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選抜高校野球は、38回目の出場でようやく平安高校が優勝した(正式な校名は龍谷大平安高校というのだが、私には前振りのつかない「平安」と呼ぶ方がすっきりする)。選抜の出場回数の38回というのは、2番目に多い中京商(これも現在は中京大中京高校)の30回を大きくしのぐものであるが、中京商は4回の優勝があるのに、平安は初優勝である。

私の生まれ育った枚方は、京都と大阪の中間に位置し、どちらにも30分で行けることから、平安も十分進路の対象になる地域であった。

今もプロ野球選手の出身地は大阪が最も多いが、私の中学生時代も大阪は高校野球が人気スポーツであった。当然中学生で野球の上手な選手は、甲子園を目指して進路選択をするわけだが、大阪は群雄割拠で(「私学8校」と呼ばれ、PLや浪商、明星など有力私学が競り合っていた)、甲子園への道が保障されているわけではなかった。

その点、京都は平安一強の時代が続いており、特に夏の甲子園とは違い、選抜大会は近畿枠があることから、平安にさえ進学すれば甲子園に出場する可能性は極めて高かった。ただし、近畿枠の恩恵のためか、選抜ではそこそこ活躍するのだが、優勝に手の届く所までには至らず、「春はアカン」というのが大人の会話でよく聞かれたものだった。

それでも交通の便もあり、私の中学校の野球部の主力選手は、当然のように平安に入学することになった。問題は、学校が甲子園に出場できても、選手として出場できるかどうかだった。

私の一年上級生の4番バッターは補欠でベンチ入りしたが、同級生の4番バッターはベンチ入りもかなわず、3年生の秋の国体でようやくメンバー入りを果たしたのが精いっぱいだった。

私の通っていた中学校は、一学年に12クラスあり、600人を超える生徒がいた。その中で最も人気のあるスポーツで中心選手が、ベンチにも入れないレベルの高さに、「上には上があるものだ」ということを痛感させられた出来事で、50年経った今でもその時の感慨を忘れることはできない。

「春はアカン」が定番だった平安の優勝で、昔の事を想い出してしまった。

イチローの今季初打席は、ツースリーのフルカウントまで一度もバットを振らず、6球目を見事にレフト前ヒットを放ち、逆転の口火を切った。3打席目も5球目を2塁打で追加点のホームに帰った。

早打ちのイメージがあったのだが、ここまではどっしり構えており、今年のイチローはこの数年とは違うかもしれない。

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