社長のブログです
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一昨日から、メトロポリタン劇場で公演されたオペラの中から4本を、BSで放映している。午前零時という私にとっては辛い時間帯なのだが、昨夜は「アイーダ」を観た。はじめて観たオペラがアイーダであり、その後も2度ほど観ており、メトの演出に興味があったからだ。
オペラではよくあることだが、“清きアイーダ”がメタボであったが歌声は素晴らしいものであった。生で聴く音に比べると物足りなさは残るが、映像を通して見ると細かなところがよくわかるのが利点である。 劇場ではかぶりつきは望めず、2階席や3階席になるため、表情は読み取れず、雰囲気を感じるしかないのである。これも楽しみ方の一つであると感じた。 一昨日放映されたトスカと今晩のトゥーランドットはパスし、明日の夜に放映される「ホフマン物語」を観るつもりだ。記憶では、オペラとしては2時間もかからない短いものであるし、舟歌のシーンが印象的だったからだ。 芸術の秋を満喫したいところだが、人の住んでいる所に大砲を打ち込むという無粋なことをしでかす輩がいる。独裁国家でトップが常軌を逸しているとロクなことはない。ラジオを大音量で流したり、ゴミを撒き散らして平然としている変人を抱えるご近所さんの心境がよくわかる事件だ。 しかも、この国では世襲が続いているのである。常識外の遺伝子が引き継がれていくのだから、たまったものではない。この国には、“芸術の秋”という言葉は絶対に通用しないと思わされる。つくづく厄介な国だ。 PR
黄砂の影響か、晴れ間が出ても青空とはいかず、濁ったような空模様が続いている。この時期に黄砂とは異常だが、これも中国の対日圧力の一つなのかと勘繰りたくなる。
GDPの速報値が発表され、第三四半期の実質成長率は3.9%になったとのことである。成長率1%が当たり前になっているこの国にとって明るい数字なのだが、どうも浮かれる気分にはなれないのである。 今回は、個人消費の伸びが牽引役となっているらしい。プチ贅沢ブームにも乗ったのだろうが、プチはプチである。個人消費の主役となる自動車のエコポイントは第三四半期で終了し、第四四半期は落ち込みが予想される。 その兆候はすでに競馬の売り上げに現れている。中央競馬の売り上げは、90年代の終わりごろには4兆円に達したが、それをピークに毎年ジリジリ減少を続け、昨年は2兆6千億円にまで減っている。それでも年率で見ると5%前後であり、緩やかなものであったのである。 それが、今年になってからは様相を変え始めている。主力商品のG1レースでの売り上げ減少が目立ち、今年これまで行われた15レースはすべて前年割れになっている。これまでも減少している方が多かったのだが、いくつかのレースは前年を上回るものがあり、“踏ん張り”が感じられていた。 全てのレースでマイナスというのは、必死にこらえていた“踏ん張り”が効かなくなったものと見られる。しかも、春シーズンは10%程度の減少だったのだが、秋シーズンになると15%を超えるマイナスのレースが多くなっており、加速度がついてきたような感すらある。 比較的堅調といわれていた中央競馬も、環境変化への抵抗力がなくなったのだろう。特に、高齢化(特に団塊世代が定年を過ぎたこと)の影響が、ここにきて出てきたのだと思う。国内市場のシュリンクがいよいよ本格的に登場してきたのではないだろうか。今日の空のような鬱陶しさだ。
このブログへのアクセス数は、一日平均11件でありこの一年ほとんど変動はない。ところが昨日は40件近くのアクセスがあり、二番目の記録となった。「ダライ・ラマ効果」についての検索サイトからのアクセスである。思わぬダライ・ラマ効果が現れたようだ。
ビデオ流出問題は、考えさせられることが多い事件だと思う。一種の軍事組織である海上保安庁で、個人の独断で内部情報を漏洩させた問題(英雄視するのは言語道断)、予算委員会で公開されたものは秘匿すべき情報ではないとする意見(限定公開の意味を忘れている)、知る権利とは何か、情報共有の問題などである。 知る権利の観点で言えば、事件発生直後に公開すべきだったと思う。シーシェパードの妨害事件では、すぐにビデオを公開しているのに、今回は中国との関係を慮って公開しなかったのは、知る権利をないがしろにした態度だと思う。 知る権利は、選択の自由、安全を保障される権利、要求する権利と並んで重要な国民の権利であり、これをおろそかにした政権運営はやってはならないことだと思う。原則を踏み外した行為だ。 もう一つの論点は、今回のビデオ映像は、海上保安庁内部でだれでもアクセスでき、ずさんな管理という論調に対してである。情報の共有は、他人の経験を自分の経験にすることができ、組織のパワーアップに不可欠なものだと私は思う。 イントラネットの普及により、組織が情報共有することになり、どれだけメリットを享受してきたかは、計り知れない大きなものではないだろうか。情報共有の程度は、組織の文化・成熟度を測る物差しのようなものだ。今回の事件を受けて、羹に懲りてなますを吹きがちな国民性ゆえに、情報共有の文化にくぎを刺すような流れになるのが気がかりなことである。
昨日のニュース番組はビデオの流出問題で終始していた。週末の討論番組もこのニュース一辺倒になりそうだ。私は昨日も指摘したように、この問題は情報管理の問題としてとらえていたのだが、テレビのニュースの取り上げ方は少し違うニュアンスがある。
流出映像をかなり流し、映像に示された内容について綿密に解説しているのである。映像が公開されなかったために溜まっていたうっぷんを晴らすかのように、これでもかと言わんばかりに中国船がぶつかってくる場面を放映しているように思われる。 街頭インタビューでも、情報流出の問題ではなく、映像を観た感想を中心に編集されている。これだけのインパクトのある映像を、中国に慮って公開を見送っていた政府の対応を暗に批判するような報道ぶりである。映像を流出させた犯人を称えるようなニュアンスも感じさせられる。 これだけの映像を見せられると、情報流出の問題よりも、なぜこの映像を公開しなかったのかという方に矛先が向けられるのも無理がない。船長を逮捕した時に、相手の非を証明するために公開すべきだったと思う。中国に対して腫れものを扱うような対応が続く政権に、我慢ならないとする有権者は増えるのではないだろうか。 今週末にいくつかのメディアでは定例の世論調査が行われる。先月末の日経の調査で支持率は40%だったが、おそらく20%台にまで急落するのではないだろうか。映像のインパクトの大きさを改めて感じさせられた出来事だ。
今朝のトップニュースは、尖閣での漁船衝突の模様のビデオが、ユーチューブに投稿されていることだろう。公開が見送られている映像が、何者かによって持ち出されたことになる。政府の意に反して独断で投稿するという人事管理と、情報の持ち出しを許した情報管理の面で極めて大きい問題であると思う。
警察の対テロに関する情報が、ネット上に流出したばかりである。こちらは意図した流出ではないのだろうが、外国の公安機関からの信頼感が大きく損なわれ、国際的なテロ関係の情報収集に支障をきたすことになる。 尖閣のビデオは不注意による情報流出ではなく、投稿という意図的なものでありこちらの方がより深刻な問題であると思う。それとも、船長の釈放を「検察の判断」ということで誤魔化した政府が、「海保での流出」という形で公開するという高度な政治的判断を行ったのだろうか。 いずれにしてもこの二つの情報流出は、しばらく大きな問題として取り上げられるのではないだろうか。 ロッテは王手をかけたが、明日の試合に負けると中日の方に分があるように思う。成瀬の出来次第だ。 |
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