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子どもの頃過ごした大阪には、当時4つの球団があった。セが阪神の1球団だったのに、パは3球団もあった。阪神フアンが一番多かったと思うが、巨人フアンも結構居たように思う。いずれにしてもセリーグのチームで、パリーグフアンはその他大勢の扱いだった。

子どものころから筋金入りの天の邪鬼だった私は、大勢になびかず南海ホークスを応援していた。そのDNAの素である親父は巨人フアンで、アンチ阪神の精神があったのだろう。ちなみに、私の弟は阪急フアンであり、へそ曲がりの遺伝子は先に行くほど強く出てくるようだ。

子どもの頃、南海ホークスの天敵はライオンズで、オールスターゲームの頃までに10ゲーム以上離していたことがあったが、終盤にひっくり返されたことが2度もあった。その憎気相手が稲尾であった。先発にリリーフにと文字通り“獅子奮迅”の活躍で、ホークスフアンの夢を打ち砕いたのだ。

出てくれば負けないので、「神様、仏様、稲尾様」と称えられて、とうとう20連勝という信じられない記録を作ってしまい、息の根を止められてしまった。昭和32年、小学校3年生の時のことだ。

その稲尾の連勝記録を、楽天のマー君が塗り替えてしまった。今シーズンだけで17連勝なのだが、楽天の勝ち越しは20なので、ほとんどをマー君一人で稼いだ勘定になる。月間MVPを3カ月連続で受賞しているが、これで4カ月連続になるだろうし、年間MVPも満票での受賞ということになりそうだ。

私にとっては憎い稲尾の記録を一つ破ってくれてうれしい限りだが、昭和36年のシーズンに記録した年間42勝という記録は、いかにマー君といえども手が届かないだろう。マー君の快挙に、改めて稲尾の偉大さを感じさせられてしまった。
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