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昨日は、中国人残留孤児やフィリピンの残留孤児への支援で活動されている弁護士にお話を伺う機会があった。興味深い話が色々聞くことができたが、特に印象に残ったのが「国家の役割」についてのものだった。

支援活動を始めるいきさつについては、「海外で苦しむ日本人がいるなら、国は無条件で手助けをするべきで、国民を守るというのが国家の役割だ」という話に続いて、「日本では国民を守るというよりも、“国体”を守るという意識の方が強すぎる。国がやらないので、民間人ではあるが海外の同胞支援を行うようになった」という意味のようなお話だった。

私が国体という言葉を知ったのは、若いころに観た「日本の一番長い日」という映画だった。第二次世界大戦のノルマンジー上陸作戦を描いた映画を、邦題では「史上最大の作戦」としたが、原題では「Longest Day」というものであり、これをもじったタイトルの映画である。

日本の一番長い日は、同じように第二次世界大戦を題材としており、日本の終戦を巡ってポツダム宣言を受諾して無条件降伏するかということのせめぎ合いを描いたもので、“玉音放送”を録音したレコードの奪い合いなどのエピソードが印象に残っている。

この映画の中で頻繁に飛び出した言葉が、“国体”という聞き慣れないものだった。最初は何を意味するのかよくわからなかったのだが、国体という言葉の後に“守る”という言葉が付いて回り、観ているうちにどうやら「国の形」を示すという言葉であるように理解をするようになった。

「天皇を中心とした国の形」が維持できるかどうかが、ポツダム宣言を受け容れ降伏するかどうかの条件であり、国民の被害の拡大を防ぐということよりも優先されるという考え方だった。

私の大嫌いな言葉に、“国益”というものがある。国益というのは、「国民の利益」ではなく、「国家の利益」であるためだ。TPP交渉や、原発の再稼働でも国益という言葉がチラチラ目につくのだが、そこでも国民の利益というニュアンスが乏しい中で、国益論議がなされているように思う。

終戦から60年以上経過しているのに、いまだに政治家は“国体を守る”という意識が強いのだろう。国民の利益が国益であるということを政治家に認識させるには、憲法にはっきり明記することが必要かもしれない。自民党の憲法改正草案では、“公益”という言葉が登場し、私権の制限を考えているようだが、飛んでもない話だ。

国体という言葉は死語にならなければならないと思うのだが…
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