の自由が日銀の役割ということになり、やり方にあれこれ口を挟まないことが日銀の独立性を担保することになるのである。どうも目標の独立性までも含んでいたような気がする。

我々の仕事で、「まかせる」という事が日常的であるが、これにも応用できるのではないだろうか。まかせるというのは、目標を与えて手段は自由にさせるということなのだ。このようにしていたのだろうか、反省。

今日はいい天気なので、上野あたりまででかけてみることにする。
8年前に沖縄に仕事に出かけたことがある。沖縄サミットが行われた直後であり、2000年のことである。4~5回往復しマイルもかなり貯まった。

首里城近くのホテルが定宿となったので、2回目の訪問の時に午前中時間が空いたので首里城を訪れた。首里城で驚いたことはいくつもあった。

2000円札にも描かれた守礼の門が小さいこと、中国と薩摩の施設を受け入れる場所が宮殿の左右にあり、中国側は豪華絢爛(サミットの際には首相の晩餐会が開かれた)、薩摩の側は質素なものであり、琉球王朝の中国と薩摩についての扱いの差が歴然としていることなどである。

中でも最大の驚きは、沖縄の歴史である。沖縄の歴史年表を掲示したものがあったのだが、そこでは14世紀の三山時代以降の事しか書かれておらず、それ以前は石器時代としか書かれていなかったのである。

鎌倉幕府は1185年に守護・地頭の制度が設けられてスタートし、1333年に滅亡している。その間に蒙古との戦いを2度経験している。そのような時代まで、沖縄では石器時代だったのである。

那覇市内の本屋で沖縄の歴史について書いてある本をいくつか立ち読みしたのだが、いずれも三山時代からの記述になっており、それ以前の記述はなかったのである。

その謎がようやく解けた。「司馬遼太郎が考えたこと」と題する本が新潮文庫から出ている。随筆や講演したものを寄せ集めたもので、15巻ある。その9巻に「砂鉄がつくった歴史の性格」という文章(多分講演を書き起こしたものだと思う)があり、そこには沖縄には鉄器の文化がなかったというくだりがあるのである。

鉄は武器として活用されたイメージが強いのだが、それ以上に農機具としての役割が大きい。大規模な灌漑工事は鉄器の存在が不可欠であり、沖縄に稲作文化が育たなかったのは、鉄がなかったことも大きな理由である。

石器時代は農業の生産性が低く、余剰が生まれるのも少ないため、集団も小規模である。鉄器の時代になると生産性が飛躍的に向上し、より大量生産を求めて領土拡張にいそしむようになり、戦争も起こるようになる。

沖縄人のおだやかな、のんびりした気性は700年前まで石器時代が続いたことも影響しているのかもしれない。

インターネットは鉄器に匹敵するような、大きな環境変化をもたらすものかもしれない。気性がどう変わったのか改めて整理しておく必要があると思う。
暑さで眼が覚めてしまった。アメダスによると4時の気温が28度、朝刊を取りに外に出ると風もほとんどない。昨日は出かけることがなく、ずっと自宅に居たのだがたまらずエアコンを点けてしまった。

やせ我慢の限界であるのだが、千葉の最高気温は35.3度で今年一番だったのだから仕方がない。今日は昨日よりもさらに暑くなりそうだが、外出するのでエアコンのスイッチを入れなくても済むような気がする。

佐伯泰英の「居眠り磐音江戸双紙」(双葉文庫)は、現在まで26巻刊行されているが、5月から読み始めてようやく読み終えた。7月に入ってピッチがあがり1ヶ月に15冊は読んだと思う。

出かけることが多く、行き帰りの電車で読むことが多かったせいではかどった。舞台設定が江戸の市井であり、会話のテンポがよいのが、一気に読みきった理由だと思う(途中で主人公が博多の街に滞在して活躍する場面があるのだが、博多弁のテンポはなじみにくかった)。

池波正太郎の鬼平や、藤澤周平の用心棒日月抄の人情の機微に、眠り狂四郎の凄腕が加わったような小説である。本の帯に740万部突破と書かれているが、マイナーな出版社のシリーズにもかかわらず、書店での取り扱いをみると間違いなくベストセラーである。

書店で巻を間違えないように選んでいると、同好の氏に声をかけられたことがある。私と同年輩の男性であり、このシリーズの読者層は間違いなく団塊の世代の男ではないかと思う。主人公とそれを取り巻く人々の人間関係や、主人公の颯爽とした活躍が団塊男の琴線に触れたのだろう。

テンポの良さ以外に読みやすかった理由の一つは、活字の大きさにあると思う。通常の文庫本の活字よりも一回り大きく、中高年にとって嬉しい活字の大きさである。一昨年から昨年にかけてほぼ1年で司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズ43冊を一挙に読み進めることができたのも、大判の活字のお陰である。

読みやすさがいかに大事かを感じさせられる。

作者は2000年代に入ってから、時代小説のシリーズものを書き始め、8年間で文庫書下ろしを100冊以上書いている。読んでいて感じられるのだが、登場人物に“生活”させており、生活を通じてストーリーが展開させられているので、多作が可能なのだろう。

磐音のシリーズと同時に、テレビでも放映された「密命」のシリーズも読み出したのだが、磐音のイメージがあまりにも強かったので途中から磐音一本に絞り、密命は6巻でストップしている。

今後も磐音のシリーズは3ヶ月に1冊の割合で出版されると思うが、チョロチョロ読むのも嫌なので、何年か先にまとめて読むことにする。

今日からは、読書のパターンを元に戻して、色々な分野の本にチャレンジしたい。まずは、先日鹿児島に出かける時に空港で買い求めた「渋滞学」の本を読むことにしよう。
スピード社製の水着はかなりの威力で、五輪を控えての調整大会で日本新記録を連発している。「たかが水着」でこれほど差が出るとは衝撃的ではある。

日本のスポーツ用具の中にも、スピード社の水着のように、五輪で選手に圧倒的に支持されている用具がある。バルセロナの時から参戦し、アトランタ、シドニー、アテネと3連覇し、しかも3大会とも金銀銅を独占しているそうだ。

そのメーカーは辻谷工業といい、その製品は砲丸である。砲丸投げに使用される砲丸は、選手個人の持ち物ではなく、主催者が用意したものを使用する。主催者は何種類かの砲丸を用意し、選手がその中から選ぶのだが、有力選手は皆「辻谷砲丸」を選択している。

砲丸の規格は、直径130~150ミリ、重さ7.265~7.285キロと定められている。直径は随分大きな誤差が認められていると感じるのだが、これでもかなり造る側からすると厳しい規格になるという。

「辻谷砲丸」が支持されているのは、旋盤で削った時の独特の挽き目による手触りのよさと、寸分の狂いもない中心と重心の一致による正確性である。中心と重心が一致すると真っ直ぐに飛ぶが、中心と重心に狂いが生じるとカーブ(もしくはシュート)するために、距離にロスが生じてしまう。

砲丸は溶解した鋳鉄を砂型に流し込んで造られるが、成分が一様ではなく、部分的に比重は異なり重心が中心とずれるらしい。これを切削により調整して、中心と重心を一致させるという。これが企業秘密だ。

この話は、岩波ジュニア新書の「道具にヒミツあり」(小関智弘著)という本に出てくる話である。本書は日本の中小企業の匠の技を紹介したもので、ボールペンのボールの話から始まり、携帯電話に使われている要素技術の話など10のテーマで書かれている。

なるほどと思わせる話が一杯あり、これ1冊を熟読すれば酒場談義の3回分くらいのネタがありそうだ。

タクシーの天井についている、提灯が居酒屋の目印とは知らなかった。


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