社長のブログです
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今日は上着を脱ぎたくなる陽気になるとのことで、久しぶりに春を満喫に出かけるつもりだ。私が仕事に就いた40年前は、この時期春闘によるベースアップが当たり前のようにあったが、この20年は春闘によるベースアップの話を聞くことは少なく、春闘という言葉は死語になったような気がしていた。
ところが、今日は春闘の集中回答日で、どれだけの企業がベースアップを行うのかが注目されている。既に数日前から大手企業の賃上げが発表されており、組合に変わって政府が賃上げ交渉をした成果が出そうな気がする。 先触れとして先週末から昨日にかけていくつもの大手企業のベースアップが報じられているが、少し複雑な感情を持つのはローソンの賃上げである(最大手のセブンイレブンは組合がないので春闘はないとのこと)。 私の父親の実家は、明治時代から枚方で酒屋を営んでいた。三男坊だった父は酒屋にこそならなかったが「酒販組合」の仕事をしており、酒屋は生業のような感覚がある。 経済センサスの酒小売業の欄を見ると、12年には全国で酒屋は37,000軒となっている。酒屋の数は長年10万軒を超える数値でほぼ安定していたが、94年の商業統計で初めて10万を下回り、99年には8万軒まで落ち込んでいたのだが、それがさらに12年には4万を下回るようになってしまった。 酒屋の数が12万件前後だったのは手元の資料だと62年から91年まで30年間続いたわけで、その前もそのレベルはあったと思うから“見慣れた風景”だったと思う。それがこの20年間で1/3まで減ってしまったのだから、街角の景色は様変わりしてしまったわけだ。 酒屋にとって替わったのがコンビニであり、コンビニの好業績は酒屋やタバコ屋を駆逐してしまった結果でもある。生活様式の変化に適応したのがコンビニで、それに乗り遅れた旧態依然たる既存の酒屋やタバコ屋が退場していったのはやむを得ない事だとは思う。 しかし、その代償としてコミュニティのインフラを失ってしまったのではないかと思う。昔の酒屋の商売の特徴は、配達を伴うということだった。ビールや酒はガラス瓶に詰められており、容量もビールは633cc、日本酒は一升びんが主流で、「重たい商品」であったため、配達がかなりのウエイトを占めていた。 缶ビールの普及により、ダウンサイジングも含めた軽量化が、コンビニに勝機が生まれた大きな理由であると思う。 配達というのは、注文を受けた時と、お届けの時に2度のコミュニケーションのチャンスが生まれ、コミュニティの潤滑油的な機能があったと思う。今のコンビニでのコミュニケーションは「年齢確認」のボタンを押すことを指示されるだけしかない。 もう一つのコミュニティインフラとしての役割は監視機能があったと思う。配達というのは街中の「見回り」というのを自然に果たしていたと思うし、店には必ず「店番」がおり、タバコ屋のおばちゃんに悪戯を咎められ、叱られた子どもも多かったのではないだろうか。 店番という監視カメラと、配達という移動監視カメラがあったようなものだろう。多くの目が街中に注がれることが、秩序をある程度保っていたのではないだろうか。 酒屋やタバコ屋は日暮れとともに店を閉じるため、生活時間の変化に対応できなくなり淘汰された側面もあると思う。便利さ=顧客の都合であり、それに合わせるのがCSの原点でもあり、顧客満足度で酒屋、タバコ屋はコンビニに大差をつけられたのだろう。 薬のネット販売により、今度は街の薬局の衰退が予想される。時代の流れで仕方ないのだが、顧客の都合だけで何事も決まるというのは、疑問を感じるようになってきた。 今までCSをおもな生業としてきただけに、ローソンの賃上げのニュースを聞いて少し複雑な気持ちになってしまったわけだ。 PR
寒いはずで、この冬一番に匹敵する位の寒気が日本列島を覆っているようで、日本海側では大雪とのことである。しかし、光明は水曜日の予想最高気温が15度になっていることで、後1日の辛抱であるようだ。
昨日はカーリングの日本選手権があり、ラグビーの日本選手権や名古屋の女子マラソン、さらには大相撲の初日など、巣籠りしている身にとっては、“充実した一日”になった。 マラソンは木崎が3位に入ったものの、勝負所で置いていかれ、終盤の粘りでようやく3位にもぐりこんでのもので、トップ争いをしながら最後に力尽きての3位に比べると物足りなさを感じさせた(マラソンは粘りが肝心であるという説もあるが)。 これでアジア大会の代表が当確になったようだが、男女ともマラソンのレベルは落ちているように思う。男子マラソンは瀬古や宋兄弟が活躍した80年代から、バルセロナの90年代初めまで、女子はそのバルセロナからアテネまでの10数年間がピークだったように思う。 日本の国力の推移と、マラソンのレベルが相関しているように見えてくる。日本の基幹産業は、戦前から戦後の高度経済成長時代までは繊維など軽工業が中心であったが、高度経済成長時代には造船や鉄鋼などの「重厚長大」型産業がけん引し、80年代から90年代にかけては半導体や電気製品など「軽薄短小」産業が主役になり、2000年代初頭までのリーディング産業だった。 男子マラソンは「重厚長大」、女子マラソンは「軽薄短小」のように見て取れる。小学生の体力測定で結果は80年ごろがピークで、現在の小学生の体力が親の世代よりも大きく劣るという事が言われているが、そのこともマラソンのレベルが落ちている事につながっているのかもしれない。 面白いデータが日刊現代に掲載されていた。レジャー白書による趣味人口の推移を、バブル期の88年と2000年、2013年の3時点を比較したものである。 88年 00年 13年 囲碁 761 455 398万人 将棋 1472 1019 847 麻雀 1472 1128 765 登山 761 932 857 野球 2025 1724 765 サッカー 474 694 571 囲碁、将棋、麻雀、野球はバブルの頃がピークで(もっと以前かもしれないが)、「重厚長大」と同じような傾向に、登山とサッカーは現在の方がバブルの頃よりも多いが、ピークは00年ごろであり「軽薄短小」型の趣味であると言えるのかもしれない。 右肩上がりのマーケティングではピークは将来に登場するのだが、右肩下がりの成熟社会(衰退社会というべきかもしれないが)ではピークは過去にあった事になる。ピークとの距離を測る分析が必要なのかもしれない。 2週続けての“台湾坊主”の襲来で、今朝も一面雪化粧である。甲府は、昨日の夕方50センチを超えた時点で「統計を取り始めてから過去最高」というアナウンスをされていたが、今朝のニュースでは1m超えとのことであり、2倍の記録更新というのはめったにないことである。
お酒は何でも飲む私だが、最近ウイスキーはそれほど飲むことはなく、夜中に目が覚めた時に眠り薬として飲む程度だから、年間3~4本程度である。
それでも20代の若いころはウイスキーをロックでよく飲んでいた。今ではまず利用することはないが、当時は「スナック」や「バー」に良く出入りしており、そこでのメインはオンザ・ロックであった。 学生時代は、ストレート一本やりだったが、社会人になって少し自重して氷を入れるようにしたのである。上司に銀座のバーに連れて行ってもらった時に、私のロックで飲む姿に「お前は品がない」と言われたことがある。当時、サントリーが「水割り文化」を盛んにPRしていた時代で、水割りが主流になっていたころのことだ。酒を水で割ることの方が品がないと思っていた私は、下品と蔑まされようが、水割りを口にすることはなかった。 子どもの頃よく見た「ローハイド」や「ララミー牧場」で、カウボーイが、バーでウイスキーを顔をしかめながらストレートで飲むシーンが、刷り込まれていたのかもしれない。 30代に入ったころから、ウイスキーを飲むことはほとんどなくなってしまった。食事が完全に和食党になったこと、日本酒の美味さに目覚めたこと(20代のころは悪酔いしたことが何度もあってほとんど口にすることはなかった)、乙類焼酎が出回り始めたことなどである。 酒のディスカウンターが出現したことが、大きな理由である。小さな酒屋では、地酒や焼酎の品ぞろえができず、日本盛や月桂冠などの大手メーカーや甲類焼酎しか置いていなかったのに、売り場の大きなディスカウンターでは、地酒(乙類焼酎もそのたぐいだ)の品ぞろえが豊富で、あれこれ試しているうちにその虜になってしまったためだ。 最近外食をする時も、ほとんど居酒屋利用で、バーやスナックにはこの10年言った記憶がない。私の中ではウイスキーのシェアが大きく低下している中で、今朝の一面トップにあるサントリーがジムビームを買収するという記事には驚いた。 買収そのものではなく、その金額である。年間3~4本しかウイスキーを買わないのだが、ジムビームは2年に1回くらいの割合で、買っている。そこそこの有名ブランドなのだが、年商は25億ドルとのことである。 その会社を160億ドルという金額で買収するという報道なので、年商の6倍以上の金額で買収するというのは咄嗟には理解できなかった。 回収期間が長すぎるように思うのだが、ウイスキーは熟成させればさせるほど美味しくなるもので、投資・回収についてもビンテージの感覚があるのだろうか。 日経新聞は毎年の初めに大型の連載がある。毎年どのようなテーマを取り上げるのか興味を持って見ているが、今年は「リアルの逆襲」というタイトルである。このところバルサに押され気味の、レアル・マドリードが反撃に転じた話ではなく、科学技術の進歩を取り上げたものである。
この表を見てまず目につくのは、時価総額で4倍以上の開きがあることと、ピークの位置が大きく異なることである。日本の大企業は40年代を中心にその前後に集中しているのに対して、アメリカでは両端にピークがある点である。1889年というと明治の半ばであるが、それまでに創業された企業が66社と2割を超えているのに対して、日本はわずか10社である。 明治の半ばまでに創業した日本の企業というと、思い浮かぶのは銀行と、八幡製鉄や東芝、NECなどの老舗の製造業や、財閥系の企業である。メガバンクのように合併が進行したため、“現在の企業数”としては少なくなっているのであろう。 驚くのは時価総額で、アメリカの老舗企業の1社平均では8兆円近くに達しており、上位300社平均の5.5兆円を大きく上回っていることだ。時代の変遷にしたたかに対応して生き残ってきたということがよくわかる。 民族としての歴史ははるかに日本が長いのだが、企業の歴史でははるかにアメリカの方が伝統があるということだ。 もっと見やすくするために、1900年代までを明治、1910年代から30年代までを大正・戦前、40年代から80年代を高度成長期、90年代以降を失われた20年としてまとめると、高度経済成長や失われた20年がどのようなものであるかがよくわかる数値になる。
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