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最近気になる言葉に、「リアルな判断」という表現がある。原発再稼働と、集団的自衛権を容認する立場の人々から漏れてくる言葉だ。

原発に関しては、3割の発電能力があったものを、いきなりゼロにするというのはいたるところにひずみが出てくるわけだから、わからないものではない。しかし、集団的自衛権のリアルな対応というのは、私にはよくわからない。

尖閣問題や、北のミサイル・核開発という安全保障環境の変化がその論拠になっているようだが、どちらも「個別自衛権」や、日米安保の範疇にあるもので、集団的自衛権がなければ対処できないものではないと思う。

「北朝鮮がアメリカに向かってミサイルを発射した時に、手をこまねいて見過ごしてよいのか」という例え話が出てくるが、ミサイルを撃ち落とすには発射直後か落下直前しかチャンスがないらしい。

発射直後にどこに向かって行くのかを判別し、迎撃ミサイルのスイッチを入れて撃ち落とすというのは不可能だろうし、アメリカ本土で日本のミサイルを使用するというのもそれこそ現実的な話ではないように思う。

結局、集団的自衛権を行使するというのは、湾岸戦争やイラク戦争での多国籍軍に参加するかどうかという事にしかならないと思う。戦争をする国になるという意志表明であり、そんな国になってほしくないというのが私の本音である(戦争をする国になることを前提に、靖国参拝をしているなら恐ろしい話だ)。

そもそも政治家というのは、「リアルな判断」というのを重視するべきかという疑問がある。政治というのは将来のビジョンを描き、それをどのように実現するのかというプロセスを作り上げていく事だと思っている。

プロセスの中で、一時的には現実的な対応が必要な時もあるだろうが、ビジョンが明示されていれば、一過性のものとして容認することはできると思う。

しかし、どのような国にしたいかというビジョンがなく、現実対応だけに終始するというのは政治の本道から外れるのではないだろうか。

夢のような事ばかり考えて、足下を見ようとしないのも問題なのだが。

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