忍者ブログ
[78] [77] [76] [75] [74] [73] [72] [71] [70] [69] [68]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日、今日と好天に恵まれ、半袖1枚で過ごせる気持ちのよい休日になっている。明日からは下り坂の予報なので、今日は人出がピークになりそうだ。

連休の間は読書三昧を決め込むつもりで、29日に図書館を訪れたら休館日であった。ふだんは、月曜が休館なのだが、GW中は図書館のあるコミュニティセンターはイベントが目白押しで、そのせいもあってか、休日は全て休館で1日と2日のみの開館となっていたのである。

やむをえず、1日に本を借りたのだが、今読んでいるのは日経文庫の「日本産業史」である。この本は元々日経新聞の創立90周年事業として、新聞に連載されたもので単行本にまとめられ、それをさらに文庫化したものを読んでいるのである。

この本が書かれたのは昭和41年で、徳川幕府が開国してから100年を経過しようとしている時期であり、「産業100年史」となっている。明治以降の歴史は近代史と呼ばれる範疇にあるが、これまでの知識は政治や戦争の歴史に偏っており、産業の発展については、富岡製糸工場や官営八幡製作所などを断片的に知っているのにすぎなかった。

本書は、開国から明治中期まで、明治後半から大正中期まで、対象後半から戦争まで、戦後復興期、高度成長期の5つの時期にわけ、各時期ごとに主要産業のできことがダイジェストされている。
各産業の成り立ちや発展過程がわかり、なるほどと思わされることがいくつもある。例えば、私はいまだに小麦粉のことを「メリケン粉」といってしまい、家族から笑われているが、これは明治の初めに機械式製粉が導入された時に、それまでの水車製粉がうどん粉と称されていたのに対し、パンやビスケットの材料として用いられたので「メリケン粉」となったようである。

メリケン粉は当初は軍隊の食料になったことにより発展したようで、軍事用として成長したものがいくつも見られる。鉄道なども、軍事用が強く意識され、東海道線も海の近くに鉄道を通すのは、海上からの攻撃や敵の利用がしやすいことなので、当初は中山道ルートが真剣に検討されていた。

保険業の成立過程では、福沢諭吉がかなり貢献したようである。そもそもの発端は2回目の渡米の際に、2000両もの大金をはたいて書物を買い込み、それに保険をかけたのが諭吉が保険に目覚めたきっかけであったという。そのせいもあって、小泉信吉など保険業界の草創期に活躍したのは慶応出身者が多かったようである。

銀行が設立された当時に、「野田商誘銀行」や「酒屋銀行」などが誕生している。野田の醤油醸造業者や灘の酒の蔵元などの便宜を図るための銀行である。今どうなっているのかは分からないが、何年か前の「トマト銀行」を思い出した。

PR

コメント


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字


トラックバック
この記事にトラックバックする:


忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[11/14 NONAME]
[06/09 元沖縄通♪]
[04/28 元沖縄通♪]
[03/22 ドン・カルチョ]
[03/21 佐野]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
アクセス解析
アクセス解析