社長のブログです
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支持率の高騰で、首相や自民党の前のめりの姿勢が一段と強くなったように感じる。靖国神社への閣僚の参拝や、国会議員の有志議員が大挙して参拝をしている(超党派だというが大半は自民党議員だろう)。去年の例大祭の2倍の168人が参拝したとのことだが、年末の選挙で自民党が2倍以上増えたわけだから、自然な理屈である。
「今日あるのは英霊のお陰」というのが大義名分となっているのだが、私にはそのような気持ちは起こらない。中世までの戦争は、“傭兵”によるものであり、職業軍人が戦地に赴いて戦うものであった。織田信長がのし上がってきたのは、兵農分離を行いいち早く傭兵制度を取り入れたからである(豊かな経済力が背景にあった)。 明治になって日本でも徴兵制度が採用されるようになったのだが、これとセットで作られたのが靖国神社だと思う。明治2年に維新戦争の英霊を祭るために、「招魂神社」として設立され、明治5年に徴兵例が発布されたのを受けて、明治12年に「靖国神社」と改称された経緯がある。「靖国で合おう」という合言葉で特攻に出撃したのに象徴されるように、戦争に赴く兵士を鼓舞するための存在にしか私には思えない。 国民のために戦うというのは、国民主権という言葉から納得はできるのだが、「国家」のために戦うというのは少し違うように思う。私の大嫌いな言葉に、“国益”という言葉がある。国益というのは国民の利益ではなく、国家の利益であるためだ。国益を振りかざして戦争への道を切り開いた指導者たちが、いつのまにか靖国神社に祭られてしまっており、戦争を正当化すための靖国神社にお参りするという気持ちには到底なれない。 憲法改正にも前のめりになっており、今度の参議院選挙の争点の一つになりそうだ。憲法制定以後65年を経過しており、時代に即した内容に書き換えるならともかくも、まずは改憲の発議をやりやすくするために96条の改正を目指すというのだから、開いた口が塞がらない。 1票の格差は、0増5減でも1.998倍(実際にはすでに2倍を超えている)の衆議院、5倍にもなる参議院の選挙制度の中で、改正条項を緩めるというのは民主主義を冒涜するものではないだろうか。 なりふり構わず自分たちの信条を推し進めようとする姿は、私には日本を戦争に導いた指導者たちと同じように見えてならない。ひょっとして、昨日参拝した168人の国会議員たちは、268万人の戦没者ではなく、合祀された戦争指導者たちの英霊にお参りしたのではないだろうか。 PR |
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