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フリースタイルのハーフパイプで、小野塚選手が銅メダルを獲得した。ロンドンの時もそうだったが、日本は銀や銅の鉱脈を発見するのが得意で、金の鉱脈は見付けるのが苦手なようだ。それでも8個のメダルというのは海外の五輪で過去最多である。

冬の大会の日本選手のメダル第1号は、スキーアルペン回転の猪谷千春選手である。小学校1年生の時のことで記憶にはないが、その時のアルペンで3冠王に輝いたのが(分業化した今では考えられない偉業だが)トニー・ザイラーである。

数年後美男子だったザイラーは俳優に転向し、「白銀は招くよ」というタイトルの映画の主演になり、軽快な主題歌(演奏はよいのだが、ザイラーの声はひどかった)が印象に残り、その縁で猪谷千春の名前が記憶に残ることになった。

その後、日本のメダルは72年の札幌大会までなく、札幌大会でもジャンプの3つだけで、その後も1個メダルが取れたら上出来という大会が80年代まで続いた。

メダルが貴重品だったわけで、レスリングや体操などの量産体制が整っている競技や、バレーボールも黄金期を迎えたこともある夏の大会に比べて注目度は低かった。

状況が一変したのは92年のアルベールビルからで、98年の長野大会までがメダルが貴重品ではなくなった時代だったと思う。しかし、長野以降は低迷期に入り、80年代までのメダル1個取れれば上出来というスタイルに戻ってしまったようで、このことが“国力”と五輪の関係を考えさせられるきっかけとなった。

海外での過去最多となるメダルの獲得は、“国力の回復”の兆しとも考えていいようだが、そう単純ではないようだ。

今回8個のメダルは上出来なのだが、中身を見ると山岳エリアでのスキーが7個で、沿岸部のメインスタジアムのあるエリアでは1個だけである。唯一の金メダルでそれなりに価値があるのだが、1個取れれば上出来の時代にも貢献していたスピードスケートは壊滅状態になってしまった(“オランダ選手権”のようになってしまい、オランダ以外はどの国も同じ状況なのだが)。

山岳エリアでも、7個のメダルの内ジャンプや複合などの伝統競技は3個で、ハーフパイプやパラレル大回転など今世紀になって新たに加わった種目の方が上回っている結果になっている。競技の水膨れによる恩恵を受けたためで、中身としてはアルベールビルやリレハンメルの時の方が濃かったように思う。

メダルを獲得した人たちには敬意を表するが、上げ底の過去最多であり、手放しで強化の成果を称えられるものではないような気がするのだが。

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