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昨日で今年の仕事は終了した。ふだん、競争相手のプレゼンを聴く機会などめったにないのだが、昨日はライバルのプレゼンを聴くことができた。来年の仕事に影響があるため、どのような内容であるか緊張感を持って臨んだのだが、配布された資料を見て緊張感はどこか飛んで行ってしまた。

資料の中に、A41枚の用語集が入っていたからだ。見てみるとすべて横文字だらけのものである。用語集を添付しなければならないレポートというものは、わかりにくいということを示す典型のようなものであり、それが横文字だらけとなると消化不良のまま外国の受け売りを証明しているようなものである。

私もCSの仕事を始めるにあたり、海外の文献を読み(日本語に翻訳されたものだが)、アメリカのシンポジウムにも2度ほど出かけて勉強した。しかし、調べていくうちに、CSの考え方の多くがQCをはじめとした“日本研究”がかなり含まれていることが分かり、自分なりのCSについての考え方を整理できたと思っている(自分で思っているだけだが)。

「木を見て森を見ず」という言葉があるが、ライバルのプレゼンでは最初に「従来のやり方は木を見る方法だが、我々はプログラム理論にもとずいて森を見る方法をとっている。」という発言があった。思わず身構えて、どのように森を見るのかに注目していたが、結局最後までわからずじまいだった。

用語集を引用しなければならないという、未消化のままツールを振りまわすからわけがわからないのだが、もう一つ気がついたのは、どこから“森を見ている”のかがさっぱりわからないことだ。そこで、“森を見る”ということについて考えてみた。

「木を見て森を見ず」というのは、近視眼的な態度を比喩する時に用いられ、俯瞰的なものの見方をしなければならないという戒めの言葉である。俯瞰的に見るには、鳥の目のように上から眺めるのが最も良いのだが、虫の目のように地面から森を眺めるとなんだかさっぱりわからないことになる。むしろ“木を見る”だけの方がましかもしれない

鳥の目で見るためにも、条件があると思う。判断基準、言い変えると理想形を思い描きそれに照らし合わせながら森を眺めないと、ただぼんやり眺めるだけになってしまう(ぼんやりも重要なのだが)。

ライバルの生煮えのプレゼンを聴きながら、一つ勉強になった。


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