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日本経済新聞大阪本社編集委員の脇本祐一氏が書いた「豪商たちの時代 徳川三百年は「あきんど」が創った」(日本経済新聞)を読んだ。商人の視点で書かれた江戸時代史ともいうべき内容で、改めて江戸時代とは度いう時代かということがわかったような気がする。

江戸時代は「鎖国」の時代であるという認識があったが、「鎖国」という言葉は当初は使っておらず、19世紀になって初めて志築忠雄の「鎖国論」という書物で登場し、鎖国が祖法という意識が出てくる。確かに、ポルトガルやスペインなどのカソリック国との交易は禁止されたが、オランダや中国との交易は長崎を窓口に開かれ、北方民族との窓口も蝦夷で行われていた。

一方、門戸が制限されていた中で、自給自足体制が確立し、綿花の栽培により衣類や油をまかない、養蚕による絹織物、楮・三椏による紙の製造、干鰯や〆鰊による肥料としての活用など農業をベースに今日の化学や繊維などの工業が確立していた時代である。自前の精神で知恵を絞り新しい時代を切り開いていった先人のパイオニアスピリッツには頭が下がる。

商人の視点で書かれているから、どうしても中心は商都大阪になり、江戸時代は「浪花時代」かと錯覚しそうになる。江戸時代は先にあげた自給自足体制が確立した時代であり、商品経済が一挙に発展した時代でもある。一方商品の流通を支える貨幣は、それまで世界有数の鉱山国として豊富に産出された金や銀の産出量が激減し、通貨不足が経済発展の阻害要因となり、貨幣改鋳によるインフレ(元禄期)、貨幣の流通量不足によるデフレ(享保期)などが起こり、米価下落に伴い、幕府や大名などの武家社会は18世紀以降絶えず財政改革に取り組まざるを得なかった。

江戸時代は、幕府の行った享保の改革などの3大改革を筆頭に、田沼の治世など頻繁に体制を維持しようとする改革が幕府や大名家で行われていた時代である。構造改革の歴史として見て取ることができ、今日にも通じるものがあると思う。そんな中で、幕末の備中松山藩の山田方谷の改革が特筆されるものである。特産品の備中鍬を強化し、藩の専売品として外貨を獲得し、藩内の流通には外貨の裏づけのある藩札を発行して活性化を図り、10年間で80万両の借財を返還し、同額の蓄財を果たしたそうである。今年1年の研究テーマを「再生」ということにしている。山田方谷の改革について少し調べてみようと思う。ちなみにJR伯備線に「方谷駅」という名の駅がある、これは日本で最初に人名からとられた駅名だそうで、山田方谷がいかに信望があったかを物語っているといえよう。

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