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ソチロスという言葉があるそうな。オリンピックを見続けて、それが終わった後の虚脱感を指す言葉のようで、仕事に忙しい人が多いため少数派だと思うのだが、私はその数少ないソチロスの一人であるように思う。

これまで冬季大会を熱心に観ることはなかったのだが、今回は冬眠期間ということもあってかなり長時間テレビの前に居た。2週間の大会期間中、毎日3~4時間は観ていただろうから、合計すると4~50時間をオリンピック観戦に費やしていたと思う。これまでは、せいぜい20時間程度だったから2倍以上の計算になる。

主な競技の決勝時間は深夜の時間帯であったため、夜中に目が覚めるという僥倖があった時に、ちらっと眺める程度で、ジャンプやモーグルなどはそのパターンであり、フィギュアは男子を少し観ただけである。

逆にしっかり観たのは、日本時間の夕方(現地では午後)から夜にかけて行われた競技で、スロープスタイルやスキーの距離競技である。スピードスケートは10時過ぎに行われたため、途中で沈没してしまい、ほとんど記憶には残っていない。

最も多く観たのはカーリングで、日本の試合はデンマーク戦を除いて全て観たから、20時間は観たことになり、これが総観戦時間を押し上げた要因である。競技の時間帯が良かったこともあるが、テレビ観戦に向いていた競技であることもその理由であると思う。

冬季大会の競技は単調なものが多く、テレビ観戦には向いていないものも多い。その典型は、ボブスレーやリュージュなどのそり系競技で、タイムの途中計時があるのだがあっという間に終わってしまい、ドキドキハラハラするスポーツ観戦の醍醐味をほとんど感じずに終わってしまう。

観る気はなかったのだが、先日町内会の掲示板に「祝オリンピック出場」の小さなポスターが目に着いた。日本代表のボブスレーの選手が町内に在住しているとのことであり、散歩の折に見かけることもあると思うので人相確認のために少しだけ観たのだが、単調すぎて人相がわかった段階でテレビを切ってしまった。

スロープスタイルや、スノーボードのパラレル競技はテンポもよく、次から次に選手がスタートするので、ついつい画面に見入ってしまうことになってしまったのだが、競技のわかりやすさも魅力の一つだと思う。

対戦形式のパラレル競技は、2本目はタイム差スタートとなり、観た目の通りの順位になるわかりやすさが、面白さを助けていると思う。

スキーの距離競技も、昔は一人一人個別にスタートする方式だったので、順位はチェックポイントのタイムで知るしかなかったのだが、今回は一斉スタートの競技もあり駆け引きを少し楽しむことはできた。

夏季大会の種目でも、テレビを意識してバレーボールはラリーポイント制に変わったし、レスリングが除外候補になったのもテレビを通してのわかりやすさに難点があったからで、オリンピックとテレビというのは不可分のものなのだろう。

テレビ向け競技が増えたことでついつい夢中になり、ソチロスに罹ってしまったのだが、来週あたりから仕事が始まりそうなので、軽微の症状で治まりそうなのが幸いだ。
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今朝の日経の記事の中に、「ベテランの技、科学が支え」という見出しの記事が掲載されている。葛西だけでなく、バイアスロンで金メダル2個のビョルンダーレン(40歳)や、リュージュで銀メダル2個のデムチェンコ(42歳)など、アラフォー世代の活躍の裏には、運動能力の研究・解析とそれに基づくトレーニング法の開発があるというものだ。

この記事を読んですぐに思い浮かんだのは、軍事技術の民間利用である。インターネットも元々は軍事利用を目的として開発されたものであり、アポロ計画も軍事利用をにらみながらの開発計画であり、そこで培われた技術が様々な民生利用にも応用されている。

「ZD運動」という品質管理の手法があるが、月着陸船に部品の欠陥があってはならないということから生まれ、今ではどこの製造現場に横断幕が見られるようになった。50年前に開発されたものがいまだに現役というのは驚きだが、ハードだけでなくソフトでも最先端技術の開発の中から、民間転用が生まれているのである。

トップアスリートのために生まれた技術も、“民間転用”は十分考えられる。私がスポーツの場面で現役だった頃、運動中に水分補給するのはタブー視されていた。腹痛を起こすとか、たるんでいるということで水を飲むことは許されなかった。

いつの頃からか、むしろ水分補給は積極的に行うべしということになり、サッカーの試合などでもボールが外に出るたびにボトルに手を出すのがあたりまえになった。

娘が高校生の頃サッカーをしていたので、何度か応援に出かけたが、試合の途中に「給水タイム」がありそこまでやるかと驚いたことがある。水分補給が見直されたわけで、スポーツをやっていない日常生活でもその必要性が強調されるようになった(お陰で“夜の水分補給”に後ろめたさはなくなったのだが)。

高齢化時代に突入しており、健康寿命の増進のための知見が、アラフォーメダリストのトレーニング方法からいくつも生まれてくるのではないだろうか。後4日で高齢者に仲間入りをするので、期待したいものだ。

ただし、トレーニングを伴うと三日坊主になるのは見え見えなので、やり続けることができるメンタル面の“最新科学”の知見も教えてほしいものだが。

フリースタイルのハーフパイプで、小野塚選手が銅メダルを獲得した。ロンドンの時もそうだったが、日本は銀や銅の鉱脈を発見するのが得意で、金の鉱脈は見付けるのが苦手なようだ。それでも8個のメダルというのは海外の五輪で過去最多である。

冬の大会の日本選手のメダル第1号は、スキーアルペン回転の猪谷千春選手である。小学校1年生の時のことで記憶にはないが、その時のアルペンで3冠王に輝いたのが(分業化した今では考えられない偉業だが)トニー・ザイラーである。

数年後美男子だったザイラーは俳優に転向し、「白銀は招くよ」というタイトルの映画の主演になり、軽快な主題歌(演奏はよいのだが、ザイラーの声はひどかった)が印象に残り、その縁で猪谷千春の名前が記憶に残ることになった。

その後、日本のメダルは72年の札幌大会までなく、札幌大会でもジャンプの3つだけで、その後も1個メダルが取れたら上出来という大会が80年代まで続いた。

メダルが貴重品だったわけで、レスリングや体操などの量産体制が整っている競技や、バレーボールも黄金期を迎えたこともある夏の大会に比べて注目度は低かった。

状況が一変したのは92年のアルベールビルからで、98年の長野大会までがメダルが貴重品ではなくなった時代だったと思う。しかし、長野以降は低迷期に入り、80年代までのメダル1個取れれば上出来というスタイルに戻ってしまったようで、このことが“国力”と五輪の関係を考えさせられるきっかけとなった。

海外での過去最多となるメダルの獲得は、“国力の回復”の兆しとも考えていいようだが、そう単純ではないようだ。

今回8個のメダルは上出来なのだが、中身を見ると山岳エリアでのスキーが7個で、沿岸部のメインスタジアムのあるエリアでは1個だけである。唯一の金メダルでそれなりに価値があるのだが、1個取れれば上出来の時代にも貢献していたスピードスケートは壊滅状態になってしまった(“オランダ選手権”のようになってしまい、オランダ以外はどの国も同じ状況なのだが)。

山岳エリアでも、7個のメダルの内ジャンプや複合などの伝統競技は3個で、ハーフパイプやパラレル大回転など今世紀になって新たに加わった種目の方が上回っている結果になっている。競技の水膨れによる恩恵を受けたためで、中身としてはアルベールビルやリレハンメルの時の方が濃かったように思う。

メダルを獲得した人たちには敬意を表するが、上げ底の過去最多であり、手放しで強化の成果を称えられるものではないような気がするのだが。

スポーツ観戦が大好きな私でも、カーリングとXゲーム系の競技が終わると流石に飽きが来て、一昨日からテンションが下がってしまったのだが、昨日の昼に少し暇ができ(いつも暇なのだが)、スノーボードのパラレル大回転の予選を観戦した。

平山選手が予選トップで通過したこともあり、決勝トーナメントまで全て観る事になってしまった。予選はタイムレースなのだが、決勝トーナメントは「パラレル」の名前が付いているように、2人の対戦で勝ち上がる方式であり、2本目は1本目のタイム差で滑り始めるために、どちらが勝ったかは目で見てわかるわかりやすい競技であり、これもテレビ観戦向きスポーツだ。

予選を観ていて感じたのは、スノーボードというと、どちらかというと若者向けのスポーツであるように思っていたが、予選での出場選手の紹介アナウンスを聞いていると、10代はほとんど居ず、過去の大会のメダル獲得者が多数出場していた事である。

それも前回のバンクーバーだけでなく、その前のトリノや12年前のソルトレークの上位選手たちも登場していた。銀メダルの平山選手も、ソルトレークから4回目の出場でようやくメダルに手が届いたということである。随分息の長い競技で、同じスノーボードでも、ハーフパイプやスロープスタイルとは対照的である。

決勝トーナメントを観ていて、その理由がわかった。対戦方式で勝ち上がりが決まるので、勢いだけでなく雪面コンディションを考えながらの“駆け引き”が重要であり、経験値がかなりの比重を占める競技であるため、ベテランにも勝機が生まれるということらしい。

男女とも優勝者は20代後半で、この世代が心技体のバランスが一番取れる年齢なのかもしれないが、アラサーにもチャンスが多い面白いスポーツであり、次の韓国の大会にも平山選手の活躍が期待できそうだ。熟女に弱いおじさんの願望なのだが。



昨日の夕方のスーパーには、パンだけでなく豆腐や納豆(私は関西人なので好んで食べないが)の棚も空っぽになってしまっていた。白菜やネギも、貧相なものばかりなので、当分鍋は食べられそうもない。今回の雪の被害は想像以上に大きいようだ。

昨日はカーリングの2試合を頑張って観たので、カーリングの合計視聴時間は20時間に到達してしまった。残念ながら日本は準決勝進出はならなかったが、ご贔屓のイギリスは何とか滑り込んだ。カナダとスウェーデンの2強対決になりそうだが、イギリスの美人スキッパーがどれだけ抵抗するのか楽しみだ。

日本や中国なども健闘はしているが、特定の競技で散発的なものであり、ヨーロッパの国々の強さを感じさせられる。悲劇的だったのは、クロスカントリーのリレーで、周回遅れになったために日本のアンカーがスタートできなかった事だ。

陸上競技では400mのトラックなので周回遅れは珍しいことではないが、クロスカントリーでは一周3.3キロもあるので、滅多に起こることではない。それも最終走者が走っていて抜かれたのではなく、3人目の走者で抜かれたのだからショックは大きいだろう。

スピードスケート連盟と、スキー連盟の距離部門の幹部は頭を抱えているのではないだろうか。

私は五輪というのは、“国力”を示す指標の一つであると思っている。夏の大会は飛んだり跳ねたりの、純粋な“身体能力”を問われるもので、民族の体力がはっきりわかるものである。

これに対して冬の大会は施設や用具にお金がかかり、場所も限定されるために懐具合にかなり左右される競技だと思う。夏の大会では存在感を示している黒人選手はほとんど見かけることはなく(手っ取り早く稼げる夏の種目を選択するのだろう)、一人当たりGDPの高い国ばかりが活躍する大会のような気がする。

資金力では面白い話があった。今大会アメリカのスピードスケートは日本と同じように不振だが、ユニフォームの変更を届け出たという記事が一昨日出ていた。

水泳でも以前高速水着が話題になったが、今回アメリカチームはロッキード製のユニフォームを新調して臨んだが、あまりの不振で元のユニフォームへ戻したようだ。金にものを言わせたのに、ソチの軟らかいリンクでは威力を発揮できなかったのだが、経済力大会の証明のような気がする。

来月にはパラリンピックが開かれるが、こちらは障害者を社会がどれだけ受け入れているのかを示す、心の豊かさ=社会の成熟度を示す指標になると思う。

人口減少社会で、超成熟化社会に突入した日本において、一番大事な大会になるように思うのだが、メディアはどれだけ取り上げてくれるだろうか。パラリンピアンにも“レジェンド”が誕生すると嬉しいのだが。



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