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沖縄の梅雨明けが、本土の梅雨入りのタイミングになるのが例年だが、今年は5月末にフライング気味に「梅雨入り宣言」が出た後に、南西諸島で雨が降り続き、「空梅雨」のニュースが流れるほどである。いつもの年なら、今時分が梅雨入りの時期であり、空梅雨というのは騒ぎすぎるような気がする。

5月末の宣言以降、暑い日が続いているが湿度が低いのが過ごしやすくしている。このままの気候が続いてほしいのだが、今週の後半からはジメジメがやってきそうだ。

株価の高騰で浮かれていた政権も、先月末からの株価の急落でアベノミクスの化けの皮がはがれそうになって、少し慌てているようで、昨日の安倍首相の都内の遊説では「やり続ける」ことを懸命に訴えているようだ。

ここにきてはっきりしたことの一つは、株式市場というのは経済の実態や景気動向を反映したものではなく、博打場に化したということだ。アメリカの景気動向がプラスに転じれば下がり、マイナスになれば上向くということ、経営破たんをしている東京電力の株が大量に取引されていることなどがそれを証明していると思う。

リーマンショックで“強欲資本主義”に懲りたはずなのだが、金融緩和でマネーをジャブジャブにするというのは、政策当局がバブルを演出しているとしか思えない。アメリカでは金融業界で相当のGDPを稼ぎ出しているのではないだろうか、こんな実態の伴わない“好況”はすぐにおかしくなりそうな気がする。

リベラルとコンサバティブという政治概念があるが、それにくっつく形で経済学の世界では、統制派(ケインジアンなどをこう呼ぶのかは疑問だが)と自由主義の対立がある。振り子やシーソーのように、あっちに振れたりこっちに振れたりしているのだが、時代とともに振れ幅が大きくなりすぎ、シーソーに乗っかっている国民は船酔いをしているような気がする。経済学者に私は不信感を募らせている。

ノーベル賞の一つに経済学賞があるのだが、100年前のノーベル賞の創設期からあるのではなく、スウェーデン国立銀行が働きかけて、1968年に創設された賞である。ノーベル賞の受賞者が受け取る賞金は非課税なのだが、経済学賞の受賞者には税金がかかるというように日本の税法ではなっている。これは他の賞はノーベル財団が資金を出しているが、経済学賞はスウェーデン国立銀行が出しているためらしい。

幸か不幸か、日本人の経済学賞受賞者はいないので、税金を納めた人はいないが、税務当局の対応一つとってもノーベル経済学賞にはいかがわしさを感じる。さらに創設された時期や、創設者、初期の受賞者の顔ぶれなどから勘案すると、新自由主義を後押しするためにできたのかと勘繰りたくなってしまう。

少し前まで、日経の「経済教室」の面には、「経済物理学」なるものが連載され、この1週間は「神経経済学」が特集されている。いずれも伝統的な経済学とは異なり、異分野の知見を経済学に応用しようとするものであり、本家の経済学が強欲資本主義の走狗になり下がっていることへの警鐘なのだろうか。

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