社長のブログです
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昨夜は奇跡的に1時前に目が覚め、なでしこの試合をじっくり見る事が出来た。キックオフから一方的に攻められたが、しっかり守り危ない場面はほとんどなかったように思う。一方で、前がかりに来ているブラジルの隙を巧みについて2点をあげ、完勝だった。
ボール支配率は4割にも届かなかったと思うが、相手の攻撃をヒラリヒラリといなし、隙を見つけては一撃をお見舞いするという、牛若丸と弁慶の五条大橋の場面が連想されるような試合ぶりだった。次の相手はフランスでかなり手強そうだが、チャンスは十分ある。 ここまで日本のメダル獲得数は21個で、数は十分だが、金メダルには手が届かず、「よく頑張っているが、物足りない」というもどかしい状況になっている。競泳などはその典型で、メダル9個というのは過去最高で、最終日のメドレーリレーで1~2個積み上げるだろうから、よしとしなければならないのだが、真ん中に光り輝くものがないというのは残念だ。 “銀の鉱脈”と“銅の鉱脈”しか見つけられない日本に対して、対象的なのは韓国だ。これまでメダル獲得数では16個なのだが、金メダルは9個と半分以上を占めている。勝負強さを発揮しているが、韓国の得意技である“選択と集中”がスポーツの分野でも十分発揮されているということだろう。 ビジネスの分野でも、日本の電機メーカーが相次ぐリストラに追い込まれているのは、サムスンやLGなどの韓国勢の前に押し込まれているためで、選択と集中(特に集中)のレベル差があるためだ。 スポーツの世界でも、分野を絞って英才教育(国際競争力の強化が中心だと思うのだが)を施した結果の金メダル9個になっていると思う。 しかし、選択と集中にも弊害はあると思う。見方を変えると裾野が狭いということになり、頂は高くとも不安定さは拭えない。最近よく耳にする言葉に、ダイバーシティというものがある。社会の成熟に伴って、多様性が求められるようになっており、選択と集中からは真逆に位置するものではないだろうか。 国別のメダル獲得数の表を見ながら、そんなことを考えてしまったのだが、多様性を認めつつもやっぱり真ん中に光るものが多い方が… PR |
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