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明日の朝からフィリピンに出かけるので、しばらく更新できないため、本日二つ目のアップをしたいと思う。

前回の東京大会が決定したのは昭和34年であるから、小学校の5年生の時だったと思う。昭和34年というと皇太子殿下のご成婚があった年で、一日中その模様がテレビ中継されたので、テレビの普及が一気に進んだ時だと記憶している。しかし、我が家は出遅れてテレビはまだなく、ようやく家でテレビを観る事が出来たのは、その2年後の昭和36年である。オリンピック本番にはなんとか間にあったが、モノクロでの観戦であった。

新聞も歩いて2分の母屋まで出かけなければならず、新聞を読むのは学校から帰って来てからだった。というわけで、オリンピックが東京で行われることが分かったのは、学校の先生からだったと思う。

それから半世紀が過ぎ、現在ではIOCの総会がテレビで中継されるようになり、ほとんどの人はテレビかネットで知る時代である。時代の変化のためか、今朝は新聞休刊日で、配達はない。スポーツ新聞は配達はされないものの、駅やコンビニでは発売されているが、一般紙はそれもない。

IOC総会の日程は前から決まっているのだが、あえてその日に新聞の休刊日を設定しているのである。ネットの普及に押されて紙媒体の凋落が著しく、アメリカでは名門新聞が買収されたりしているし、日本の新聞も状況は変わらないはずなのに、平気で休刊しているというのはどういうことなのだろうか。

確かに速報性では新聞は太刀打ちできなくなっているが、“共感性”というのは、新聞が発揮しやすい媒体だと思う。私の尊敬する先輩でもあるUさんから、「満足感を得るためには共感が欠かせない」ということを教えられたことがある。

気に入ったネクタイがあったとしよう。誰からも何も言われないと満足感はそれほど高まらないが、他人から「良いネクタイだね」と一言あると、それだけで満足度は一気にアップするものだ。

新聞には、その共感性が一つの武器になっているような気がしていた。人は見えるものしか見ないという特性があると思う。新聞記事の中から、気に入った記事を見つけては「そうだよね」と一人ごちているのではないだろうか。オリンピック招致の余韻を楽しみにしていた人にとっては、今朝は肩すかしを喰らったのではないか。

SNSは仲間内の共感を得るためのツールであり、大きく勢力を伸ばして、新聞を苦境に追いやっているのに、休刊日とはどういうことなのだろうか。休肝日を進められるが、肝臓の休みを何年もとっていなくても、身体に何の異常もない。休刊日も必要ないのではないだろうか。
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